『INAZUMA稲妻』以後(西山洋市)

プロジェクトINAZUMAで『INAZUMA稲妻』が上映されてから何年たったでしょうか?
光陰矢のごとし、稲妻のごとし。
あのとき、下北沢で『INAZUMA稲妻』を見てくださった皆様、お久しぶりです。


『INAZUMA稲妻』の後、ぼくは『死なば諸共』、『スパイ昇天』『吸血鬼ハンターの逆襲』『勝手に逃げろ!』『プラヴァツキー少佐』『菊と桜』『荒野のゴーストライター』『kasanegafuti』などの短編を作りました。


このうち、『死なば諸共』『菊と桜』『kasanegafuti』はそれぞれ井原西鶴鶴屋南北三遊亭圓朝、の原作をもとにした翻案で、ぼくが勝手に「髷を着けない時代劇」というジャンル名をくっつけた一連の作品です。


「髷を着けない時代劇」ってのは、要するに、普通の時代劇のようにちょんまげや着物は着けてないけどスピリットは「時代劇」という映画で、その意味では『INAZUMA稲妻』もそういう映画でしたが、本格的に考え始めたのはその次の『死なば諸共』からです。
(詳しくは、http://www.collabomonsters.com/message.html


『死なば諸共』の脚本は『INAZUMA稲妻』と同じ片桐絵梨子ですが、片桐にシナリオを頼んだとき、「原作は時代物だが映画は現代劇にする、でも「時代劇」のつもりで書いてくれ」というようなめちゃくちゃな注文をしたかもしれない。でも片桐はとてもいい塩梅でそれを実現してくれたのである。素晴らしい脚本だった。あの「現代」と「時代」の混ざり具合の塩梅は、片桐以外にはできないと思っている。
そこから「髷を着けない時代劇」は始まった。


いや、それはすでに『INAZUMA稲妻』から、いや『桶屋』から、いや『ぬるぬる燗燗』から、いや『逆恨み!高田馬場』から、大雑把には始まっていたのだが、最新作の『kasanegafuti』にいたる明確な指針を与えてくれたのは間違いなく片桐の『死なば諸共』の脚本だ。


片桐は自分でも『キツネ大回転』という時代劇のようなテイストの不思議な現代劇を撮っているが、これはぼくには真似のできない片桐独自の民話調の世界だ。
しかし、いま、ぼくは『キツネ大回転』を強引に「髷を着けない時代劇」の一本とカウントしてしまおう。なぜなら、ぼくには仲間が必要だからだ。


なぜなら『kasanegafuti』が現在、上映中だからだ。これは「髷を着けない時代劇」のいまのところ最新作だ。「髷を着けない時代劇」がどんなものか知らない人にはぜひ見ていただきたい。そして、それがけっして特殊な映画ではなく、今現在生まれ出でつつある新しい魅力と、先に続く可能性をもった新しい映画のジャンルであることを知ってもらいたい。
(詳しくは、http://a-shibuya.jp/archives/2953


実際、「髷を着けない時代劇」はそれ以外にも続々と作られている。
同志、とちかね拓磨の『タートル・マウンテン』(原作鶴屋南北ピカレスク・ロマン)はすでに高橋洋によって2年前の映画芸術ベストテンに選ばれている。
また、未公開作品では他ならぬ『INAZUMA稲妻』『死なば諸共』に主演している西山朱子(最新出演作は今年の「桃まつり」で上映の小森はるか監督『the place named』で、大変評判がよろしいようだ)のすでに完成済みの『首切姫彼岸花釣』(素晴らしいメロドラマ)と現在仕上げ中の『マルクス四谷怪談の巻』(素晴らしいコメディ)があるし、これからも続々と作られるであろう。


片桐は現在、彼女の最新作を構想中らしいが、ぼくの勝手な予感では、それはどうも『マルクス四谷怪談の巻』とともに「髷を着けない時代劇」の最高傑作にして、このジャンルを世に知らしめるような画期的な映画になるであろう。


その片桐の片鱗を知りたい方は、6月に大阪で『死なば諸共』と『INAZUMA稲妻』が上映されるので是非見ていただきたい。
(詳しくは、http://collamon.jugem.jp/?eid=39


その片桐絵梨子が現在上映中の『kasanegafuti』に素晴らしいコメントを寄せてくれたので是非お読みください。



「あの時感じた霊感に私は未だおびやかされている」(片桐絵梨子(脚本家・映画監督))


 いつからあの世は地続きでなくなったのか。
江戸時代を「今現在続いている地続きの時代」と西山洋市は言った。
あの時代は、あの世は、けして今この場所と断絶してはいない。西山洋市が感じた霊感は、おそらく世界の深層に眠る恐るべき何かとつながっている。それは西山洋市の映画を見れば歴然である。『kasanegafuti』に漂う霊気は、ただものではない。


 狂言を見ていて、西山洋市の映画を思い出していた。何も無い舞台の上、名前も無い人たち、特徴も無い衣装で、完璧に無駄も無く動き、途方も無い声を出し、そのリズムをだんだんに早め、そしてどこへともなく去っていく。
抽象的な舞台、抽象的な人、繰り返される物語、既にある言葉、訓練された動き、それは西山さんの、演出の先にあるものと、近い何かを思う。


 あるいはまた、岡本綺堂を映画化するとは、井原西鶴を映画化するとは、どういうことだろうと考えたとき、西山洋市の映画が浮かぶ。端的に、簡潔に、洒脱に業を突き出すのが西山洋市の映画である。そのような演出はけして真似できるものではない。


 『INAZUMA稲妻』のシナリオを私が書いてしまったこと、西山洋市がそれを撮ってしまったこと、それこそあまりにむごい因果なのかもしれない。おそらくあのとき、とてつもない何かに巻き込まれてしまったに違いない。あの時感じた霊感に私は未だおびやかされている。
 そして今、『kasanegafuti』が始まった。『INAUZMA稲妻』と同じく主演を演じる宮田亜紀の目はさらなる凄惨さをたぎらせて、その細い身体を震わせながら、誰も知り得ない世界の秘密を、その途方も無い力を語って我々を戦慄させるのだ。



西山洋市の『kasanegafuti』はコラボモンスターズの1本として、現在、オーディトリウム渋谷で公開中です(5月12日〜25日・21:00開映)

公式サイト:http://www.collabomonsters.com/