背のびして ミューズの蹠に 踏まれても(藤田一朗(脚本家))

 常本氏との初仕事は、96年の「秘蜜・教えてあげる」なのだが、面識を得たのはその前だった。ある下品なコメディの企画があり、常本氏が監督指名されていたのだ。
立派な体格なのに目がかわいい、藤子不二雄aキャラのような第一印象だった。
効率よく打ち合わせをして、第1稿を書いたらスポンサーから却下された。却下理由は「ちゃんとしたシナリオだから」だという。アメリカン・ジョーク並に理解不能だ。
よく聞くと、深夜のバラエティ番組みたいに作りたいらしい。あ、おヨビでないってことかと、ベタなオチがついてこの話は終わる。
 しかし、常本氏は次の仕事を用意していた。エクスプロイテーション映画の花形、低予算成人向け作品である。これが「秘蜜」として世に出ることになる。その後、97年「新任女医・淫らな診察室」、00年「恋愛家庭教師・未熟な抱擁」、01年「恋愛ピアノ教師・月光の戯れ」と仕事をさせていただいた。職業監督として常本氏とは、こんな経緯を経て現在に至っている。余談だが、各タイトルの「家庭教師」「女医」などの「お題」は発注側の指定である。何というか「伴淳が空いてるからアジャパーで一本作れ」みたいな作られ方に近い気もする。


 低予算作品では、ほとんど演技経験のない人が主演の場合がある。たとえ成人向けであろうと、主演には主演に相応しい何かは必要だろう。いや、脱ぎokとかじゃないよ。何つうか、オーラ出まくり?みたいな?そんな時でも、常本氏は「だいじょーぶ、じゃないすかネ」などと平然と笑っている。 ところが、できあがった作品を見ると、素人はすっかり主演女優になってる。こちらの驚きをよそに、常本氏は「いやいや、たいへんでした」と平然と笑っている。こう書くと、楽しくてしかたないみたいだが、何かこう、ただならぬ感じがするのだ。
 映画監督で生計が成り立たなくなって久しい現在、映画を撮るのは自己顕示欲、自己表現欲が動機の大半ではないかと思う。しかし、常本氏が平然と笑っている姿に自己顕示欲は感じられず、むしろ自己を排除した清々しい表情に見える。こんな時、常本氏にとっての映画は、表現手段ではなく、信仰の対象ではないかとさえ思えるのだ。あの平然とした笑い顔は、映画というミューズに身を捧げた者の清しさではなかろうかと。そう考えると、常本氏が女性を主人公にした映画にこだわるのは、自己顕示欲などという穢らわしい下心から映画を遠ざけようるとする意志にも思える。これはもはや、マゾヒズムだが、こういう人はしぶとい。


背のびして ミューズの蹠を くすぐらむ と詠んだのは川島雄三だが、ミューズの蹠に踏まれても、常本氏なら生きのび、さらなる情熱で映画を撮るに違いない。
これからの常本氏には、ともかく数多く撮ることだけを望む。この人は、撮れば撮るほど地力を発揮するタイプだと、私は睨んでいる。また、高尚なテーマやチンケな作家性などなくても、プロットが転がるだけで見せきる映画が撮れるはずだ。それには様々な脚本家と組むことも必要かもしれないが。 常本氏の才能が十二分に発揮された時、観客は映画の蹠に踏まれる歓びを知るであろう。映画館に居る者すべてが「瘋癲老人日記」のように興奮する羽目になるのだ。
うわっ、悪夢みたい。


藤田 一朗(ふじた いちろう)1964年生。84年、オリジナルシナリオ『run』で、ディレクターズカンパニー 新人シナリオ賞準入選1席を受賞。以後、テレビ、映画、オリジナルビデオのシナリオを多数手がける。主な作品は、映画『りぼん re-born』(88)、『あいつ』(91)、『新宿黒社会・チャイナマフィア戦争』(95)。テレビ『ネコノトピア・ネコノマニア』(90)、『トーキョー#remix』(99)、『さわやか3組2002』(02)など。