『風俗の穴場』解説(大工原正樹)

これは、実在のヘルス嬢兼マンガ家をモデルにした実話です。完成時は「ファッションヘルス天国2」という題名でシリーズ化を狙った続編でしたが、1作目が売れなかったとの理由で、完成から1年後の発売直前に「風俗の穴場」というタイトルに差し替えられました。(撮影中のタイトルは「奴らを天国へ」)
モデルご本人にも会わせてもらいました。企画を言い渡されたその足でマンガの仕事場に伺うと、なんともさばさばした方で映像化をとても喜んでくれたのですが、ご本人の雰囲気や様子からはドラマにするためのこちらの想像力が全く働かないので困りました。ヘルス嬢を始めたきっかけや恋人との関係について話を聞きたかったものの、どうもそちらへは踏み込ませないガードの固さを感じて、本人から取材するのは諦めました。結局彼女には劇中マンガの執筆だけをお願いすることにして、助監督と共にヘルス嬢のインタビューや座談会記事を読み漁るしかなかったのです。この話、なんとなくいけるかなと思ったのは、「この仕事はね、できるから、できちゃうからやっているんだ」という発言を読んだときだったような気がします。
まあ、でも、端から風俗嬢をきちんと描こうという気はあまりありませんでした。自宅でファッションヘルスを開業するという設定自体が大ウソであったし、それならば現実にはありえない風俗嬢を作り出したい思いもありました。とはいえ、やっている行為が現実と同じものであるかぎりリアルな拠り所が欲しくなる。だから先のヘルス嬢の発言がその時の金科玉条になりました。「よし、わかった!」金田一シリーズの加藤武じゃないけれど、ずいぶんいい加減なもんです。
しかし、その肝心の部分、「大ウソ」が上手くつけなくてシナリオ作りは迷走しました。どうやっても話のタテ線となる近親相姦が重たすぎて、喜劇になってくれないのです。しかも、父親とヤッてしまうのは主人公ではなく、その友達であるというのもドラマがうまく動かない要因でした。空々しいエピソードの羅列から抜け出せない。森崎東ならどうしただろう、そんなことを考えながら新宿芸能社シリーズのビデオを見直したりして、こりゃ覚悟が違う、とその都度打ちのめされ、かえって気持ちが挫けるだけでした。イカン、イカン、森崎東などという名前を思い浮かべたらクランクインできなくなる。
実際ビデオ映画の準備期間は企画の立上げから1ヵ月くらいがせいぜいですから、シナリオが出来なくてもロケハンやキャスティングはどんどん進んでいく。幸い主役だけはシリーズ1作目(全く違う設定・ストーリーで別の監督と2本撮りすることになっていた)の主演女優がこちらの組でも主演することになっていたので、彼女を中心に他の役を決められる分それまでよりは楽だったのですが、準備稿で動いていたロケハンが何処を見せられてもピンと来ない。
シナリオが決まっていないのだから当然といえば当然なんですが、大抵いつも、ロケハンかキャスティングをやりながら演出の核(欲望のようなもの)を見つけられるものなのに、そのときはさっぱりだったのです。撮りたいという気分にさえなれなかった。撮りたいという気分にならないと、本当に撮りたくなくなるのです。何を言っているのやらと思われるでしょうが、これは、同じような境遇で映画を作ってきた人には共感してもらえるのではないだろうか。まあ、いいや。
そんなロケハンのある日、主人公の部屋となるマンション候補を見せられた帰りに、製作部が「シナリオではマンションだけれど、この近くに古い一軒家があるからついでに見ませんか」というのでワラをも掴む気持ちでついていきました。小さな庭付きの日本家屋でした。中を見て回っているうちに、突然、マンションの設定では動かなかった登場人物たちが生き生きと動き始めたような気がしたのです。現金なものです、そうなると、ドラマになっていないと悩んでいた部分など取るに足らないことのように思えてきて、この人物たちを動かせばそれだけで最後までいけるじゃないかと。まあ、錯覚なんでしょうが。
スタッフルームに帰り、その晩から4人で手分けして猛烈にシナリオを直し始めました。準備はもう8割方進んでいるので、そこに当てはめるようにキャラクターと話のポイントだけ大きく変えたのです。しかし撮影まで4日しかありません。
