『制服の娼婦』撮影日記(渡辺護)


(このエッセイは『映画芸術』1974年6〜7月号に載ったものです)


こんどは女高生売春でいこうとホンヤさんにいったのが確か四月のアタマ。15日頃までにというのに一向に書いている気配もなく、相変らずゴールデン街で飲んだくれているらしい。とにかく30日にはホンが欲しい。もうアイツはツカワナイ、ホントに今の若い奴はなどと助監督に八ツ当りしていると2日の夜青い顔してデキマシタと届けにくる。実に不健康な生活を送っている。目を通す時間も惜しんで、即、印刷屋へ送り込む。タイトルは「制服の娼婦」印刷が上がったのが4日夜遅く。悩まされる撮影になりそうなホンである。とにかく8日インする。あまりまわらない。ホンを片手にホンヤの名前を叫んでみる。「アライーッ! アライーッ!」実に不器用でヘタクソなホンを書く。自分の不健康さを棚に上げ、いつも偉そうな事をホザいて飲んでいる。さて問題の主人公がロッカーに子供を捨て乳がはって、恋人にオッパイを吸わせるシーン。子供を産んだ後だから乳首が黒ズンでなくてはいけないというので助監督ドーランで色付けをする。テスト、助監督さんが牛乳を俳優さんに含ませる。そして、その黒ズンだ乳首に口をあてて吸う。乳が流れて行く。なかなか、神秘的で良い感じだ。(本番行けばよかったなあ……)。「今の感じで、本番!」、ジーッとマワリ出す。テストの時と違ってややオーバー気味でグロテスクだ。「NG!」アレ? 白いハズの乳が段々コーヒー色になって流れている。ドーランのせいだ。これではミルクコーヒーだ(フィルムが高くなったのに……。やれやれ。)次、妊娠している腹を、ザブトンをあてたり、タオルをあて、その上をサラシでまいて作っている。助監督の仕事だ。それをカメラ助手や照明助手がヤジ馬的存在で手伝っている。「カントクッ、何ヵ月位のオナカにしますか?」オレ「知るもんか、七ヵ月位にしようか」かなりいい加減。「大きければいいのさ、ハラがデカいということを誇張すればいいんだから」性教育映画を撮ってるわけじゃあるまいし、こっちはアヴァンギャルド映画なんだからとイキガッテひとりごちる。撮影助手「それじゃ小さすぎるから、そこにある週刊誌をつめこんでみろよ。」助監督「こんなもンでどうでしょう?」カメラマン「そんな上で息が出きるかよッ! ヘソからツキ上げるように作れよ。妊娠すると胃下垂が直るっていうぐらいだからな。胃のちょい下の感じだ。おマエそれじゃ心臓に子供がいるみたいじゃないか。ホントにオマエはもう、これで何本目だ。大体オマエは気を入れてやってない。ちょっと頭を使えばわかりそうなもんじゃないか。ただ女とヤッテればいいってモンじゃないぞ!」さすが二人の子持のパパ。腹ボテ作るのに二十代の男が汗を流して大変な騒ぎだ。助監督二十四歳、ウチに来てそろそろ一年。デカイズータイのワリに気が小さい。大きな肉体に小さな精神か? 蒸発経験有り目下同棲中。オレだって知ってるさ、月のモノが止まってお腹が大きく成ればニンシンしたって事位は。しかしその程度の知識で出産のシーンを演出するなんて全く自信がない。あたりまえの事だが一応演出家はそれが判ろうと判るまいと演出しなくてはならない。オレは子持ちのスタッフに助けを求める。監督という威厳を損なわないように。これが難しい。「産婆なしでも子供って出て来られるのかねえイケちゃん」池田「産婆なしでも一人で産めるらしいですよ、月日がたてば自然に子供は出て来るから用意しておいた刃物でヘソの緒を切れば良いんですよ。だからロッカーに捨てたり出来るんじゃないですか」とか「南方の未開地の女は、両手を木に縛りつけて産み落とすと云うじゃありませんか」雑談で時間が過ぎてゆく。スケジュールはまだ半分も消化していない。「撮影期間四日」プロデューサー兼監督としてはアセッてくるがやむを得ず「コーヒータイム!」の宣言。例によって雑談はワイ談にエスカレート(オレの気持ちも知らないで……)撮影再開。ヤケ気味になりながら出産シーンを自演して見る事にする。ああ


『制服の娼婦』(74年)

製作:大東映画、配給:大蔵映画
監督:渡辺護、脚本:荒井晴(荒井晴彦)、撮影:池田清二、照明:斉藤正明、記録:豊島睦子、音楽:林伊久太郎、編集:多毛村春二、助監督:萩原達
出演:宮圭子(モモ)、田中明(ヒデ)、木村則子(テン子)、小山洋子(フー子)、手塚みえ子(ワカ子)、青山美沙(スナックのママ)