「みつかるまで」が目指したもの(常本琢招)


映画美学校で生徒たちと映画を撮るとなったとき、まずは商業映画としてのウリを考えなくて良いと理解し、まあ、好きなことをやれや、ということだろうと受け止めました。
それで考えたのは、普段はやれないことをやってやれ、ってことです。
普段はやれないこと、というか、やるつもりもなかったことなのですが・・・・自分自身が映画に目覚めた、ある意味で原点、しかし「恥ずかしさ」からまともには向き合ってこなかった“ある映画群”と正面から対峙し、そこから受け止めてきたものの返歌になるような映画を、この際コッソリ作ってやれ、と思ったのでした。
その映画群というのは・・・「1970年代前半の東宝青春映画」


これには少々説明が必要で、僕は1960年代から70年代にかけての東宝映画を観て(僕が育った仙台では、1970年代後半、それを集中的に観ることが出来た)育ちました。その記憶が自分の映画的土台になっていると思っています。
中でも特に愛しているのは、西村潔、小谷承靖岡本喜八らが監督した、映画として「まっとうな」面白さを持った作品たちなのですが、その一方で、誰の記憶にも残っていない、吹けばとぶような、脆弱だけど、よく言えば繊細な良さを持った、一群の作品たちがあったのです。
『みつかるまで』が目指した「1970年代前半の東宝青春映画」は、そんな映画です。


その内容を強引に総括すれば・・・・ひ弱な主人公たちが甘ったれたことを言いながら、「やさしさ」を売り物に煮え切らない青春を送っている、そしてそれを描く映画の描写もどこか線が細く影が薄いという、思い出すだけでこそばゆくなってしまう一群の映画たちです。
当時、嫌だな〜〜と思いながら観て、結局今でも記憶にまとわり続けている映画たち。やっぱり、そんな奴等が好きだったんでしょう。『みつかるまで』は、今では誰も語らない、奴等への供養のつもりで作りました。
この際ですから、その一部をご紹介しましょう。


(1)『蔵王絶唱』(1974・山本邦彦監督)
 上に上げた定義を完璧に満たす映画がこれですね。
一言でいえば、高校生と女教師の恋愛物で(織田あきら高橋洋子)、片方が蔵王への登山で遭難する、という話なのですが、甘ったれた高校生が良い気な恋愛をする、とあっという間に切り捨てられるストーリーです。
ただ、晩年の西村潔を支えた市原康至のキャメラが、ポイントポイントでまるで「ルルーシュのような」望遠レンズを多用、突出して凝った絵作りをしたり、井上堯之の音楽が、この直前に公開された『青春の蹉跌』を自己模倣したような曲調で、ベタベタにセンチメンタルな作品世界を構築、今に至るまで忘れられない映画になっています。

監督の山本邦彦はほぼ青春映画だけを撮っていた人で、宇田川幸洋の「その作品の中に朝露のようにきらめく映画感覚の冴えと感性のやさしさは見落とせない」との評がまさに言いえて妙で、映画監督をしていたのがほほ6年間だけというのも、「1970年代前半の東宝映画」的な人です。
実はこの映画、先日、25年ぶりにスカパーで観たのですが、主役の男女が都電に並んで座り、会話をするのを延々ワンカットで取っているシーンがあって(記憶では何駅にもまたがるワンカットだったのですが、そこまで長くありませんでした・・・)、その電車の中の二人の映像が、『みつかるまで』にいかに影響を及ぼしているかに気付き、愕然としました。分かりづらくてスイマセン。


(2)『制服の胸のここには』(1970・渡辺邦彦監督)
実はこの作品、(1)とは違って映画としてまっとうに面白く、先にあげた定義とはちょっとずれています。
むしろ渡辺邦彦(邦男の息子)が撮った「1970年代前半の東宝映画」的な作品としては、1972年の白鳥の歌なんか聞こえない』を挙げるべきで、その中で早朝のシーンがあるのですが、そのシーンに漂う清冽さは『みつかるまで』の早朝シーンでも影響を受けています。しかしここはどうしても、『制服の胸のここには』を愛しているので挙げておきます。
一本気で自分なりの倫理を持つ主人公、彼を見守るヒロイン、主人公に一目置きながらも対立する不良(大木の下での2人の喧嘩が長回しで撮られる)・・・
生き生きしたキャラクターが本当に気に入った作品でした。


 今ではほとんど観るすべもない映画たちで、勝手な独り言になってしまいましたが。
こんな映画たちに後押しされて、『みつかるまで』はこの世に生まれ出てきた、というわけです。