常本琢招への手紙1(井川耕一郎)

 西山洋市、大工原正樹と来て、今回は常本さんに演出について訊いてみたいと思います。とは言え、演出について論じるのは難しいですね。
 たとえば、大工原さんが撮った『赤猫』で、ぼくが、おお!と声をあげそうになったのは、映画の後半で森田亜紀演じる主人公が、見てはいけないものを見てしまった、と言うところでした。このとき、森田亜紀はソファーに横たわって台詞を言うのですが、これはぼくがシナリオに書いた動きとはちがうのです。ぼくは、主人公が立ったまま、台詞を言うというふうに書いていたはずです。
 しかし、森田亜紀の横たわるという演技は、シナリオの狙いを無視しているのかというと、そうではないのですね。彼女は見てはいけないものを見てしまったことに怯えているのだけれども、その一方で、見てはいけないものに魅せられてしまっている。そのまったく正反対の感情を同時に抱いてしまっている状態を、森田亜紀は横たわって台詞を言うことで見事に表現しているのです。つまり、森田亜紀の演技は、シナリオの狙いをシナリオ以上に的確に表現していると言っていい。
 こういう芝居は、監督が現場で女優のことをきちんと見ていないと、引き出せないものでしょう。そういう意味で、ぼくは森田亜紀の横たわって台詞を言う芝居に大工原さんの演出力を強く感じる。しかし、批評の言葉はこういった演出のすぐれたところを的確に指摘することができるかどうか……、これはかなり疑問です。
 そういえば、常本さんは「大工原正樹の返信」を読んでどう思いましたか*1。特に『風俗の穴場』を撮っているときに、石川萌にどんな演出をしたかという部分なのですが。大工原さんは自分の演出について「ことさら書くまでもない、画を見れば分かることであるし、監督だったら誰もが普通にやっていること」だと書いていますが、この簡単なことが批評の言葉ではなかなか書けないのですね。
 実際、ぼくは『風俗の穴場』についてこのブログに批評を書いているけれど*2、こうした演出についてはまったく言及していない。しかし、ぼくが批評の中で指摘したようなことは、大工原さんの演出上の細かな工夫の積み重ねがあって初めて成立するものであることも確かなのです。批評の言葉は演出のもっとも基本的な部分を見逃してしまうことが多いように思えます。


 演出について論じるのが難しい理由はもう一つあります。演出している監督自身が自分の演出方法を明解に説明できない場合があるということです。こうすれば演出がうまくいくということは経験的に分かっていても、なぜ自分はそうしてしまうのかという演出のメカニズムについてはよく分かっていない場合があると思うのですね。
 映画美学校では、生徒に役者になってもらって、講師が演出をしてみせる授業があるのですが、そこでぼくは生徒からこんな質問を受けたことがあります。
「なぜ井川さんは芝居を見たあと、こういうふうにして下さい、という具体的な指示を出さないまま、もう一回お願いします、と言ったりすることがあるのですか?」
 そのときには、「一回見ただけでは芝居のどこが問題なのかが分からないから」と答えたのですが、あとから考えてみると、それだけでは答として十分ではなかったのです。
 たぶん、質問した生徒は、ぼくの頭の中に正解の演技があるはずだ、と思っていたにちがいないのです。だから、演出とは正解の演技とどこがどうずれているかを役者に伝えて、正解に近づけるように修正することだと思っていたのでしょう。
 ところが、どうやらぼくはそんなふうに演出していなかった。頭の中にこういう演技をしてほしいというアイデアはあるけれど、それは決して唯一の正解というようなものではないのですね。だから、頭の中のイメージとのずれはマイナスの価値しか持っていないというわけではないのです。プラスの価値を持っている場合もある。おそらく、ぼくは、演出とはプラスのずれを発見して、それを活かすことだと思っているのではないか……。
 高橋洋はプロジェクトINAZUMAのチラシに「プロジェクトINAZUMAとは科学なのだ」という推薦の言葉を書いていますね。この言葉は演出について考えるときの基本姿勢を簡潔に表現しているように思えます。と言っても、これは別に誰でも演出できるようになるマニュアルを作成しようということではなくて(そんなものは作れるわけがない)、もっと単純に「演出について分かったふりをしない」ということでしょう。自分を一個のサンプルとして観察することで、演出するとはどういう作業なのかを研究する――それがプロジェクトINAZUMAの基本姿勢かな、という気がします。もっとも、こういうあり方は、パンフレットの巻末原稿「プロジェクトINAZUMAは演出について考える」にも書いたことですが、「昆虫学者であると同時に昆虫」みたいなもので、実にやっかいなのですが。


 前置きが長くなってしまいました。常本さんに訊きたいことは次のようなことです。


(1)なぜクランクイン前にリハーサルをやるようになったのか?
 常本さんは監督デビュー作『制服本番 おしえて!』のときからずっと撮影前にリハーサルをやっていますね*3
 しかし、考えてみると、これはかなり特殊なことでしょう。常本さんが助監督としてついた監督は誰もそんなことをしてこなかったし、常本さんの作品に助監督としてついた後輩たちもそんなことをしていない。常本さんの演出方法は、常本さんが属している先輩監督―後輩監督の系譜の中で奇妙な形で孤立しているように思えます。
 一体、なぜ撮影前にリハーサルをやろうと思うようになったのか、まずはその点をあらためて訊いてみたいのですが。
 また、常本さんはリハーサルをやろうとしたときに、二人の監督を参考にしたと前に言っていましたね。神代辰巳相米慎二がその二人なのですが、具体的に二人の演出のどこをどんなふうに参考にしたのか、そのあたりのこともちょっと詳しく訊きたいのですが。