渡辺護、伊藤大輔を語る(2)−『雪之丞変化』と『鞍馬天狗』−

 そりゃあ、『王将』は伊藤さんの代表作だ。ベスト10を選ぶとなったら、入れなくちゃいけない。でも、おれが好きな伊藤大輔は、名作を撮る伊藤大輔じゃないんだ。
 同じバンツマ(阪東妻三郎)主演なら、『王将』より『おぼろ駕籠』『大江戸五人男』の方におれは愛着がある。中村錦之助主演の映画なら、『反逆児』より『源氏九郎颯爽記 秘剣揚羽の蝶』の方を選ぶ。
 つまり、おれが好きな伊藤大輔は、活動大写真を撮る伊藤大輔、娯楽に徹したときの伊藤大輔ってことだよ。そうなると、中学のときに見た『雪之丞変化』の総集編と『鞍馬天狗(横浜に現る)』の二本はベスト10から絶対に外せない映画ということになる。


 雪之丞変化は、人気女形・中村雪之丞が両親を死に追いやった連中に復讐するって話でね、おれはその総集編を十三か四のときに神田の南明座って映画館で見た。
 おれはバンツマやアラカン嵐寛寿郎)は好きだったけれど、長谷川一夫は好きじゃなかったんだ。何で若い女がキャーキャー騒ぐのか分からなかったんだよ。ところが、『雪之丞変化』を見て考えががらっと変わった。魅せられたねえ!
 夜、駕籠屋が、えっほ、えっほ、とやって来ると、覆面の男たちに取り囲まれるんだ。駕籠屋が駕籠を置いて逃げだした後、男たちは「出てこい」と駕籠の中の長谷川一夫演じる雪之丞に迫る。すると、雪之丞は「履き物を……」と言うんだが、男たちは「ふざけるな!」
 で、その後の立ち回りがきれいで格好いいんだよ。なよなよしたやつが舞うように男たちを倒していく。でも、全部、峰打ちなんだ。
 それから、長谷川一夫一人二役で盗賊の闇太郎も演じているんだが、この闇太郎もいいんだ。雪之丞をめぐるドラマが一通りあった後、屋根の上が映る。すると、そこに闇太郎がいて(隠れてじっと雪之丞たちを見ていたんだな)、こう言うんだよ。
 「やれやれ! 惜しいところで、お後は明晩のお楽しみか。さすが役者だなア。うまい具合に幕にするもんだア」――伊藤さんらしい粋な場面だね、ここも。
 『雪之丞変化』の見所といえば、出だしもあげとかないといけないな。雪之丞の仇が芝居を見にやって来て、特等席に座る。すると、そいつらを見上げて、「見てろよ。盗みに入ってやるから」と言う連中がいる。主な登場人物を芝居小屋に集めて、さあーっと紹介してしまうんだ。そうして、最後に奈落から雪之丞がせり上がってくる――この瞬間は何度見ても、ぞくぞくするねえ。
 結局、『雪之丞変化』は五回くらいは見ていると思う。監督になってから、おれは『あばずれ』『少女縄化粧』といった復讐ものを何本か撮っているけれど、考えてみると、これは『雪之丞変化』の影響かもしれないね。


