自作解説<制服本番 おしえて!>篇(常本琢招)

どうも、常本です。好きな女優はアーシア・アルジェント!これから、自作の数本について、いろいろ解説めいたことを書き連ねていきたいと思います。
常本の家庭的に支障あるアブナイ話も、いろいろ出てくるかもしれないので、合言葉は「妻にはナ・イ・シ・ョ!」で4649!!!


一回目は、商業映画デビュー作の『制服本番 おしえて!』から。
撮影が1990年の1月だったから、準備がはじまったのは前年、1989年のことでした。この年、同じ制作会社に属していた大工原正樹がデビューしたので、助監督としては使えないけれども常本も一本立ちさせないわけにはいけないだろう、みたいな事で決まった昇進だったと思います。


処女作を撮るとき、監督にとって一番大切なことはなんでしょうか?僕にとってそれは、自分が「他でもない、“この映画”を処女作として監督できる」、という手ごたえ・確信をどこで持てるか、ということでした。澤井信一郎の言う「処女作における、監督のおびえ」をどうやって解消できるか、と言い換えてもいいかもしれません。
自分の場合は、それについてどうしていいか皆目判らず、とにかく、「カラミ」という、どう撮れば映画として成立するかわからない行為がメインとなる映画を撮ることに、戦々恐々としていたのでした。


まずは、シナリオ作りをしなくてはなりません。制作会社で直属の先輩、石川均監督にお願いしました。(僕が1本目を撮ったエクセスという製作・配給会社では、新人がデビューするには、会社的に信頼できる人の後ろ盾が必要だったのです)
実は石川監督の前に、日活の、ある監督にホンをお願いしていました。何か新しいものが出るか、と期待してのことでしたが、結果は2ヶ月間、渋谷の喫茶店で顔を見合わせるだけで、タイムアップ。こちらに、“これをやりたい”という確たるモノがなかったのが、最大の敗因でした。それで、石川監督にお願いするときに決めたモチーフは・・・


僕が、生涯の何本かに入れてもいい大好きな洋画に、クロード・ミレールの『死への逃避行』がありますが、それをピンクでやろうとしたのです。実はその前にAVを一本撮っていて、その主演をしていた「松本まりな」という女優ならイケる、と確信があってのことでした。しかし・・・石川さんに書いてもらった初稿は、即NG。OLが関係した男を次々殺していき、それに気づいたラブホテルの従業員が絡んでいく、という内容に、会社が恐れをなしたのでした。
それに対し、石川さんの出した結論は・・・「OLの設定はやめて、女子高生にしよう。ヒロインの犯罪も、殺しじゃなく、盗みにしよう。常本、女子高生の8ミリ映画撮ってるから、そういうの得意だろ?」
この一言で、僕のデビュー作は決定したのでした。ちなみに、出来上がった作品は、同じミレールの『小さな泥棒』との類似を指摘されましたが、意識したのはあくまで『死への逃避行』。結局、ミレールもやってることは毎回変わらない、ということですね。ミレール、もう一度犯罪映画に復帰して欲しいものです・・・


出来上がった脚本は、当然のことながら石川さんの世界が色濃い内容。それを、デビュー作で怖いもの知らずだった僕は、なんということでしょう、助監督の荻野洋一君と共同で、ほとんど原型がないほど書き直してしまったのでした。石川さんには「俺の名前を利用して、好き勝手やったな」と怒られましたが、許してくれました。


ヒロインが、AVに出演していた山下麻衣に決まったのは、どうしてだったか・・・プロデューサーが決めたのは、間違いありません。面接で最初に会ったのは、六本木のアマンドでした。プロデューサーが「今度このシナリオで、こいつがデビューするんです」と僕を紹介すると、山下麻衣はシナリオを手に取り、僕を真っ直ぐに見て、真顔でヒトコト、
「よかったですねー。で、主演は、どなたなんですか?」。
これには、コケました。
いやいや、あなたにお願いしたいんです、と説明するプロデューサーの横で、僕は山下麻衣の眼を見ていました。意志の強さが伝わってくる眼で、ひょっとしたら、これなら大丈夫かも・・・と思ったのを憶えています。
大工原君は、主演女優の決め手を、おっとりした雰囲気で選ぶ、というようなことを言っていましたが、僕の場合は“眼”が決め手になっているような気がします。強い眼をした女性を、なぜかチョイスしてしまう傾向があるようです。


男の主役は、前川麻子が主宰していた劇団『品行方正児童会』の看板俳優・田辺広太。当時、僕は前川麻子にシナリオを書かせようとしていたので、その縁で知り合ったのでした。僕の作品では、女優に強い眼の女を選ぶように、男の主役クラスの俳優はなぜか少年くささを残している役者ばかりをチョイスしている、と、だいぶたったある日に気づいたのですが、田辺は、今思うとその走りだったのでしょう。本人も、大人になりきれない、子供のような男でした。
山下麻衣と田辺広太は並ばせるとバランスがちょうどよく、釣り合いが取れており、それもありがたかったのを憶えています。


