渡辺護、伊藤大輔を語る(1)−渡辺護が選ぶ伊藤大輔ベスト10−

(このインタビューは、2004年に公開された渡辺護監督作品『片目だけの恋』の宣伝サイトに掲載されたものです。
現在、フィルムセンターで「生誕110年 スターと監督 大河内傳次郎伊藤大輔」という特集上映が行われていますが、どの作品を見にいったらいいかを考えるときの参考にどうぞ。
渡辺護監督が熱く語っている『鞍馬天狗』は11月2日(日)17時から上映されます)


 風呂場から物音がするんだ。おれはラジオで『宮本武蔵』が聞きたくて、夜遅くまで起きていた。親にはよく「早く寝なさい」と叱られてたけどね、徳川夢声の『宮本武蔵』を聞かないと眠れなかったんだ。昭和十四、五年、八才くらいのときのことだよ。
 風呂場に行こうとしたら、兄貴に止められた。「見るな」と言われた。でも、気になって仕方がない。と言うのも、その日、学校の帰りに警察が非常線をはっているのを見ていたからね。
 風呂場に誰がいたかは後になって兄貴から聞いた。うちの映画館で働いていた映写技師だった。女を殺してしまったんだよ。
 あの頃、王子の駅前にはカフェーがあった。親父は月に一回、従業員を連れていって、一杯飲ませていた。で、その映写技師は女給の一人に熱をあげてしまったんだ。
 映写技師にしてみれば、女と口をきくのは夢みたいなことだったんだよ。カフェーの女給も「一緒になってもいいわ」なんて言ったんだろうな。向こうも商売だからね。それでつい無理をしてカフェーに通いつめてしまった。しまいに映画館の金を使いこんだりして……。結局、おれをだましたな!ってことで、女給を殺してしまったんだ。
 警察に追われるはめになった映写技師は、夜遅くなっておれの家に来た。親父はとにかく風呂に入れと言った。それから、映写技師をどうするか考えたらしい。
 映写技師は警察につかまらなかったね。どこに逃げたかは知らない。
 けれども、それからだよ――年末になると、北海道から差出人不明で新巻鮭がうちに届くようになったのは。
 そういえば、おれの家によく刑事が来ていたな。ハンチングかぶって、いかにも刑事って格好で、縁側でお茶を飲んでいる。で、ふっと思い出したように親父に言うんだ。
「あの晩、映写技師がおたくに来なかったかい?」
 親父は植木をいじりながら答えていたな。
「何だい? 何にもねえよ」
 ええッ?! さすが映画監督? 話が映画みたいで出来すぎだって? ウソなんか言うもんか! 本当にあった話だ。
 おれが生まれ育った東京の下町ってのは、昔はそういうところだったんだよ。


