『食卓の肖像』制作について(金子サトシ)

僕は大学生の時に土本典昭監督の水俣病の映画に感銘を受けたということもあり、公害の問題には特に関心があったのですが、2000年8月、あるNGOの人達が、カネミ油症(1968年に発覚した戦後最大の食品公害)の被害者が多い現地の長崎県五島列島に行き、自分達で被害の実態を調査する被害者達の検診を行なう予定であることを知り、飛び入りで参加させてもらいました。全く飛び入りで参加したので、撮影できるか否かも分からなかったのですが、小さいデジタルビデオカメラをカバンに入れて行きました。そこで、自らも被害者であり、被害者救済運動を中心になってされてきた矢野忠義さん、トヨコさん夫妻と知り合い、トヨコさんの豪快な人柄に強烈な印象を受けました。撮影は不可の被害者の方達もいたのですが、矢野夫妻はどんどん撮りなさいという感じでしたので、撮影しました。その後、しばらくは他の仕事などをしていたのですが、2005年頃、カネミ油症の集会に再び、参加し、矢野夫妻とも再会しました。実は、当初は、矢野トヨコさんを中心にした映画をつくろうと思っていたのですが、再会した頃にはトヨコさんの病状はかなり悪化していて、入退院を繰り返したりされていて、トヨコさんを中心に追いかけるのは考え直し、とにかく他の被害者の人達のインタビューを進めていきました。その頃は、あくまでカネミ油症の被害についてに絞った作品をつくろうと思っていました。しかし、インタビューをしていくと、 被害の話だけでなく、被害にあってからどのような人生を送ってきたかなど、いろいろな話が取材した人達の口から出ました。それを聞き直してみると、こうしたそれぞれの人生の話はカネミ油症と別のこととしてあるのではなく、それぞれの方の中で結び付いてあるのではないかと思えて来て、こうしたいろいろなエピソードを盛り込んだ方がより立体的にカネミ油症被害とはなんであるのかも浮かび上がらせることになるのではないかと思えて来ました。特に、カネミ油症を体験したことで、食生活がどのように変わったか(なるべく添加物が入っていない自然のものを食するようになったなど)を語る被害者の話は、食品公害とは被害者にとってどういうものなのかを示唆しているもののように思えて来ました。そこから、カネミ油症とは決して過去の問題ではなく、今に繋がる身近な食の問題なのかもしれないと考えました。そうした視点を入れてまとめたのがこの『食卓の肖像』という作品です。