大工原正樹――「大きな男」((代筆)常本琢招)

監督・大工原正樹の、その「人となり」について書け。
古くからの知り合いだという理由で、俺に回ってきたオハチ。確かに付き合いは長いが、実は大工原について、もっとも精確に、かつ愛情を持って書けるのは、大工原と俺の共通の先輩である、監督の鎮西尚一氏だと思う。
だから、この文章、本当の適任は鎮西氏なのだが、“書くこと”を極端に嫌う鎮西氏ゆえ、俺が「代筆」する気持ちで書いている次第です。


大工原と俺が最初に出会ったのは、中村幻児監督が率いる「雄プロダクション」(当時、広木隆一監督、石川均監督らが所属していた、ピンク映画の制作会社)に、助監督として入ったとき。あれは・・・1985年だから、なんと21年前!客観的に数字で見ると、ものすごい昔に感じますね。昭和60年ですよ。リア・ディゾンなんてまだ生まれてなかった頃ですよ。
そのとき助監督になったのは大工原と俺の二人だけ。お互い現場未経験の二人は、身を寄せるように助け合いながら映画という大海に船出した・・・なんてことはなくて、初めのうちはお互いを探るように見ていたと思う。


当初の大工原の印象は・・・「茫洋とした男」。信州出身の故なのか?常にゆったり、のんびりと構えて、つかみ所がない。“ええとこのボン”そのもの、といった感じで、卑しい自分とは違う人種だな、と最初は思っていたことを覚えている。
その頃の大工原は決まって、声をかけると、まず「あー」という返事がかえってきた。その「あー」という返しがまた茫洋として大工原らしく、後輩の金田敬(現監督)と俺の間では、「あー」という大工原の返事を真似するのが流行ったのだった。


助監督時代、現場の大工原で印象に残っているのは、“赤猫”ならぬ“赤目”。
徹夜が続くピンク映画の現場で、深夜になるとコンタクトをつけている大工原の目は決まって真っ赤になり、それを見ると夜も更けたことを実感するのだった。(その赤い目が可愛いと、女優陣に評判だったりしたものだ!)
そういえば、広木隆一監督の現場でプールで撮影したとき、コンタクト装着を忘れて水の中に入り、コンタクトが外れて大騒ぎになったことがあったが・・・


そんな“天然ボケ”な部分が目立った大工原だったが、次第に、映画や人間に対するジャッジでは本当に厳しい眼を持っている、ということが分かってきた。映画に対してはもちろん、先輩でも、映画的につまらないと思えば「駄目」とハッキリ切り捨てる。実にストレートな男だった。そして、そんな自分のストレートな部分を、自覚して演じているのではなく、無意識にそう振舞っているのが、凄いところだった。
大工原自身の映画の好みがどんなものか気になって探ってみると、実にスタンダード。
マキノ雅弘加藤泰森崎東イーストウッド・・・(加えて、つまらないプログラムピクチャーも、キッチリたくさん見ている)
人間的にも、映画的にも、こいつは、とことん「王道」を行く男なんだなあ、大工原の“大”は“大人(たいじん)”の大、なんだなあ、と思い直し、ヒネクレ者の俺も、当初の「茫洋」→「大きな男」、と思い直すようになったのだった。大工原には言ったことないけど。


助監としての大工原は、意外とできる奴だった。『菊池エリ・巨乳責め』という広木隆一監督の現場についたときのエピソードがある。
この作品、ロケ場所が地方(山梨のリゾート地だったか?)と東京、大きく2つあり、それを6日くらいのスケジュールで収めなければならず、前半の地方部分は、どうしてもスケジュールを押すことが出来ない状況だった。それがふたを開ければ徹夜続き。現場が押しに押したことに加え、東京では予定していたロケセットが使えなくなったり、役者の一人が酸欠状態で倒れたりとトラブルが続発、スケジュールが空中分解しそうになったのだ。それを、スケジュールを管理するチーフ助監督の大工原は、持ち前の誠実さと粘りで関係諸方面を懐柔、何とかクランクアップまでこぎつけたのだった。
一見温厚な広木監督は助監督には冷淡なタイプで、あまり本音を見せることがない人だったが、この現場が終わったときばかりは、大工原の前にやってきて、「今回は、ありがとうございました」と、頭を下げた。広木監督はこんなことを絶対にしない人だったので、びっくりしたのを覚えている。


そして、『六本木隷嬢クラブ』でデビューして、今年で17年目。大工原の映画はほとんど見ているが、大工原の映画ほど、「映画は人なり」という言葉を感じさせるものはないと思う。どちらかというと緩やかなリズム。衒いがなく、真っ直ぐな演出・・・
どれをとっても、大工原という人間そのものだ。そこがいい、と思う。


もう少し詳しく言おう。決して焦らない大工原は、映画においてもゆっくりと進む。大工原映画のカット割りは、現在主流になっている、めまぐるしい「割り」とは対照的に、現在の劇映画の平均か、それを少し下回っているくらいではないかと思う。かといって、“緩やか”であっても“緩慢”ではなく、カットが少なくて薄っぺらな印象を与えることもない。
また、その演出も、映像的なギミックを使ったり奇を衒ったトリッキーなことはめったにせず(俺などは、これが無いと作品が成立しない)。ほとんどが固定画面で、対象を真っ直ぐに見つめ続ける。大工原自身の誠実さがそのまま出ているように!


それが最も端的に、分かりやすく表現されているくだりが、代表作といわれる『風俗の穴場』の後半にある。ヒロインが自宅の一軒家で行っているファッションヘルスに、やくざがイチャモンをつけに来て騒動を起こし、それと同じ場所、同時並行で、ヘルス嬢の一人が生き別れになった父親と再会し心を通わせる・・・というシーンだ。7人の登場人物たちが、およそ14分に及ぶ2つの芝居を同時に行い、あるときはハラハラさせ、あるときはジーンと泣かせる・・・という難易度の高い演出を、大工原は一度の移動も使わず、何人かの登場人物をフレームに納め続ける固定画面の連続で、やすやすと成し遂げてしまうのだ。このくだり、演出を志す者は、ぜひ研究してみるといいと思う。


と、大工原の演出家としてのウデを絶賛してしまったが、いま、彼の心中は、期するものがあるだろう。今以上の飛躍をしたいとも思っているだろう。
ホンが書ける人、と思われないと監督としても生きにくいこの時代。いままで、自分では書いていない大工原に、これからは、もっとシナリオにかかわってみては、自分がとりたい企画をもっと打ち出してみては、とアドバイスしたい。これは、大工原とほぼ同じ道をたどってきた俺にも、もろにかぶさってくる問題で、まったく他人事ではないのだが・・・