 渡辺護らしい映画ベスト10と言われても困ったな。昔、見て感動した映画ってのは他のひととあんまり変わらないよ。『七人の侍』だとか『晩春』だとか。洋画だったら、『天井桟敷の人々』だとか『望郷』だとかね。
 一番好きな映画監督、尊敬する監督ということになると、やっぱり伊藤大輔だな。伊藤さんは大変な映画監督ですよ。日本映画は伊藤大輔から始まったと言ってもいい。若い人には、大和屋竺伊藤大輔は似ていると言ったら興味をもってくれるかな。二人ともインテリだけど、すごいロマンチストだよ。
 大和屋ちゃんがホンを書いた『おんな地獄唄 尺八弁天』では、弁天のお加代とセイガクが惹かれあう。二人の背中の刺青――弁天と吉祥天の刺青がお互いを引き寄せるんだ。この設定なんか、丹下左膳に出てくる二つの刀、乾雲・坤龍とよく似ていると思う。
 伊藤大輔丹下左膳というと、『新版大岡政談』だ。丹下左膳が乾雲をやっと手に入れて、主君の前に現れる。けれども、駕籠の中の主君は「刀は要らぬ。汝は家臣にあらず」と左膳を冷たく突き放す。すると、裏切られた左膳が言うわけだ。「おめでたいぞよ、丹下左膳」――名台詞だよ、これは。
 それから、『続大岡政談 魔像篇第一』の冒頭もいいんだよ。大河内傳次郎演じる茨右近が上役たちにいびられている。でも、右近はずうっと黙って畳に顔を伏せたままなんだ。そのうち、右近の裃がちょっと震えてくる。すると、字幕が出るんだ。「こいつ、泣いているのか?」「笑っているのか?」「いや、泣いている」「いや、笑っている」「いや、泣いている」「いや……」。そうして、ついに右近が顔を上げると――これが笑っているんだ。で、「お首が一つ」と言って、人の首が転がる。今まで自分をいびっていたやつの首を右近が刎ねてしまうんだよ。
 どうだい。これこそ活動大写真だよ!
 二本とも見ているのかだって? 考えてみると……見てないんだよ。でも、兄貴がおれにくりかえし話してくれたんだ。それですっかり見た気になってたんだな。兄貴は十才年上で、おれと違って頭がよかった。東大で美学を勉強してたけど、映画の世界に行きたかったのかな。結核で亡くなった後、部屋を整理していたら、シナリオの草稿が出てきた。丸根賛太郎の『仇討交響楽』のシナリオみたいなんだ。兄貴はあの映画のシナリオを手伝ってたのかもしれないな。
 無声映画の頃の映画人には憧れますねえ。伊藤大輔だけじゃなくて、山中貞雄を中心とした鳴滝組――梶原金八なんかもいいじゃないですか。それに、山中貞雄は上京すると、小津安二郎と会って呑むのを楽しみにしていたっていうでしょう。そういう映画監督同士の粋な付き合いってのは本当に羨ましいね。大和屋ちゃんのホンで撮った『(秘)湯の町 夜のひとで』には、そういう無声映画時代への憧れが根っこにあるんだ。大体、活弁つきのブルーフィルムなんて、そんなもの、あるわけがないよ。
 それにしても、伊藤大輔サイレント映画はきちんと見てみたいねえ! 昔、浅草で『忠次旅日記』の総集編は見ているけれど、まだ子どもだったからね。あの映画の良さが分かってなかったと思うんだ。去年、フィルムセンターで『斬人斬馬剣』をやったけど、あれも断片だったからなあ。伊藤大輔のサイレントがまともに残っていないというのは、本当に残念だよ。
 というわけで、前置きが長くなったけれど、おれが見た伊藤大輔の映画ベスト10は次の通りだ。監督作品だけでなく、脚本作品も入れてみた。順位はつけてない。思い出した順番に並べただけだ。


雪之丞変化(1935年、脚本・伊藤大輔、監督・衣笠貞之助
鞍馬天狗(横浜に現る)』(1942年、監督・伊藤大輔) 11月2日(日)17時
『下郎の首』(1955年、監督・伊藤大輔) 11月19日19時
座頭市地獄旅』(1965年、脚本・伊藤大輔、監督・三隅研次
銭形平次捕物控 まだら蛇』(1957年、脚本・伊藤大輔、監督・加戸敏)
『王将』(1948年、監督・伊藤大輔) 11月11日(火)16時
『御誂次郎吉格子』(1931年、監督・伊藤大輔
『切られ与三郎』(1960年、監督・伊藤大輔) 11月19日(水)16時
薄桜記(1959年、脚本・伊藤大輔、監督・森一生
『四十八人目』(1936年、監督・伊藤大輔11月2日(日)14時
『源氏九郎颯爽記 秘剣揚羽の蝶』(1959年、監督・伊藤大輔) 11月21日(金)13時


(注:印がついている作品は、2008年11月にフィルムセンターで上映されるものです)


 おや、数え直したら十一本あるな。なに、かまうもんか。伊藤さんの映画から十本だけ選ぶのはとても難しいってことだよ。