自作解説『黒い下着の女教師』(常本琢招)

どうも、常本です。好きな作家は金原ひとみ! 好きな女優その2はマギーQ!(レディ・ウエポン)
すっかりご無沙汰しました。現在、『みつかるまで』以来5年ぶりに映画を撮っておりまして、その準備・撮影で、大童でした・・・(撮影はまだ終わっていません・・・)


今回の『黒い下着の女教師』は、1995年に撮影・1996年に発売したケイエスエス出資のVオリ。思い返せば、1995年は、ケイエスエスで年に4本も撮らせてもらった、「仕事をした」一年でした。
これは、僕の映画の中でも特に皆さんに気に入っていただいている作品のようで、一応、僕の代表作となっているようですが、最大の勝因は、なんと言っても井川耕一郎さんの書いた脚本がすばらしかったということ、それに尽きます。


井川さんとの出会いは、古いです。今から20年以上前、井川さんが早大シネ研時代、僕は同じシネ研にいた、今はカメラマンになっている福本淳君と仲良くなっており、神奈川県にある福本君の家に、しばらくの間居候していたのでした。そのとき、井川さんが『ついのすみか』を同じ家で撮影していて、そのときが初対面。
そのときはお互い「なんだコイツは?」という感じで半ば警戒しながらの接触だったように記憶しています。福本家では井川さんが出演していた、誰かが撮った8ミリも見ていて、たしか電車の中のシーンだったと思うのですが、ただ座ってニヤニヤ笑っているだけの井川さんが本当に恐ろしく、悪魔のように見えるんですよ。あまりの怖さに、「この人に近づくのはやめよう」とそのときは固く誓って、これほどの付き合いになるとは想像もしていませんでした・・・


話は戻って、『黒い下着』は、同じ1995年に撮った『人妻玲子 調教の軌跡』の姉妹編。両作とも、官能小説の老舗「フランス書院文庫」の小菅薫(正体は某映画プロデューサー)原作を元に、井川さんが書いたシナリオを映像化したものです。当然、小説をそのままなぞった脚本になっているはずもなく、『黒い下着』に関しては「原作が使えないので聖書の『ヨブ記』を元ネタにしました」、と言われて応対に困った覚えがあります。
(このあたりの創作裏話については、井川さんが今後書いてくれることを期待します)
両作のシナリオとも、自らの妄想に虜われて自壊していく女の姿が濃密に描かれ、一読、暗い興奮を覚えたものでした。

『制服本番 おしえて!』でデビューしたものの、その後企画を立てても作品に結びついていなかった僕は、脚本は自分で書くもの、自分が納得できる、自分の世界を投影するのが映画、とかたくなに思っていたところがありました(この前に撮っていた『テレクラ稼業』は、自分の世界等は関係なく、自前のテクをどれだけ叩き込めるかの実験、と割り切ったVオリ。この時点では、まだ、Vオリで勝負するという腹は括っていませんでした)、
しかし、2作の井川さんのシナリオには、僕の小さな世界など吹き飛ばす独自の世界があり、なおかつ僕がやりたかったのはこんな映画だ、と目を開かせてくれるものがありました。同時に、Vオリというメディアに対してどこか引いていた気持ちも、完全に払拭してくれたのです。


というわけで、もうノリノリで取り掛かったこの2作ですが、意外や意外、好事魔多し、準備は意外な難航に陥りました。キャスティングです。
「内容がハードすぎる」ということで、出演交渉していた女優の事務所がことごとくNGを出してきたのです。事務所のみならず、フランス書院文庫シリーズを同時に担当していた内藤忠司監督からは「井川のホンは精神的にキツすぎて俺には撮れない」とはっきり言われ、なんとも思ってない僕は不感症なの?どこかおかしいの?と悩んだものでした。
『人妻玲子』のときは、亡くなった今井事務所の今井さんだけが、ホンのすばらしさに惚れ込んでくれ、ウチには合う女優がいないからと無償で他の事務所に当たってくれたりもしましたが、それでも見つからず、結局イン間際ぎりぎりで、演技経験のまったくない橘未稀に決まった経緯がありました(それで、結果オーライだったのですが)。
『黒い下着』は、『玲子』よりさらに微妙な演技を要求されるホン。にもかかわらずやはりハードな印象を役者事務所に与えたようで、冷淡な応対が続きました。先行き不安に思っていたところで、プロデューサーから朗報が。エロティックVオリに何本も出ていて、当時その世界では人気があったある女優が、出演を承諾した、というのです。
さっそく喜んでお会いしたのですが、話し合う内、ちょっと待ってくれよ・・・という気持ちになりました。何か、出演に関して流れ作業でコナシ仕事のように対応するニュアンスが言葉の端に感じられたのです。
ドウスル?とオダギリジョーのように悩んだ僕。この女優を断って、次を探すか?しかし、たとえ意欲的ではなくても、この状況で、これ以上の女優が来る可能性があるのか?悩みましたが、結局、この女優の起用は断りました。そして、出会ったのが、児島巳佳です。


