常本琢招の返信2(常本琢招)

ご無沙汰しました、常本です。
今回答えることになる(2)の質問。前回も述べたとおり、今まで深く考えたことがなかった設問だったので、いや、難しかったです。果たして答えになっているか、まあ書いてみましょう・・・
(この文章を読まれる方も、先に、井川さんの手紙*1をお読みください)


(2)リハーサルで目指しているものは何か?または、演技でOKを出すときの基準について

僕が俳優の演技にOKを出すときは、二通りのOKがありました。
(イ) まったく演技経験のない俳優に対し、演技を一からつけていき、納得できるレベルまで持っていく。
(ロ) ある程度以上、演技の出来る俳優に、今までの芝居よりさらに“深度のある”レベルに到達してもらう。


井川さんに書いてもらったホンで言うと、(イ)の代表例は『人妻玲子 調教の軌跡』の橘未稀、(ロ)の代表例は、『黒い下着の女教師』の児島巳佳ですね。
「納得できるレベルまで持っていく」と「“深度のある”レベルに到達してもらう」というこの2つのOKは、一見すると対照的なもののようですが、僕にとっては、どちらが優れているということもない。最終的には同じことです。
どちらの場合も、リハを行う際に見極めたいことは、「リハの過程を通してどんなキャラクターが立ち現れてくるか」ということなんです。
キャラクター、と大雑把に言っても分かりにくいですね。「キャラクター」というコトバで言いたいものとは、台本の人物そのままでもない、かといって役者本人そのままでもない。台本の人物を役者が演じたときに化学反応が起って現れる、“実在感”をもった第三の存在です。
“実在感”でスクリーンにデンと居座ってくれる人物。作品ごとにそんな人物を作り出していくのが、リハの醍醐味で、それが達成されたときに僕はOKを出しているようです。


もちろん、志が途中で挫折し、中途半端にOKを出してしまった作品もあるのですが・・・


(しかし、いま僕が上に書いたような作業って、大工原も言うように「ことさら書くまでもない、画を見れば分かることであるし、監督だったら誰もが普通にやっていること」ではないでしょうか。本当はこの文章、当たり前のことを偉そうに書いているだけなのかもしれません・・・)


話は戻って、リハのさい俳優に起こる化学反応を期待する僕にとって、リハーサル室は「実験室」というイメージです。
まずはシナリオを読み合わせて台詞のチューニングを行い、立ち稽古でいろいろなパターンを試し、結果として“腑に落ちる”演技の形に落とし込む・・・
井川さんは芝居を「練り上げて」「固める」という僕の表現に言及されていましたが、たしかに僕にリハの過程は、粘土のかたまりをこねていくうちに次第に人物のカタチが出来てきて、細部を微調整しながら次第に明確なものにしていく・・・という粘土細工の作業に似ているのかもしれませんね。


そして、リハの際にはいつもぶつかる、難しい問題があります。
俳優はナマモノなので、10人いたら10通りのアプローチが必要になってくる、ということです。
具体例を挙げたほうが分かりやすいと思われるので、5月から6月にかけてとった新作(まだ編集に手をつけられていません!!!)のリハの模様を例にとりましょう。


この作品は、2人の女性の精神的葛藤を描いたものでした。しかし、それを演じる女優さんが、まったく異なるタイプだったのです。
ヒロインの一人を演じる久遠さやかさんは、器用な人なのでしょう、僕があまりアドバイスしなくても、ある程度の芝居のレベルまではすんなり到達してくれました。しかし、僕はその先まで行きたかった。久遠さんが、早い段階で見せた演技は、たとえばテレビサイズの画面ではまったく問題なく観られるものかもしれませんが、もっと大きな画面で観た場合、もう一歩、演技に実在感が・真実が、足りないように思えたのです。そして、久遠さんには「先まで行く」潜在力は十分あると信じていました。
とりあえずスタートダッシュの早い久遠さんに対し、もう一人のヒロインを演じる西山朱子さんは、立ち上がりに時間がかかるタイプでした。3日間行ったリハの最中、ずっと悩まれており、エンジンがかかり始めたのは、クランクイン2日目だったと思います。


ペースのまったく違う2人の女優に、どう接して、どうOKが出るところまでもっていけば良いのか??


まず初日は、とりあえずあまり多くの注文を出さず、いくつかのシーンを繰り返し演じてもらいました。2人の資質を見極めたかったし、僕が、漠然とですがどんなキャラクターを求めているのかを知ってもらう意味合いもありました。
そして、二人が上記の資質と知った2日目からが勝負です。
久遠さんには、上にも書いたような僕の正直な感想を伝え、わざと、一つのシーンを、僕が何を求めているのかは言わず、演技を何パターンも変えて演じてもらいました。本人が、このシーンをどう演じれば良いのか、あえて混乱してもらうためです。
そして、自分の芝居に対する「見当」とか「手馴れ」をあえて見失ってもらって、そこから芝居をふたたび構築してもらいました。
それでも、いままで通りの芝居を演じようとするところが時々出てきますが、そのたびに、壊しては作り、壊しては作りを繰り返すうちに、何か、今まで彼女がやってきた芝居とは、違ったものが出てきたように思えます。
3日間の稽古では、前述した僕の考える「キャラクター」をはっきり定立させるには至らず、その手がかりをつかむ、というところにとどまり、後は現場での作業になりました。
(もちろん、現場では、しっかりOKの出る演技を決めてくれました)


西山朱子さんの場合は、僕がすべてを説明するのではなく、ご自分で考える部分=悩む部分を多くキープしたい方、という印象を受けました。なので、僕は多くを語る、というよりキーワードを投げかけるやり方にとどめ、朱子さんのキャラクターに対する「目覚め」を待つ、といういままで女優さんにはあまりやったことのないアプローチをしました。これは新鮮で、よかったですね。


筑紫哲也風に言うと、僕にとってのリハとは「こんな感じです」。
次は、「カット割り」。これは(2)に比べると、語りやすいので、さらにしばしお待ちください。