2013-01-01から1年間の記事一覧

渡辺護、『浅草の踊子 濡れた素肌』について語る。

(このインタビューは、2012年8月23日にmixiに載せたものです) 今日、載せるのは、『浅草の踊子 濡れた素肌』(踊子と書いてストリッパーと読ませる)についての話。 ポスターを入手したので、そこに書いてある情報を記しておく。 『浅草の踊子 濡れた素肌…

渡辺護、『制服処女の痛み』の頃の美保純について語る。

(以下のインタビューは、2013年3月にmixiに載せたものです) 自作解説篇の構成を考えるため、ラッシュを見直し、大蔵貢に関するエピソードを探していたら、なぜだか『制服処女の痛み』(81)の美保純について語っているところが出てきた。ひさしぶりに見た…

映画監督の渡辺護さんが24日、大腸がんで亡くなりました

PGの林田義行さんたちと相談して、25日、26日ににツイッターに書いたことを以下に載せておきます。 (写真は、銀座シネパトスでのトークショー(2012年5月18日)のときのものです) <12月25日>PG_pinkfilm ‏@PG_pinkfilm 12月25日 渡辺護監督が12/24 亡…

渡辺あい『電撃』と冨永圭祐『乱心』についての往復書簡・第3回(清水かえで+井川耕一郎)

<井川耕一郎→清水かえで:『電撃』の病気、『乱心』の病気・その2> 次に『乱心』について。 清水さんは、シーン13で盛太が遠くに放り投げたボールが、シーン14でひよりをあたりそうになるところについて尋ねてましたね。 試写で見たときには、思わず笑っ…

渡辺あい『電撃』と冨永圭祐『乱心』についての往復書簡・第2回(清水かえで+井川耕一郎)

<清水かえで→井川耕一郎:『乱心』のシナリオを読んで> 『乱心』のシナリオ、送っていただき、ありがとうございます。 面白かったです。 どんな役者さんがどんなふうに演じているんだろう、どんなところで撮影しているんだろうって、 冨永さんの映画が見た…

渡辺あい『電撃』と冨永圭祐『乱心』についての往復書簡・第1回(清水かえで+井川耕一郎)

(この往復書簡は、2011年にプロジェクトDENGEKIブログのために書いたものです) <はじめに> 試写で渡辺あいさんの『電撃』を見たら面白かった。それで、大工原正樹さんに、『電撃』の感想をブログに書きますよ、と言ったのだが、あとになって、し…

西尾孔志『ソウル・フラワー・トレイン』について(井川耕一郎)

以下の文章は、8月22日にツイッターに書いたものです。 (井川)西尾孔志『ソウル・フラワー・トレイン』を試写で見ながら思ったことは、大阪はよそ者にも親しげに話しかけてくる町なのだなということ。そして、隙あらば、ひとの持ち物をくすねようとする町…

渡辺護『少女を縛る!』について1・2(井川耕一郎)

1 『少女を縛る!』(78)というタイトルを聞いて思い出すのは、『谷ナオミ 縛る!』(77)だ。 当然、これから映画を見ようとする者の関心は、少女を演じる女優に向けられるだろう。 しかし、映画が始まってすぐに映る少女役を見て、たいていのひとは、え…

『制服の娼婦』撮影日記(渡辺護)

(このエッセイは『映画芸術』1974年6〜7月号に載ったものです) こんどは女高生売春でいこうとホンヤさんにいったのが確か四月のアタマ。15日頃までにというのに一向に書いている気配もなく、相変らずゴールデン街で飲んだくれているらしい。とにかく30日…

渡辺護とピンク映画についてもっと詳しく

<渡辺護について> 渡辺護のプロフィール http://watanabemamoru.com/?page_id=2 渡辺護のフィルモグラフィー http://watanabemamoru.com/?page_id=7 <渡辺護の発言・エッセイ> 『制服の娼婦』撮影日記(渡辺護) new! http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006…

金子サトシ『食卓の肖像』を再見して(井川耕一郎)

(以下の感想は、2013年4月4日にツイッター(https://twitter.com/wmd1931)に書いたものです) 金子サトシ『食卓の肖像』を再見。映画が始まって30分くらいたったところで、五島列島のとある集会所で行われた市民団体による自主検診が映る。検診の後はビ…

旦雄二『助監督』について(井川耕一郎)

(以下の文章は、ツイッター(https://twitter.com/wmd1931)に書いたものの再録です) 1 (2013年2月19日) 第11回城戸賞入選作・旦雄二(@yujidan)『助監督』(「キネマ旬報」1986年1月下旬号)を読む。旦さんがピンク映画の助監督だった頃を題材にして…

粟津慶子『収穫』について(井川耕一郎)

(以下の文章は『映画芸術』2010年冬号(430号)に載ったものです) 2010年BEST 粟津慶子『収穫』、小出豊『こんなに暗い夜』(各10点) 粟津慶子『収穫』について。怪作である。映画が始まってすぐ、教室で腕組みして居眠りする女教師が映るのだが、その姿…

ぴんくりんく企画「ピンク映画50周年 特別上映会 〜映画監督・渡辺護の時代〜」+『糸の切れた凧 渡辺護が語る渡辺護』(2月8日(金)〜2月12日(火)・神戸映画資料館)

2月8日(金)から12日(火)まで神戸映画資料館で開かれるぴんくりんく企画のピンク映画上映会。 その中で、渡辺護自伝的ドキュメンタリー第一部『糸の切れた凧 渡辺護が語る渡辺護』が上映されます。 渡辺護とはどういう監督なのか? 1931年東京生まれ。6…

