松村浩行『TOCHKA』(トーチカ)(9月2日(日)Eプログラム(18:15〜))

TOCHKA
2007年/DVカム/スタンダード/カラー/93分
出演:藤田陽子菅田俊
監督・脚本:松村浩行
助監督:大城宏之、石住武史、本間幸子 撮影:居原田眞美 録音:黄永昌 装置:相馬豊 装飾:浦井崇 衣装:居原田眞美 編集:黄永昌 整音:黄永昌 スチール:宮本厚志 劇中写真:黄永昌 制作:柴野淳、大橋里佳
協力:映画美学校、新茶屋お母婆
(『TOCHKA』(トーチカ)は映画美学校映画祭(9月2日(日)Eプログラム・18時15分〜)で上映されます)


[ストーリー]
日本の東端、北海道根室半島。男が独り、荒涼とした草叢に立っている。男の眼前にあるのは、太平洋戦争中につくられ、いまは潮風に曝されるがままのトーチカのみ。生まれ故郷であるこの土地に、男は数十年ぶりに帰って来た。
見る者もいないはずのその光景を、ただ独り、偶然目にしていた女がいた。トーチカの写真を撮っているという女の登場が、男を深く揺り動かす。「あなただとは思わなかったんです」その言葉を残して逃れるように歩み去った男の後を、女は追った。やがて男の口からトーチカにまつわる記憶が語られる。


監督コメント「映画のふるさと」
 この映画を準備しながら、私はひとつの文章を憑かれたように、幾度も読みかえしていた。「文学のふるさと」と題された、坂口安吾のエッセイである。そのなかで安吾は、ぺロオの「赤頭巾」や、とある狂言芥川龍之介が経験したという話、伊勢物語中の一話などの例を引いて、これらの物語が「絶対の孤独−−生存それ自体が孕んでいる絶対の孤独」のようなものを伝えているといい、またそこに人間の「ふるさと」をも見いだしている。「それならば生存の孤独とか、我々のふるさというものは、このようにむごたらしく、救いのないものでありましょうか。私は、いかにも、そのように、むごたらしく、救いのないものだと思います。(中略)そうして、最後に、むごたらしいこと、救いがないということ、それだけが、唯一の救いなのであります。モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いがないということ自体が救いであります」。
 この映画は一人の男がひとつの場所に立ちかえってくる物語である。
 その場所とは、その男が生れそだった「ふるさと」であると同時に、安吾的な意味での「ふるさと」でもある。だからこの作品は、「むごたらしく、救いがない」。そのような映画をつくることは、時に気の滅入ることだ。いまこれを読まれている、今後この作品をご覧になられるかも知れない各位にも、この映画のむごたらしさ・救いのなさが密かに伝播するのではないかと、私は危惧してすらいる。
 しかし文学が暗黒の曠野のごとき「ふるさと」からしか始まらないように、映画もまた、おそらくそこからしか始まらない。心から祈るように、私はそう思っている。