徹夜明けでフラフラしながら翌日も衣装合わせやロケハンをしていると、プロデューサーが深刻な声で電話をかけてきます。前の組の撮影が終わって、こちらの組の準備稿を渡された主演女優が「出たくない」と言っているというのです。2本セットの出演契約だったので事務所も必死で説得したけれどどうしても嫌なようだ、マネージャーが監督から直接話してもらえないかといっている、というので喫茶店まで出向きました。
監督が直接といったって、本人に会うのはその時が初めてなんですから、なんとも説得する自信がありません。アリバイ作りに利用されているようなものです。話してみると「前の組はとても充実した楽しい撮影でした。役もやりがいのある役でした。続編と聞いていたので期待して台本を読んだのですが・・・・・・私にはこの役をできる自信がありません」ということです。
話しぶりもしっかりしたとても賢い娘で、要するに「このホンはふざけている、だから、わたしは演りたくない」という気持ちが痛いほど伝わってくる。しかし、こちらは今降りられたら困る。ホン直しの目処もついたので、これこれこういう風に直すつもりです、ふざけることも時には大事です、きっと今より面白いホンになることは間違いないから僕を信じてもらえまいか、などと赤面するしかないような科白も吐きながら説得したのですが、それは見事に意志の強い子で、話の合間に相槌すら打ってくれません。そりゃ、まあ、そうです。いま初めて会った、どこの馬の骨とも知れない、風呂も5日くらい入っていないようなむさい男に、僕を信じてくれなんて言われても信じる根拠がどこにもないわけですから。
結局その娘は諦めて、別の主役を探すことになりました。チーフ助監督が大量のグラビア誌から候補をピックアップしスケジュールを確認する、その脇ではシナリオ直し。撮影前日の朝に決定稿が上がり、その日の夜9時頃、演出部全員がこの子ならいいかもしれないと意見が合った石川萌と面接、その場で手書きのホンを読んでもらい出演が決定したのです。
印刷台本はクランクイン当日の朝にスタッフ・キャスト全員に配るという綱渡り、・・・・・・いや、普通に考えると全然間に合っていないのですよね。役者にしてみればストーリーもキャラクターも違う、セリフなんて準備稿で覚えてきたものがほとんど役に立たないくらい変わっている台本を撮影当日に渡されるわけですから。しかし、ピンク映画が基準の僕らは、ごめんなさいの一言でお願いしてしまう。一体どれだけいい加減な映画なんだと思われそうですが・・・・・・。


石川萌には品があります。裸になることを厭わない女優は、どこか世間に立ち向かっていくような強さを感じる人が多いのですが、彼女はどんなときでもおっとりしている。出演が決まったとき、どこか心細げな表情をしていたので大丈夫だろうかと心配したのですが、いざ撮影が始まってみると実に堂々と芝居をするのですね。芝居の経験がほとんどないから一本調子ではあるけれど、見ていて気持ちがいい。
撮影初日にラスト近くの森のシーンを撮っているとき、エンジのワンピースで木々の緑の中に立っている彼女の姿がとても良くて、ああ、こういう姿を丹念に拾っていけば彼女の映画に出来るかもしれない、なんてことを考えたりもしました。終盤、彼女の家にヤクザが乗り込んでくるシーンで「なにか御用ですか?」と画面の奥から入ってくるカットがあるのですが、歩いてきてスカートの両裾をつまみながら座る仕草がなんとも上品で、手前のヤクザとの対照が面白かった。
ヤクザ役の高杉航大さんは知る人ぞ知る実力派で、ヤクザの役など振られた日には本物と見紛う迫力ある芝居をする人なのですが、その高杉さんが顔を近づけてツバを飛ばしながら怒鳴っても全く怯まない。また、相手のペースに乗るわけでもない。相手の目を正面から見つめ、おっとりとした風情のまま受け流していました。この子、もしかするとかなり根性が据わった子なのかもしれないと思ったものです。
ところが撮影後に雑談をしていると、そのころ熱狂的なファンに自宅を知られてしまい、駅から家までの夜道を付け回されて、毎日泣きながら走って帰るという話を聞かされました。なんとも不思議な娘です。