児島巳佳は、その前に石川均監督の『血とエクスタシー』というVオリに端役で出ていたようですが、僕はその時点では知らず、面識のあるマネージャーの事務所に面白い子がいると聞いて、予備知識なしで面接に望みました。そして、ちょっと地味だけど透明感があること、なによりこの作品に対し意欲的であること、さらに言うと出身が僕と同じであることなどから、出演を決めました。


児島巳佳について書こうと、彼女のことを思い出そうとしているのですが・・・なぜか、これ以上は思い出せません。
憶えているのは、とにかく素直な性格だったこと。
僕が何か指示すると、まっすぐ僕を見てうなずき返してくれました。さらに、この作品は様々な事情で撮影が延び、余裕ができたということもあって、リハを2週間、行いました。撮影自体は6日間なので、倍以上。その間なにをやっていたのか・・・についても憶えていませんが、とにかく、芝居に関してはリハ中にすべてを固めることが出来た記憶はあります。


あまりにも憶えていないので、今回、何か思い出すかと久々に『黒い下着の女教師』を見返してみました。ビックリしたよ!児島巳佳の演技に。もちろん作品が完成した時点でも僕は満足していましたが、いま見るとメチャメチャレベル高いですね彼女の演技は。現在、一流の女優と呼ばれている人の演技に比べても全然遜色ないというか、それ以上。決して表情で伝えようとはせず、でも微妙なニュアンスによって豊かな感情表現ができている。そのバランスが絶妙なんです。こんな芝居、いま何人の女優がやっているんだ?とマジで思いました。
そんな実力があった児島巳佳には、いろんな野心や夢があったと思います。彼女の口から聴いたこともありました。しかし、結局、実家から志半ばで強引に呼び戻され、女優としての活動を途絶させざるをえなかったようです。
松田いちほ、城野みさ、愛禾みさ・・・児島巳佳だけではなく、いま僕の脳裏には、Vオリの世界で、実力を持ちながら、その志を大輪の花と開かせることのなかった女優たちの姿が走馬灯のように浮かんできます・・・


撮影は、福沢正典さんです。福沢さんは、本数的には志賀葉一さんもしのぎ、デビュー作以来、僕の作品を一番多く手がけてくれたカメラマンです。
福沢さんは、「ジェントルマン」といわれるその人柄が表すとおり、とにかく端正な画面を撮ってくれます。かといってスタイリッシュに堕ちず、芝居をきっちり掬ってくれる。
成瀬巳喜男キャメラを担当した玉井正夫が好き、僕は厚田派ではなく玉井派です」とつねづね語っていましたが、その言葉どおりの古典的な画面作りに、僕は全幅の信頼を置いています。志賀さんが対象を“切り取る”タイプなら、福沢さんは対象を“包み込む”キャメラというのか・・・
何より、女優を綺麗に撮ってくれる福沢さんの手腕に、僕はずいぶん助けられました。
しかし、その福沢さんも、現在はTVドキュメンタリーの仕事に面白さを感じているようで、ドラマに再び戻りたいという気持ちを持っていないようなのが、残念でなりません。


音楽は、僕がピンク映画ファンだった時代に、水谷俊之監督や磯村一路監督のピンクの音楽を担当、そのカッコいい音楽にシビれていた坂口博樹さん。今回は、メロウな音楽が得意な坂口さんの直球ストライク路線のスコアを書いていただき、素晴らしい音楽となりました。


この映画というと、中盤に展開する「プールのシーン」が良い、と最も印象的なシーンに挙げてくれる人が多く、井川さんも、僕が「どうしても」とプールという場所にこだわった印象を持たれているようです。
確かに、撮影できるプールを求めて、先に内藤忠司組が撮影していた伊豆高原のホテルに乗り込み、ワンシーンだけ撮影して帰ってきたのは事実ですが、僕自身は、そんなにプールにこだわったつもりはなかったんです。シナリオでは「ボイラー室」に設定されていたそのシーンが、実は空間的広がりを要求している、というのが、シナリオを読むと自然に分かるんです。これは、僕自身のシナリオの読みの力がどうこうという問題ではなく、単純に、井川さんのシナリオに「そういう場所で撮れ」と書かれていたんですね。井川さんのシナリオには、そんな風に、読みての想像力を刺激するものが孕まれている、ということです。


加えて、僕の作品のほぼすべてを手がけている照明・赤津淳一さんの確かな技術も支えてくれたこのシーン、もちろん僕自身も気に入っていますが、いったいどんなシーンなのか、来る5月27日(日)の、常本上映会で、ぜひ確認してもらいたいと思います・・・



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