『六本木隷嬢クラブ』解説(大工原正樹)

 どういう経緯で撮れることになったのかよく覚えていないのですが、88年の夏ごろ、にっかつの買い取り作品が「エクセス」という新しいレーベルで制作されることになってすぐに、「1本撮らないか」という話になりました。その前年、セカンドでついていたロッポニカ映画『ひい・ふう・みい』の監督だった村上修さんがご祝儀でホンを書いてくれることになり、何度か打ち合わせをしたあと、秋ごろには初稿が上がりました。しかし、にっかつの担当プロデューサーから「話がピンク映画らしくない」と難色を示され、一旦この企画(「眠り姫」というタイトルだった)は流れたのです。
年が明けて正月、帰省していた実家に製作会社のプロデューサーから電話が掛かってきました。「事情があって春の番組に穴が開いたらしい、あのホンを少し直して入ってくれないかと言ってるんだけど、どうする?」「あ、やります」「公開から逆算すると、10日後にはクランクインしないと間に合わないんだけど」「・・・・・・・・・・」。
そんな話ばっかり書いているような気がするのですが、とにかく、3日ほどで村上さんがカラミの描写を増やした直しを上げてくれ、にっかつのOKも出ました。残りは1週間。しかし、助監督が他の仕事で出払っていて、チーフがクランクイン当日からしか来られない(!)という。その上、「セカンドも見つからないんだよ。昨日静岡から出てきた助監督志望の青年がいるからさ、その彼を使って準備をしてくれないかなあ」というプロデューサーの言葉に愕然としながらもその彼に会い、話しを聞くと、案の定まったく映画制作の経験はないという。仕方がないので一人で準備を始めました。自分でスケジュールを書いて、ロケセットはなるべく前から知っているところに限定し、オープンだけは電車でロケハンしてようやく7割がた決まったところでタイムアップ。メインロケハンもろくにしていないのに、後は撮影しながら助っ人のスタッフに探してもらうことに。美術はロケセットの飾りこみは不可能、重要な小道具すら半分しか調達できないまま撮影に突入しました。
撮影のときのことはほとんど覚えていません。とにかく5日間で5時間くらいしか寝られなかった。何もかもが準備不足だったのです。よく乗り切ったと今さらながら思います。演出が駄目だったとか、そんな高尚なレベルではないドタバタの連続でした。昔バイトをしていた縁で貸してもらった文芸座ル・ピリエの客席を小麦粉だらけにしてしまい、朝まで掃除していたとか、夫婦のマンションを撮りきれないまま追い出され、結局ラブホテルで撮ったとか、最終日、アリ2C(音のうるさいカメラ)が耳元で機関銃のような音を立てて回っているのに本番中に眠ってしまったとか・・・思い出したくないことが多いのでしょう。一頃よく見た悪夢があって、それは、ロケバスに乗っていてもうすぐロケ地につくのだけれど、その場所は初めて行く場所で、台本を開いて見つめているのに、そのシーンは今初めて読むシーンで、一体どう撮ったらいいのかさっぱり思いつかない、というものです。このときの撮影はその悪夢に非常に近いものでした。26歳の苦い思い出です。


若菜忍は、彼女主演のロマンポルノに助監督でついたことがあり、前から知っていました。にっかつがロマンポルノ新人女優コンテストのような催しをしたときの優勝者だそうです。
徹夜続きの現場では、家に帰っても1時間しか居られないなんてこともあります。それでも女優はシャワーを浴びたり服を着替えたりしなければならないから帰るのですが、当然寝る時間はないわけです。しかし、そういった疲れを他人には全く見せない人でした。神経質になることもなく、いつもリラックスした表情で現場に居続けました。そんな彼女のタフさが、余裕のない現場ではなにより頼もしかったことを覚えています。
叶順子は、同姓同名の大映スターとはなんの関係もありません。この頃、ピンク映画とロマンポルノはオールアフレコでした。セックスシーンの艶かしい声は、息を吐き続けることになるので、時々酸欠になる女優がいます。彼女もアフレコ初体験で頑張りすぎたのでしょう、本番中に酸欠で気を失いました。ソファーに寝かせて回復を待ったけれど、うわごとが続きなかなか意識が戻りません。
結局タクシーで病院に運ぶことにしたのですが、そのときの、目を瞑りうわごとを言っている彼女の表情がなんともいえず美しく、思わず見とれてしまいました。途切れ途切れに彼女の口から漏れる言葉がまた切なく、美しいもので、スタジオに居合わせたスタッフはみな異様な感動に包まれました。その内容は彼女の私的なことに関わるのでここでは書けませんが、引退した眠り姫の役だった彼女のこういう姿を、なぜ映画の中でイメージできなかったのだろうと悔しい思いをしたものです。
アフレコの方は、芝居のセリフはすべて録り終えていたものの、カラミがワンシーンだけ残ってしまいました。代役を呼ぶこともできない深夜だったので、眠り姫役の立花粧子に頼んで吹き替えてもらいました。
立花粧子は、3番手の女優がなかなか決まらず、撮影前日の夜に面接で決めた娘です。マネージャーの話ではその前の日にスカウトしたばかりだということでした。つまり、街を歩いていたら、いきなりピンク映画の現場に連れてこられて女優になってしまった、てなもんです。セリフが一言もないので何とかなったのですが、彼女自身はまったく物怖じしない娘で、いろんなことが珍しかったのでしょう、それは楽しそうに撮影していました。
徳井優さんは、引越しのサカイのCMや『Shall We ダンス?』で有名になってからはコミカルな脇役として引っ張りだこですが、シリアスな役を演ってもかなり格好いい役者です。この映画では、自分の過去も現在も多くは語らない男の存在感をキャラクターで見せなければいけないのに、現場では全くそういう演出が出来ずに終わってしまいました。しかし、仕上げの段階で繋がったものを観ていると、不思議と何かが伝わってくるような気がしました。徳井さんの芝居に助けられたのだと思ったものです。
夫の役には、熱狂的な酒井和歌子ファンだったプロデューサーが「テレビで酒井和歌子の恋人の役をやった人なんだよ!」と興奮して連れてきた草間正吾さん、女たちを犯す「眠り姫クラブ」の客には、劇団「燐光群」主宰の演出家・坂手洋二さん、今はピンク映画の監督もやっている清水大敬さん、ベテランの萩原賢三さんなどに出てもらいました。