長岡尚彦は、「幕末塾」という元・アイドルグループのメンバーでした。この人の顔が好きで『もう、ぎりぎり』という作品に主役で出てもらったのですが、撮影中、妙に気が合うことがわかったのですね。なんというか、恥ずかしさに対する感覚が似ているとでもいうのでしょうか。もう一度仕事をしたいと思いながらしばらくはその機会がありませんでした。
この「風俗の穴場」でも、最初のホンではワンシーンだけのカラミ要員のような役だったのに、アテ書きして主役に膨らますからと無茶な出演依頼しました。事務所には「とんでもない」と一旦断られたのですが、自分から「やりたい」と言って決定稿も読まずに出てくれました。
今はテレビドラマなどで印象的な脇役として活躍しているけれど、いつかまた一緒にやりたい人です。・・・・・・と思いながら、もう10年も経ってしまったのか。
児島巳佳は、芝居を見ていてとにかく楽しかった。勘が良くて発声もいいから、キャラクターが際立ってくるのですね。店長役をやってもらった「椿組」主宰・外波山文明さんと劇中絡むことが多かったのですが、演出家である外波山さんも「児島くんは、とてもいいね」と感心されていました。
性格のきついヘルス嬢の役だったからそうしたのでしょう、初日に派手なメイクで現れたときにはぎょっとしました。顔が怖いのです。普段はどちらかというと思慮深くておとなしい印象を与える人なのに、メイクによってこんなに顔が変わるものかと。テストをしていて何か言うと誰よりも真剣に聞いてくれるのですが、その顔がこちらを睨んでいるようで、つい目をそらしてしまう。「監督、私の顔コワイと思っているでしょ?」とズバリ言い当てられ、「いや、メイクが・・・・・・」と狼狽えました。
これの直後に主演した『黒い下着の女教師』(監督:常本琢招 脚本:井川耕一郎)は「SMとは何か」という問いに対する答えが凝縮されたような傑作で、彼女にとっても代表作といえるのではないでしょうか。
吉岡ちひろは、見掛けによらず真面目で思いつめるタイプの役者でした。幼い頃に別れた父を、そうとは知らず客にとってしまうヘルス嬢の役で、ストーリーといえるものがないこの話の中では唯一ドラマを背負ったキャラクターです。
しかし、同時にシナリオの詰めが甘いと思っていた部分でもあるので、撮っているこちらとしてはさらっと流したかった。けれども、彼女自身は裏の主役を演じている自負があったのかもしれません、親子とわかった後に父と対面するシーンではかなりナーバスな芝居をするため現場では結構せめぎ合いがあったのですが、父役の廣瀬昌亮さんが彼女の芝居をそのまま受けて演じているのを見て、あ、逃げ道はないんだ、と覚悟を決めて撮った記憶があります。
クランクアップの日に彼女が「監督、これ・・・・・」と人目を気にしながら可愛らしい封筒に入った手紙をくれました。ラブレターかとドキドキしながら開いてみると、撮影のお礼と自分の芝居に対する反省が便箋3枚にびっしり書かれていました。終わって浮かれていたとはいえ、自分のスケベ心を反省したものです。
大久保了さんは身長2メートル、茨城か栃木あたりの方言が残るイントネーションと、朴訥とした人柄がにじみ出る風貌で一度見たら忘れられない役者です。「風俗の穴場」では見た目そのままの人の良い編集者の役をやってもらっていますが、主な活動場所である舞台では小ずるい悪人や、破壊力の凄まじい狂人の役などもやっており、また、それがハマる稀有な個性を持った人です。この人の出番がもっとあると映画も面白くなるのに、といつも思います。
廣瀬昌亮さんは、藤田敏八監督『八月の濡れた砂』の主役(当時・広瀬昌助)として誰もが記憶しているベテランでありながら、低予算の現場であっても気取りや手抜きが一切ない真摯な役者でした。一人身の寂しさからヘルス嬢を追い回し、その子が自分の子だとわかった途端に父親ぶるという、実に格好の悪いオヤジの役を思い切り格好悪く演じてくれていますが、普段は身のこなしがスマートな紳士です。年々渋みが増してトレンチコートなどが似合う人でしたが、喜劇的なセンスが抜群であることは意外と知られていなかったのではないでしょうか。廣瀬さんとはテレビドラマも含め3本仕事をしているのですが、最後の仕事から1年後の1999年3月、病気で亡くなられました。あまりに突然だったので本当にショックでした。まだ51歳でした。シャイな方で、いつも浮かべていた困ったような笑顔が忘れられません。