『アカイヒト』

2004年/62分/8mm→DV
映画美学校映画祭スカラシップ作品

監督:遠山智子 撮影:大城宏之 美術:黒川通利

出演:山崎和如、久代真喜、隅達昭、小水一男


<あらすじ>
昏睡の続く妹、園(ソノ)を捨てるために“世界”へやって来た兄、九地(クチ)。とある宿で、二人は束の間、最後の日々を過ごすはずであった。しかし、宿の使用人、御項(ゴウナ)が園を見初め、森に住む女が九地を見初め、 園が“世界”を追放されつつある青年を見初めたことから、“世界”の秩序は少しずつ崩れ始めていく。


(『アカイヒト』は、高橋洋『狂気の海』のカップリング作品として、6月30日(月)、7月7日(月)の21時からユーロスペースで上映されます。
 『狂気の海』公式サイト:http://www.kyoukinoumi.com/

『アカイヒト』について(1)(遠山智子)

『アカイヒト』は、美学校映画祭スカラシップ作品として製作されました。
制作は植岡喜晴氏にお願いしました。ただ、この作品が結果的に予算オーバーし、ほぼ自主製作となったことは、制作が植岡さんであったこととは無関係です。スタッフは、美学校2期の数人が中心となり、プロの美術さんである黒川通利氏、そして美学校6期の数名も結集しました。キャストは、ほぼあて書きだったこともあり、まずはお願いし、比較的スムーズに決まりました。
撮影は、城ヶ島、足尾、渡良瀬、鎌倉、千葉、都内数カ所にて行われました。城ヶ島の洞窟の撮影時、夜明け前、潮が引き洞窟から水が無くなる瞬間を待ち、準備を開始しました。ゼネやドラムを崖からバケツリレーで降ろし、洞窟の中へ。ロケハン時に初めて出逢った、かつて見たこともない生き物たちがやはり今日も同じ姿勢でそこに居ましたが、照明をたくと音もなく一斉に姿を隠したので、それ以後“あいつら”のことは禁句、役者の人たちには終始内緒、「天井に気をつけてください…」とだけ一言、申し上げました。
この作品の一つの要は、美術の黒川氏でした。ちょうど他の現場の仕事も掛け持っていたようでしたが、決して妥協することなく真剣に仕事に打ち込み、「黒さん」の呼び声にいつもニコニコと参上する姿は、まるで神様でした。また、黒川氏の指示により、美学校6期中心の美術班も奮闘。様々なカタツムリを見つけてきてくれたり、奇怪な人形を作ったり等々してくれました。
役者さんには、手を黒く塗り、蜘蛛の巣を張り、木の根っこを絡ませ、頭に電飾を仕込み、といった色々をしてしまいましたが、皆さん素晴らしい方々で、結果、物語にしっくりと溶け込んだと思います。
撮影機材は8ミリカメラです。いままでの作品が16ミリやビデオなので、初めての試みでした。植岡さんに仰いでも笑みを浮かべて見ているだけ、手探りでの撮影、数々失敗もしましたが、結果的にこの作品に一番合った画面がつくれた、と思います。セリフは全てエスペラント語です。たまたま友人から、隣りに住んでいる女の子が魅力的な声をしている、と聞き、紹介してもらいました。声もカンもよく、助けられました。
ところで、映画を撮ることは、私にとってはリハビリに近い作業です。『アカイヒト』ではそれまでの反省もあり、初めて組むスタッフもいたので、今更ながら、意思の共有をまず心がけました。どれだけ伝わっていたのかは定かではありませんが、その後の作品づくりに活かされる力が、微量ながら養えたと思っています。リハビリの甲斐あって少し歩けたときはいつだってうれしく、まだもう少し頑張ろうと思えるものです。
全体を通して本当に楽しい撮影でありました。そして今回、久しぶりに記憶を手繰るうちに、どうやら、植岡さんが主役の現場だったように思えてくるのでした。映画をよくしようという植岡さんの強い気持ちが、エプロン姿でまかないを配膳する姿、城ヶ島の雨降らしシーンで、ホースの水を九割がた自分にかけてしまっている姿、渡良瀬の朝靄シーンで、髪をなびかせながら発煙筒を振り回し駆けてゆく、あの魔術師のような姿となって、くっきりと心に蘇ってくるのです。あのまたとないスタッフ・キャスト陣が集まり、出逢えたのも、植岡さんのおかげと感謝しています。

『アカイヒト』について(2)(遠山智子)