 鞍馬天狗はおれが見たときには『鞍馬天狗 横浜に現る』ってタイトルだった。それが戦後、『鞍馬天狗 黄金地獄』ってタイトルに変えて公開された。今、残っているフィルムは再公開のときのやつだけど、一体どこのどいつがこんなひどいタイトルを付けたんだ? ぶん殴ってやりたいよ。
 『鞍馬天狗(横浜に現る)』は横浜が舞台なんだ。しかも明治四年――鞍馬天狗が活躍してた幕末じゃないんだよ。ここも伊藤さんらしい発想だと思う。
 冒頭、角兵衛獅子の杉作たちが曲芸を見せている。するとそこに白人の女を背にのっけた象を先頭にサーカスの行列が宣伝にやってくる。風船がばらまかれて、花火が打ち上げられて……、杉作たちはまるで商売にならない。
 同じ頃、横浜のはずれの洋館の一番上に日本人がいるんだよ。その男は窓際に立ったまま動かない。中国人とユダヤ人の二人組が彼に銃を向けて返答を迫っているんだ。「ミスター・オハラ、イエス? オア、ノー? もうすぐ十二時ね。一分だけ待ちましょう」
 30秒……20秒……10秒……そのとき、日本人の男の前にサーカスの風船が飛んでくるんだ。男は風船をつかむと、手に隠し持っていた木の札を風船にくくりつける。「ジャスト! ミスター・オハラ、イエス? オア・ノー?」。オハラはふりむきざま、「ノー!」――すると、銃声が、バーン! オハラはその場に倒れる。けれど、木の札をつけた風船は飛んでいって、杉作たちの手に渡る。
 一体どんな事件が起きているのか、そんなことは分からない。けれど、出だしからぐいぐい引きこまれてしまった。見ていておれは思わずうなったよ。
 これこそ活動大写真ってやつさ!
 翌日、おれは学校に行くと、仲間にストーリーを話して、『鞍馬天狗(横浜に現る)』を見に行こうと誘った。『雪之丞変化』のときと同じようにくりかえし見たんだ。
 昭和十九年頃と言えば、戦況もかなりやばいときだ。映画館じゃ、『加藤隼戦闘隊』だとか『轟沈』だとか、そんな映画ばっかりやっている。おれは戦争映画なんかつまらなくて見たくもなかった。考えてみれば、非国民だよ。
 おれは活動大写真に飢えてたんだ。そんなときに見た『雪之丞変化』や『鞍馬天狗(横浜に現る)』だよ。くりかえし見るのは当然だろう。
 そりゃあ、『鞍馬天狗(横浜に現る)』のラストでは、アラカンが「あの娘はお国を守って死んだんだ」みたいなことを言うよ。でも、そんな台詞、もう聞いちゃいない。その頃にはもう、ああ、いい映画だった!って頭の中で回想しだしてるんだ。


 批評家ってやつは、持ち上げるだけ持ち上げといて、ドーン!と落とすのが商売みたいな連中だ。だから、伊藤大輔も戦後は時代遅れってことになっている。
 けれど、名作を撮る伊藤大輔じゃなくて、活動大写真の伊藤大輔に注目してほしいね。脚本家としての伊藤さんの仕事も含めて、もう一度見てほしい。
 たとえば、ビデオも出ていることだし、銭形平次捕物控 まだら蛇』あたりを見てもらいたいね。長谷川一夫主演のお正月映画で、美空ひばりがゲストで出ている。スターにそれぞれ見せ場をつくって、なおかつ面白く構成されているホンがさっと書ける人のどこが衰えてるってんだ。
 加戸敏なんて大した監督じゃないよ。けれど、そういう人にもこれだけのものを撮らせてしまうのが、伊藤さんの凄いところですよ。
 『まだら蛇』の一番の見所は、長谷川一夫の平次が山本富士子に会いに行くところだ。平次は山本富士子の父親に会いたかったんだが、その父親は死んでしまっている。けれども、山本富士子は言うんだ。「父は喉をつぶされて声が出なくなっていたけれど、犯人が誰かをわたしに伝えようとしてました。平次さん、父の唇の動きを読み取って下さい」
 それから山本富士子は死んだ父親をまねて、声を出さずに口だけパクパクさせるんだよ。その口もとを見て平次も口をパクパクさせる。犯人の名が分かったみたいで「うむ、それで」なんて相槌をうってる。
 すると、山本富士子も「黒幕は――」と言ってから、また口パクパクだよ。「黒幕は――」まで言ったんなら、全部声に出して言えよってなもんだよな。でも、面白いじゃないですか、急に読唇術で会話するってのは。無声映画みたいで。
 『まだら蛇』のラストでは、堺駿二八五郎も唇の動きを読もうとするんだよ。ただ泣くばかりの木暮実千代の顔をのぞきこんで、「えーと、なになに」って彼女の気持ちを代わりに言ってしまう。で、「おやぶーん、おいらにも読唇術ができましたよー」
 おい、そりゃ、読唇術じゃなくて、読心術だよ。でも、この終わり方は通でいいじゃないですか!