大工原正樹の返信2(大工原正樹)

(2)『未亡人誘惑下宿』の岩崎静子にはどのような演出をしたのか?
(4)キャスティングについてどう考えているか?


なんとも漠然とした話なのですが、岩崎静子の警戒心を解くことが大事だと思っていたような記憶があります。彼女は芝居をするのも初めてなら監督という人種と接するのも初めてだったらしく、最初に喫茶店で会ったときから警戒しているのがわかりました。ただ、自作解説ではああ書いていますが、彼女に対して嫌な印象は全く無かったのですね。たしかに派手だったし、こちらが何を言っても決して身を乗り出さず、背もたれにもたれかかったまま距離をとって、笑みを浮かべじっと人のことを見てるので、これは観察されてるな、ということに薄々気づくわけです。そういう反応はあまり見たことが無かったので、あれ?という感じとともに、彼女に対する興味が湧いてきたのはたしかです。しかし、彼女の警戒心に気づいたからといって、どうしたらいいのかまでは分かりません。そのうち衣装合わせやリハーサル(唯一このときだけはやったのです)の過程で下宿生役の役者たち(斉藤陽一郎コンタキンテ、北山雅康、元気安、武田有造)と彼女が打ち解けて楽しそうにしている光景を何度も見るようになり、次第に彼女もリラックスしていくのがわかりました。設定が白雪姫と小人達のようなものでしたから、岩崎静子を中心にキャストを決めていったのですが、相性のいい人たちが集まったという幸運があったのかもしれません。おそらく「撮影」や「監督」がどういうものかという話も彼らから聞かされたのでしょう、撮影が始まった頃には僕に対する警戒心も薄らいでいる気がしました。ということは、彼女が元々持っている地のよさを演出したのは共演者たちということになりますね。
 『未亡人誘惑下宿』での岩崎静子がとても良かったので、次の作品『のぞき屋稼業 夢犯遊戯』にも出てもらったのですが、このときは『未亡人――』の時にはお互いにあった緊張感が無かったような気がします。彼女が1本目との違いに戸惑っているのは分かったのですが、2本撮りで非常に忙しい撮影だったこともあり、馴れ合いというのでしょうか、どうしても「わかってるよね」といった態度になってしまい、あまりきちんと対話ができなかったのですね。彼女の役のキャラクターを僕が作りすぎてしまったという反省もあります。そんなに器用な人ではないのにそれを要求してしまっていたのです。
 だから、『痴漢白書8』の時は、馴れ合いにだけはならないよう気をつけました。それから『未亡人―』の時、彼女は怒ると大変魅力的であると気づいたので、シナリオを直す過程でも意識しました。諏訪太郎さん演じる痴漢が、これでもかと彼女を怒らせるような行為に走るのですが、最後に彼女が怒るときに一番色っぽく見えるといいな、と。


(3)『赤猫』の衣装合わせを終えたあと、役者をじっと見ていたのはなぜか?

これは井川さんの推測どおり、森田さんと李さんが夫婦に見えるかどうかをぼんやり見ていただけです。といっても、どう演出するかという戦略を立てながら見ていたなどということはなく、ただ本当にぼんやり見ていたと思うのですが。
『赤猫』は主人公の千里が妊娠する前の夫婦の描写はありません。つまり普段の生活は描かれないということですよね。となると重要なのは、森田さんと李さんがひとつの空間にいるだけで夫婦に見えないと困るということです。キャスティングではそのことに気をつけていたつもりでしたが、あの衣装合わせの日まで2人が一緒になることはなかったと思うのです。で、つい不躾にじっと見てしまっていたのかもしれません。


(この原稿は「大工原正樹への手紙」(井川耕一郎)(6月4日)に対する返信です)