映芸マンスリーで渡辺護『喪服の未亡人 ほしいの…』を上映(11月26日(水)19時〜・シアター&カンパニー「COREDO」)
映画芸術の上映会「映芸マンスリー」で、渡辺護の『喪服の未亡人 ほしいの…』が上映されます(トークショーもあります)。
映芸マンスリー
11月26日(水)19:00〜
上映作品:『喪服の未亡人 ほしいの…』(DVD上映)
開場:18時30分 開演:19時
※本編の上映後に45分程度のトークショーあり
会場:シアター&カンパニー「COREDO」
千代田線乃木坂駅2番出口すぐ右隣のビル地下1階
港区赤坂9-6-41 乃木坂ビルB1
電話 03-3470-2252
入場料金 当日1,500円 予約1,300円(1ドリンク付き)
* 作品は全てDVD上映となりますので予めご了承ください。
* 予約は電話、メールにて承ります。下記まで、お名前、連絡先(電話番号/メールアドレス)、枚数をお知らせください。予約にて定員(45名)となった場合、当日券はございません。小さな会場ですので、事前の予約をお勧めいたします。
主催:映画芸術+シアター&カンパニーCOREDO 企画制作:映画芸術
予約・問い合わせ 映画芸術編集部
TEL:03-6909-2160 FAX:03-6909-2161
メール eigei@mm.neweb.ne.jp
詳しくは映画芸術公式サイトを御覧下さい。
http://eigageijutsu.com/article/108796205.html
このブログや渡辺護公式サイトで読むことができる、渡辺護のインタビュー、渡辺護監督作品に関する批評は以下のとおりです。
インタビュー「渡辺護、『喪服の未亡人 ほしいの…』について語る」
http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20080606/p2
この映画、一筋縄ではいかない映画、食えない映画というふうにも見られたようだね。
シリアスなドラマなのか、コメディなのか? おれがどっちを狙ったのかだって?
淡島小鞠が演じた主人公の話はぎすぎすしたところがあるからね。倖田李梨が出るところはそれとは対照的な色っぽさというか、コメディっぽくしようとは思った。
でもね、コメディにするとか、深刻なスタイルにするとかじゃないんですよ。
おれは、ピンク映画のスタイルをやろう、と思っていたんだ。
インタビュー「渡辺護の映画論「主観カット/客観カット」」
http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20081116
http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20081120
凄いのは、溝口健二と小津安二郎だよ。
溝口さんは1シーン1カットで撮っているけれど、その1シーン1カットの中に主観もあれば、客観もある。小津さんはと言うと、アップは撮らない。全部客観といえば、客観だ。でも、『晩春』のラストで笠智衆が一人きりでリンゴの皮を剥くところがあるでしょう? あそこは引いた画だけれども、主観なんだ。
つまり、溝口健二と小津安二郎の映画では、主観と客観が同時進行してるんだよ!
そのことに気づいたとき、おれにはとてもそんなことはできないと思ったね。それなら、どうしたらよいか?
おれは昔から好きだった黒澤(明)さんや伊藤(大輔)さんのように行こうと思ったんだ。主観カットと客観カットを組み合わせて映画を撮っていこうと考えたんだよ。
インタビュー「渡辺護、伊藤大輔を語る」
http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20081030
一番好きな映画監督、尊敬する監督ということになると、やっぱり伊藤大輔だな。伊藤さんは大変な映画監督ですよ。日本映画は伊藤大輔から始まったと言ってもいい。若い人には、大和屋竺と伊藤大輔は似ていると言ったら興味をもってくれるかな。二人ともインテリだけど、すごいロマンチストだよ。
沖島勲ノート(3)−1(『紅蓮華』について)(井川耕一郎)
http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20070914/p2
沖島勲が『紅蓮華』のシナリオに参加するまでの経緯にも少しややこしいところがある。ある女性社長の自伝の映画化を依頼された監督の渡辺護は、沖島勲にシナリオを頼もうとした。しかし、原作の自伝を読んだ沖島は自分はライターとして適任ではないと感じて断ってしまう。そこで渡辺は佐伯俊道にシナリオの執筆を依頼するのだが、第一稿が完成したところでふたたび沖島に会い、シナリオの直しを依頼するのである。
批評『紅蓮華』(非和解検査)
http://www.hanaoto.com/watanabe/kaisetsu/gurenbana.html
さくら(秋吉久美子)がいとこの健造(役所広司)に求婚する冒頭から、健造が不可解な自爆死を遂げるラスト近くまで、この作品はさくらと健造それぞれの夫婦観、男女観、さらに進んで人間関係そのものに対する見方が齟齬を来たし、そして次第に相互浸透していく様を描き出す。ここで言う《見方》とは、文字通りの《見る》態度であり、視角であり、能力のことである。さくらは、健造は、2人の関係をどのように見ているのか。
批評『好色花でんしゃ』(常本琢招)
http://www.hanaoto.com/watanabe/kaisetsu/hanadensya.html
この映画は筆者にとって今も輝きを保ち続けています。
なぜか?それは、丸子を演じた鹿沼えりの美しさ、その魅力を引き出した渡辺演出の冴えのゆえに他なりません。その逸才にもかかわらず作品に恵まれなかった鹿沼えりの魅力をここまで引き出したのは、私見によると根岸吉太郎『朝はダメよ!』、テレビ・探偵物語の1エピソード『影を捨てた男』と本作しかありません。しかも『好色花でんしゃ』では、都会的で攻撃的な美貌が持ち味だった鹿沼えりから、よもや表現できまいと思われていた「母性の魅力」を見事に引き出しているのです。
批評『谷ナオミ 縛る!』(井川耕一郎)
http://www.hanaoto.com/watanabe/kaisetsu/tani.html
渡辺護監督はSMなんか趣味じゃないから撮るのはイヤだと、最初、この谷ナオミ主演の企画を断っていたそうです。たぶん、自分の日常感覚の延長でとらえられないものはイヤだということなのでしょう。けれども、断りきれなくて、撮ることになった。
そのとき、渡辺監督はSMをまったくの虚構ととらえ、虚構の上に虚構をつみかさねて、ドラマの激しさを出そうと狙ったのではないでしょうか。だとしたら、谷ナオミと能面という組み合わせほど、狙いにぴったりのものはないでしょう。
批評『(秘)湯の町 夜のひとで』(井川耕一郎)
http://www.hanaoto.com/watanabe/kaisetsu/yoru.html
久生はエロ事師としてまた律義に働きだし、エロ写真を撮り、ブルーフィルムを映写する。このブルーフィルム映写のときに、久生の活弁つきというのがどこか微笑ましい。と同時に、このシーンは、作り手の欲望を強く感じさせる場面でもある。
渡辺護は『夜のひとで』の企画の出発点としてサイレント映画時代の映画人への憧れを大和屋竺に語ったというが、久生の活弁には渡辺のそんな憧れが色濃くスクリーンからにじみ出ていると思う。