渡辺護とピンク映画についてもっと詳しく

以下のところに移動しました。 http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20130427/p2

渡辺護、『修道女 秘め事』、『猟奇薔薇奴隷』などについて語る

(以下のインタビューは、井川がmixiに書いた製作日記からのものです) 製作日記:70年代後半の向井寛とのつきあい・前編(2012年8月4日) 『ドキュメント 成人映画』(ミリオン出版・1978年)には、何人かのピンク映画監督のインタビュー記事が載っていて、…

参考資料:大和屋竺『おんな地獄唄 尺八弁天』シナリオと渡辺護による直し(シーン48〜シーン56)

(大和屋竺のシナリオ) 48 本多邸・応接間 ソファにゆったりとくつろいでいる本多。 本多「ごろつきどもとは相変らずつき合っているのか?」 「むろん」 答えた男はセイガクである。 本多「お役目とは云え、御苦労なことだ。所で君に来て貰ったのは、私の工…

『男ごろし 極悪弁天』から『おんな地獄唄 尺八弁天』へ(4)(井川耕一郎)

だらだら書いてきたこの覚え書きもそろそろ終わらせようと思う。 そこで最後の回は、渡辺護さんが撮影で使用したシナリオを手がかりに、『尺八弁天』の創作の現場にちょっとでも近づいてみたいと思う。 私たちは映画の面白さについて書くときに、ある一人の…

『男ごろし 極悪弁天』から『おんな地獄唄 尺八弁天』へ(3)(井川耕一郎)

殺意と表裏一体の愛欲について。 これは、『極悪弁天』では英二郎がになっていた。 英二郎に抱かれた加代が「苦しい……死ぬかと思った……」と言うと、彼はこう答える。「俺は人斬り英二郎と云われた男だ……あんたを殺る時は……ドスであの世に送ってやる」 『尺八…

日録1980年7月28日(渡辺護)

(このエッセイは、「日本読書新聞」1980年7月28日に掲載されたものです) 俺の映画の熱心なファンである若者たちが、今はもう劇場で上映されない古いフィルムが見たいといって来た。『少女縄化粧』や『聖処女縛り』を観て俺の名前を覚えてくれたという彼ら…

日録1980年7月21日(渡辺護)

(このエッセイは、「日本読書新聞」1980年7月21日に掲載されたものです) ×月×日 撮影最終日。言問橋から吾妻橋付近で痴漢公園のシーンだ。午後一時三〇分、体があいたのでなつかしい喫茶店に入る。すると、思い出が記憶の底からせきを切って流れ出す。ま…

日録1980年7月14日(渡辺護)

(このエッセイは、「日本読書新聞」1980年7月14日に掲載されたものです) ×月×日 新東宝のお盆映画『日本の痴漢』の撮影にインする。毎度のことであるが、新宿安田生命前七時半集合はキツイ。五日間と言う短期間で撮りあげなくてはならないのは、いつおな…

『男ごろし 極悪弁天』から『おんな地獄唄 尺八弁天』へ(2)(井川耕一郎)

渡辺護さんの話では、観客の反応を見ようと、『極悪弁天』を上映する映画館に行ったところ、向井寛と、当時、助監督だった稲尾実(深町章)がいたという。 向井寛は映画の出来に感心したらしい。稲尾実も『極悪弁天』に感動し(劇場内で拍手した)、その後、…

『男ごろし 極悪弁天』から『おんな地獄唄 尺八弁天』へ(1)(井川耕一郎)

神戸映画資料館で『おんな地獄唄 尺八弁天』(70)が上映されるとのこと(2月10日16:05〜、11日15:50〜)。 ちょうどいい機会だから、ドキュメンタリー制作の過程で『尺八弁天』について分かったことを書いておこうと思う。 『おんな地獄唄 尺八弁天』に…

渡辺護、『おんな地獄唄 尺八弁天』について語る(聞書:井川耕一郎)

(このインタビューは、『ジライヤ別冊 大和屋竺』(1995)に載った「『おんな地獄唄 尺八弁天』を撮り終えたくなかった」からの抜粋です) 『おんな地獄唄 尺八弁天』は、石森史郎のホンで撮った『男ごろし 極悪弁天』の続編でね。『極悪弁天』は弁天の加代…

同期のピンク桜―追悼 野上正義―(渡辺護)

(この追悼文は『映画芸術』2011年春号に載ったものです) 荒木太郎からの電話でガミの死を知る。 野上正義のことは、ガミ、ガミちゃん、と呼んでいた。 ガミは若松孝二の『鉛の墓標』でピンク初主演、同じ頃、俺も『あばずれ』で初監督。ガミと俺は同期のピ…

何が難しいことだって ピンク監督の弁(渡辺護)

(このエッセイは、『映画芸術』1970年11月号に載ったものです) 男のオチンチンを立たせっぱなしにすることは、難しいことだ。社会の風俗現象の変化とともに、そのオチンチンの立ち具合も変化するものであって、やたら、脱がせ、やたら、アソコを見せりゃい…

渡辺護、2012年の日本映画をふりかえる

映画の話をすると、「監督、そんなのまで見てるんですか?」と言われるけど、そうじゃないと、娯楽映画の監督はできないんだよ。 『ヘルタースケルター』(監督:蜷川実花)、見に行ったよ。監督が蜷川幸雄の娘だろ。おれがテレビ役者でいい役やってた頃、蜷…