映画監督の渡辺護さんが24日、大腸がんで亡くなりました



PGの林田義行さんたちと相談して、25日、26日ににツイッターに書いたことを以下に載せておきます。
(写真は、銀座シネパトスでのトークショー(2012年5月18日)のときのものです)


<12月25日>

PG_pinkfilm ‏@PG_pinkfilm 12月25日
渡辺護監督が12/24 亡くなりました。詳細は追ってHPでお伝えします。ご冥福をお祈りいたします。


<12月26日


(井川)11月2日、渡辺護さんは髪を切りに行った店で倒れました(救急車で病院に運ばれてすぐに意識を取り戻したのですが)。11月9日に病院に行って聞いた渡辺護さんの話は次のとおり。

渡辺護「店に入って機械に千円入れようとするんだけど、できないんだよ。店のひとに手伝ってもらってさ。髪を切ってもらって、伸びてる眉毛もカットしてもらって、店を出ようとしたところまではおぼえてる。

(渡辺)でも、そのあとは、店のひとの「大丈夫ですか?」って声だとか、救急車の音だとか、そんなのしかおぼえてない。どっか道端で倒れてたら、どうなってたか分からないよ。今頃、よだれたらして、ヨレヨレだったかもな」

(井川)このときに渡辺護さんの奥さんから聞いた話は、「なくなった血がどこに行ったのかを検査したら、腸のあちこちにあるらしいんですって。それから、肝臓にも移っていて」というものでした。


(井川)11月13日にお見舞いに行きました。このときに話題になったのは、荒木太郎さんの新作『異父姉妹 だらしない下半身』のことでした。

渡辺護「荒木(太郎)の映画はどうだった?」 井川「荒木さんの新作は、『もず』でした。渋谷実が監督で、水木洋子が脚本の」 渡辺護「『もず』は、もともとTBSのドラマなんだよ。岡本愛彦演出でね、森光子がよかった」

渡辺護「しかし、『もず』ってのは、女優で決まるやつだぞ。荒木のは誰が出てんだ?」 井川「最近、荒木さんの映画によく出ている子二人ですね」 渡辺護「荒木はちゃんと女優の演出してんのかな。『もず』ってのは、女優の演出が難しいやつなんだ」


(井川)11月17日に北岡稔美さん(渡辺護ドキュメンタリーの製作・編集)とお見舞いに行きました。渡辺護さんが奥さんに向かって「のん子さん、あの話はした?」と尋ね、こう言葉を続けました。「いや、はっきり言ってしまうとね……、がんなんだよ。手術しなきゃいけない」

(井川)北岡稔美さんが渡辺護さんに「何かほしいものはありますか?」と尋ねると、「ない。テレビも映画も見たいって気にならないし、何かを読む気にもならないんだ」という答が返ってきました。

北岡「本当に見たい映画はないんですか?」 渡辺護さん「ジョン・フォードの『荒野の決闘』と『駅馬車』が見たい」 奥さん「家に帰って落ち着いてDVDが見たいのよ」

(井川)「このあと、新橋に行って、『谷ナオミ 縛る!』と『濡れ肌刺青を縛る』を見ようと思ってます」と言ったら、渡辺さんは「やめてくれよ。あんな出来の悪い映画を見るのは」とイヤそうな顔をしました。

(井川)けれども、そのあと、二本の映画を撮ったときの思い出をしゃべりだしたのですが。


(井川)11月22日にお見舞いに行ったとき、渡辺護さんの奥さんから、肛門近くのガンは、大きいけれども、腸をふさいでいないので手術しないことになったという話を聞きました。また、12月2日に退院し、自宅に戻ることになったとも聞きました。

(井川)このときに渡辺護さんが話したことは次のとおり。「おれはうちに帰って、のん子さんと一緒にご飯を食べたり、おしゃべりしたりしたいんだ」「『清須会議』は見たいな。役所広司がどんな芝居をしてるか見たい」

井川「渡辺さんがからみを撮るときに気をつけていたことって何ですか?」 渡辺護「そうだなあ……、からみはフルで撮るのが一番エロチックなんだよ。フルをきちんと撮らないとな」


(井川)退院前日の12月1日、北岡稔美さんがお見舞いに行ったときの報告は次のとおりです。

(北岡)渡辺護さんは起き上がって、あぐらをかいてました。あぐらかけるなんて、ずいぶん良くなりましたねと声かけたら、あぐらが楽なんだ、もうトイレも歩いて行かれるんだと言ってました。

(北岡)このあいだ、皆さん(太田耕耘機さん、林田義行さん、佐藤吏さん)が、渡辺護さんの元気そうな姿見て安心したと話してましたよと言ったら、あぐらかいた膝をポンポン叩いて、「これくらい元気になったよ!と言っておいてくれよ」と笑ってました。

(北岡)そのあとは、『セーラー服色情飼育』を見た話から可愛かずみの話になり、みんな死んでくなあ、若松もなあ…って言ったあと、

(北岡)何故か「てんや」の話になり(若松孝二が「うまい天丼屋がある」と言って足立正生を連れていったという流れで)、「てんや、うまいよな」「あ、私、昔バイトしてましたよ」などと会話がはずみました。


(井川)12月14日に渡辺護さんの家に行きました。会った瞬間に感じたのは、やせて小さくなったなあ……ということ。一生懸命、話そうとするのですが、体力が続かないみたいで、時折、目をつぶって休んでいました。


(井川)12月21日にお見舞いに行くと、渡辺護さんは車椅子に座って、居間で待っていました。「もう歩けないんだよ。トイレに行くのが大変なんだ。夜中に、のん子さんを呼ぼうとして大きな声を出すだろ。もうそれだけで、心臓が飛び出しそうなほど、苦しくなる」

(井川)奥さんも、「貧血になりやすいの。昨日からそのための薬はのんでいるんだけど。今は(前からよくなかった)心臓の方が心配」と言ってました。

(井川)この日は、新谷尚之さんからもらった沖島勲『WHO IS THAT MAN!? あの男は誰だ!?』の紙人形劇部分のDVDを鑑賞。渡辺護さんは「さすがだね、新谷さんってひとは」と感心していました。


(井川)12月24日の20:50頃、渡辺護さんの奥さんから電話がありました。「護さん、さっき亡くなっちゃったの」

(井川)容態が急変し、お医者さんを呼んだところ、「今晩が山です。ご家族に連絡して下さい」と言われたとのこと。しかし、点滴のあと、渡辺護さんは元気を取り戻したそうです。

(井川)これなら大丈夫かなとお医者さんが帰ってしばらくして、奥さんは何だか呼ばれたような気がしたとのこと。行ってみると、渡辺護さんはもう息をしていなかった。「ああいうとき、あなた!なんて叫んだりしないものね」と奥さんは言ってました。


(井川)12月25日、渡辺護さんに会ってきました。寝ているようにしか見えない。口もとが今にも映画についてあれこれしゃべりだしそうな感じでした。でも、頬に触れてみると、ひんやり冷たかったのですが。

(井川)奥さんの話では、告別式は家族のみで行うとのことです。棺に入れるものは、渡辺護さんが撮影現場でかぶっていた帽子と、奥さんの手紙だけだそうです。


(井川)全10部のドキュメンタリーが完成したタイミングで、渡辺護さんには新作を撮りませんかという話が来ていました。面白いものを撮るよ!と言っていたのに、残念でなりません。

(井川)報告は以上です。


追記:告別式は28日に行われました。