その後必ず行うことになったリハーサルは、この作品から取り入れています(2日間)。
最初は、自分の好きな監督もやっているから・・・という、ミーハーな理由で、手探り状態でやり方もわからずはじめたのですが、2日目になって、役者たちの芝居が、少しづつ変わってきました。それを目の当たりにした時の驚きは、今でもはっきり覚えています。それまで、役者本人の動きでしかなかったのが、ある瞬間から役のキャラクターが乗り移ってきた感じというのか・・・
特に、山下麻衣はどんどん輝いてきました。はじめのうちは、待ち時間の間はよく笑う、普通の女の子といった風情だったのが、次第に周囲と距離をとりはじめ、超然とした一人の時間に入り込むようになったのです。そんな山下を見ているうちに、僕は(初めにも書いた)作品を作る手ごたえについて、主演女優をこのまま輝かせることに集中すればいいんだ、それが達成出来ればこの映画は造る価値がある、と確信できたのでした。
そして、女優を輝かせることが映画を輝かせることだ、という確信は、ある時期まで、僕の映画の確固とした芯になり、それが良い点でも悪い点でもあったように思います。


撮影が始まりました。問題は、カラミ、セックスシーンです。どうやって撮っていいか分からない。撮影前に、カラミがいやらしい小沼勝監督作品を見て勉強しましたが、到底同じことができるはずもない。結局、中途半端でだらだらしたカラミにしかならず、この映画で一番反省している部分です。
カラミはその後の作品でも鬼門で、要するに「臨場感」が出せない、ということなのですが、なんとなくいやらしく撮れる感触が遠くに見えてきたのが『黒い下着の女教師』、これならいやらしいか?と自分で納得できたのが、たぶん最後のVオリ作品になる『恋愛ピアノ教師』でしたから、長い道のりでした。


そのほか、撮影中のことで、憶えていることを断片的に列挙すると・・・

○女優の叶順子が優しかった。叶順子の部屋のシーンでバテて横になっていると、頼みもしないのにマッサージをしてくれたのです。後にも先にも、女優にマッサージをしてもらった経験なんて、この時しかありません。また、撮影中、叶順子が食い入るように本を読んでいるので、なんだろう・・・と覗き込むと、蓮実重彦の「シネマの記憶装置」だったので、びっくりした記憶は鮮明です。(彼氏から借りたらしい)

○5日間の撮影が中盤に差し掛かったとき、「このまま行くとこの映画、失敗する!」と突然気づき、ゾッとした。肝心なその理由については詳しくは覚えていませんが、ヒロインの行動理由が、イマイチ説得力に欠けるということだったか・・・あわててそれから軌道修正したのですが、そのまま撮っていたら、この映画、確実に失敗していました。どんなに準備しても映画には落とし穴があると思い知らされ、映画を撮るという行為の奥深さを思い知らされたのでした。

○僕は、自分でキヨシストと名乗るくらい、映画監督の故・西村潔が好きなのですが、その鮮烈なデビュー作『死ぬにはまだ早い』にあやかりたくて、この映画のラストカットを、『死ぬにはまだ早い』のラストカットとまったく同じ構図・動きにしました。今までそれを指摘してくれたのは2人しかいませんが・・・

○とにかく、最初の、そして最後になるかもしれない映画なんだから好き放題やってやれ、と思ったのでしょう。ヒロインの周りをカメラがぐるぐる回りたくて円形のレールを借りたり、夜の渋谷・センター街をワンカットで縦断するゲリラ撮影や、さらには援交少女たちの溜まり場となる空間のセットの飾り付けに金をかけすぎ、大赤字。助監督の荻野君からは「鎮西さんはフィルムキッズ(当時属していた制作会社)の鬼っ子だけど、常本さんは放蕩息子」とレッテルを貼られてしまいました。

赤字補填のため、故郷・仙台の親友、鈴木伸昌氏と小野寺勉氏にお世話になりました。この場を借り、再びお礼を言います・・・


映画には主題歌が付き物でしょ、というこれもわがままな思い込みから、主題歌も作りました。作詞は、荻野君のつてで、詩人の稲川方人さんにダメモトで頼むと、意外にもOK。しかも、頼んでから完成まで中1日くらいしかかからなかったのではないでしょうか。恐ろしいほどの早さだったのを憶えています。
作曲は、こちらも僕の数少ない親友の一人で、仙台在住の特異な映画作家・クマガイコウキさんに頼みました(劇中音楽も)。「みなしごキッチン」というタイトルのその歌は、なぜか井川耕一郎が気に入ったようで、『片目だけの恋』に、使ってもらいました。


完成した映画は、観てくれた多くの人が山下麻衣を好きになってくれたようで、それだけでも作ってよかったと思います。
その山下麻衣、今は、主婦として、幸せに暮らしているといいます。