『視界肉体旋律暗号』(第9期初等科修了製作)



監督・脚本 大橋礼子
キャスト:前川あや子、目代雄介、渡辺美穂子、天野直子
スタッフ:照井一慎・小川拳・春日和加子・野村英司・名倉愛・朴潤・皆嶋総一郎・結城朝子・古川智教・成清翔太・光野裕治・加藤学・伊藤学



あらすじ
 彗星の塵が舞う、2022年。古沢鳥子の元にある手紙が届く。音信不通の、幼なじみ・鉄魚の死期が近いという知らせだった。動揺を隠せない鳥子。一方、失明した鉄魚の傍にはいつもカメラがある。何を撮っているのか、妻は首を傾げるばかり。
 鳥子は鉄魚と再会するが、彼は記憶を無くしていた。突然彗星が速度を早めたのと比例するかのように、鳥子の鉄魚への思いは加速する。そんななか、不思議な赤毛の少女が箱を携えて現れる。箱の中身を見た鳥子は、もう一度、鉄魚に会いに走り出す。時間、写真、肉体、彗星、恋する心が交錯する、恋愛SF!


「焼きつく」こと、「忘れる」こと(大橋礼子)

 自分の目に見えているものが、人にも同じように見えているかは永遠に分からない。考えていることも、味だって好みだってそうだ。大体のところで、そうに違いないというレベルで予測し合っているに過ぎない。どっかの哲学家がいうまでもなく、そんなことは自明のことです。
 イメージや言葉はそれを補うものである。だとすれば、それらのツールを得ている現代人ではそのレベルはぐんと上がって互いのことが分かり合えてよっしゃ! なはずなのに、そうもならない。写真や映画はそのレベルを画期的なまでに上げたはずなのに。
 結局は個々人のフィルターが問題で、それを分析できるマシーンなぞが発明されるまでは人間は理解しえないのです。そして、そんなのが発明されたら、恥ずかしくてたまったものじゃありません。


 話はそれて、私には、写真の仕組みが未だに謎です。対象に強い光を当てると、特殊な薬品を塗った紙にその像が焼きつくのだとか。すごい! すごくないですか? 例えば魔女が村人に「なんたらかんたら」と呪文をかけ、その村人の魂が古文書に閉じ込められてしまうとか、そういうのはすんなり納得できるのです。写真を撮られたら魂を吸い取られるとか、そういう迷信のほうが理解できます。
 ほかの人はどうなんでしょうか。私の頭が文明開化していないということでしょうか。きっとそうなのだと思います。私にとっては、写真の仕組みは魔法なんです。


 レンズは瞳と同じ原理だとされますが、欲望をもって被写体をカメラに収めるように、欲望をもって目で何かを見る時があります。そうして目に焼きついたあるイメージは、音やにおい、味とともに記憶になり、まさに写真のように蓄積されていく。


 では、「忘れる」というのは一体どういうことなんでしょうか。
 ある記憶をりんごに置き換えてみるとします。りんごが全く消えて無くなってしまうのか。それとも無くならないが、どこかに隠れてしまうのか。すりおろされたり、うさぎにされたりして、どんどん変形していくのか。実はりんごにはテレポーテーション能力があって、別の場所に移動してしまうのか。実はりんごにはタイムリープ能力があって、時空を飛び越えてどこかに行ってしまうのか。実はりんごには変態能力があって、自ら姿形を変え得るのか。
 うーん、文明開化していないので、分かりません。


 人によって見えたり見えなかったりするものが写った写真なんて、世の中にごまんとある。となると、心霊写真とか呪いのなんとかとかそういうので騒ぐのがばからしくないですか。自分の目に見えていないものばかりだということです、この世の中は。
 1月下旬、昼下がり、駅の通路を歩いていました。ある少年が、そこをスケボーでがーっと音を立てて走っていました。他人なんか知らねーよという涼しい顔で、飄々とスケボーを乗りこなしている彼。うるさかったです。迷惑でした。でもなぜか、その高潔なまでに傍若無人な態度ですいすい人波をくぐる様子に、爽快感と希望を感じたのです。彼の姿が焼きつきました。そういえば、彼はほかの人には見えていなかったのかもしれません。だって、誰も注意しなかった。


「スケボーが時間と空間を切り裂いて」、「それに乗ったメッセンジャーが、過去と未来を自由に行き来する」、「ある男女がいて、どちらかがどちらかに何かを伝えようとしている」、「メッセンジャーがかわりにそれを伝える」という話はどうかと思いつきました。
 それでシナリオができ、撮影、編集したのがこの作品です。写真の仕組みは文明開化で、メッセンジャーはりんごで、りんごが男で、男はメッセンジャーにもなります。自分含めスタッフ全員、大童でした。よろしければ、ご覧ください。