大工原正樹について(葛生賢(映画作家・映画批評家))
バブル全盛期に雨後の筍のごとくリリースされ、レンタル店の棚の一画を占めていた、通称「Vシネ」と呼ばれる低予算早撮りのオリジナルビデオ作品のことをあなたは覚えているだろうか。
毎週のように産み出されたそれらの「映画」は、年々規模を縮小していった日本映画の製作状況に反比例する形で拡大するビデオソフト市場のコンテンツ不足を補うために開花した日本映画史の徒花である。しかし一方で「Vシネ」は、劇場映画を撮る機会を失ったベテランたちの受け皿ともなり、同時に自主映画出身の新人監督たちにとっての修練の場ともなった。『CURE』で国際的な注目を集める以前に、「呪われた映画作家」黒沢清が1990年代をここで過しながら『勝手にしやがれ!』シリーズなどを撮っていたことも今ではよく知られたエピソードだろう。
映画作家大工原正樹がそのキャリアの大半を過ごしてきたのはこのような世界である。
廣木隆一らの助監督としてピンク映画の現場で修行を積んだ彼は、35ミリのピンク映画『六本木隷嬢クラブ』(1989)で監督デビューするが、それ以降は「Vシネ」作品を撮り続けることになる。先行する自主映画出身の世代がある程度の表現上の冒険を容認されていたのとは異なり、大工原が活動を始めたのは、一層厳しい製作環境の中であり、しかもより商業的な要請に従わなくてはならない場であった。したがって、かつてのプログラムピクチャーの監督たちの多くがそうであったように、彼も制約の中で必然的に「職人」として自らを規定し、その技術を磨いていく方向に向かった。六日間で撮られたという『風俗の穴場』(1996)での彼の演出の手さばきに接してみれば、彼が並々ならぬ実力の持ち主だとわかるだろう。この作品の翌年にかけて彼は矢継ぎ早に作品を世に送り出すが、『痴漢白書8』(1998)以後は深夜枠のテレビドラマを手がけるようになる。そんな彼が映画美学校で教鞭を執るようになり、教え子とともに撮ったのが『赤猫』(2004)である。それまでの「Vシネ」時代の商業的な制約から、より自由になった彼は、現場経験を積んでいない若いスタッフと組みながら、それを微塵も感じさせない真にプロフェッショナルな態度で、硬質で乾いたタッチの光るこの傑作短編を完成させた。そして彼が再び井川耕一郎の脚本を得て、新たな教え子とともに撮った最新作が『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』という風変わりなタイトルを持つ映画である。現代日本映画でもはや希少価値となりつつある「演出」というものに私たちはこの最新作で触れることになるだろう。