『アカイヒト』に関する前の文章に対し、井川さんから3つの質問をいただきました。以下、その返答です。
なぜ8mm・白黒で撮ろうと思ったのか、いま思い出す限りでは、いままでやったことがないことをやってみたかったから、だと思います。ですので、シナリオを書く前から漠然と決めていました。以前、臼井勝さんから8mmカメラをいただいていて、たまにファインダーを覗いては興味を募らせていた、ということもあります。編集・発表は『アカイヒト』以後となった『あいな』という短編を撮った際に8mm・白黒の画面に興味を持ち、その画面とより近づきたい、増幅させたい、という意識を膨らませていたこともきっかけの一つでした。同じカメラで友人の家族を撮ったのですが、これはカラーがメインで、その画面からは、懐かしさ生々しさ高めの人肌といった印象を受けていたので、『アカイヒト』で、主人公が生の希望に触れる一瞬だけカラー、あとの脈々と続く世界は白黒としよう、と決めたきっかけとなりました。
セリフをエスペラント語にした理由ですが、日本語以外の言語で語りたかった、ということです。当時私は、世界各国の言葉で、言葉の数だけ映画を作ったらどうだろうか、と、ぼんやり夢想していたのです。日本語であっても意味が通じないくらいの方言、現在は消えた幻の言語なども、諸々考慮した結果、エスペラント語に決めました。エスペラント語は世界の共通語として整理された人工言語で、世界中に学会はあるようですが、世界共通語としてはまるで機能していない言語です。ちなみに私のふるさとである岩手県出身の宮沢賢治は、エスペラント語を習っていました。小学校の自由研究で宮沢賢治記念館を題材に選んで以降、エスペラント語の存在は、私にとって遠いものではなく、むしろ原点に近いところに据えられていたので、自分にとってこの選択は、特に突飛な発想ということでもありませんでした。また、字幕の文字を画の合間に織り込みたいという欲求もあったと思います。
最後に、前の文章に書いた“映画を撮ることは私にとってリハビリのようなもの”との一文について補足説明します。映画を撮るときには、たくさんの人が集まります。あらゆる人が、あらゆる角度から肉をつけていって一つの像を形作らねばなりません。その中で、誰かの存在を生かすよう努めたり、自分の存在を作品とすりあわせたり、数々の選択をしたり、そして全体を通して、人と関わり合い、意思をかよわせる、ということをしていくことになります。そのことはまるで、普段の生活と変わりないように思えるのです。普段の生活を凝縮させたのが映画作りの現場。普段の生活に必要なことを思い出させてくれるのが映画作りの現場。人と関わり合いながら何かを作る。ただ、私が人と関わり合うことに関して疎いほうである、それなのに映画を作ることに自らの必要性を感じている、という点で、映画を撮ることが、私にとっては一つの荒療法、筋トレ、リハビリ、生きる勉強、といった意味合いを今は持っている、ということです。

『アカイヒト』について(3)(遠山智子)

井川さんから質問をいただきました。『亀の歯』『巣』『アカイヒト』の三作品には、どれも兄と妹が登場し、さらに妹は死んでしまうか、死病にとり憑かれている、という共通する設定がある。なぜその設定を繰り返すのか、そのこだわりは何なのか、宮沢賢治の『永訣の朝』なども関連しているのか。といった質問でした。
この兄と妹の設定の繰り返しは、私自身も、作るうちに気付いてきたことです。この三作品の他にも、『あいな』(“兄”の意 )や、いま制作過程にある自主映画にも、相も変わらず兄と妹が登場します。これらは全て、私の兄、私の母と伯父の存在、そして兄と妹という関係性への個人的な興味に因ることと思っています。
私には兄が一人おり、どちらかというと少し執着しています。兄と妹とは、一つの身体がバラバラに離れているだけであって、実は両性具有の一つの生き物だと妄想することもあります。例えば起きがけに、さっきまでみていた夢の最後を必死で反芻するように、根拠もないところで信じきっているような感覚です。そもそもは、兄と私の顔が似ている、ということが発端だと思われます。また、幼い頃、姉よりも歳の近い兄について遊んでいたことも原因の一つです。兄は自分にとって、先導者であり、庇護者であり、同じ経験をした幼なじみであり、見捨てるように先に社会に出てしまった手の届かない人であり、憧れであるということです。そしていつまでも私は妹でありたいと願っているのです。
また、私の母が伯父と二人兄妹であること、子供の頃二人で親戚の家に預けられた時期があること、母が病弱であったこと、伯父が亡くなったこと、それらが、私に、兄という存在への妹の特殊な愛情や、兄の、妹や妹を取り囲む世界に対する愛というものを感じさせました。
こういった個人的な環境がやはり一番反映されているのだと、いまはそう思っています。
宮沢賢治の『永訣の朝』『雪渡り』『ひかりの素足』。その他、兄妹・兄弟がでてくる作品は、二人が、何か一つの経験や秘密を共有し、それがどちらかの死に関することであったりすることが、まるで一人の人間がそれを通過したように感じられ、兄妹・兄弟の愛の一つの形として私の中に積み重ねられています。
死に出会ったとき、兄は妹に何をするか。妹は兄に何をするか。死に出会ったとき、お互いの存在は影のように自らの中に染み付き、二人は決定的に別々の人間になっていくのではないか。私なりの、自立についての観念だと思っています。


(『アカイヒト』は、高橋洋『狂気の海』のカップリング作品として、6月30日(月)、7月7日(月)の21時からユーロスペースで上映されます。
 『狂気の海』公式サイト:http://www.kyoukinoumi.com/


注:文中で言及されている作品のあらすじは以下のとおり。


『亀の歯』(02年)
映画美学校製作。35min。在学中カリキュラム内で書いたシナリオが準スカラシップを獲得、翌年撮影された。ロケ地は監督の両親の故郷、岩手県釜石市
<あらすじ>
妹を亡くし失意の底に沈む少年、人貂(ジンテン)。静養にやって来た叔父の住む村で人貂は、村人たちから隔絶された家に生きる少女と出会う。


『巣』(03年)
自主製作作品。20min。映画美学校映画祭2003において準スカラシップを受賞。翌年ドイツで開催された日本映画祭“ニッポンコネクション”へも出品された。
<あらすじ>
甘子(アマコ)は義姉水丸(ミズマル)と暮らしている。兄デクを慕い、ひたすらに手紙を綴る甘子。生んだ子が甘子に瓜二つだった為に、甘子にその子を森へ捨てさせた水丸。水丸も甘子もその記憶にさいなまれている。遂に倒れた甘子を連れて水丸はデクのもとへと向かう。