『ついのすみか』、7月15日(水)18時からフィルムセンター小ホールで上映

井川耕一郎が86年に撮った自主映画『ついのすみか』が、「日本インディペンデント映画史シリーズ2 ぴあフィルムフェスティバルの軌跡vol.2」の1本として、7月15日(水)18時からフィルムセンター小ホールで上映されます(併映は永森裕二の『はばかりあん』)。


詳しくは、フィルムセンター公式サイトをどうぞ。
 http://www.momat.go.jp/FC/Cinema2-PFF2/kaisetsu_5.html


作品に関する情報はPFF公式サイトをどうぞ。
 http://pff.jp/jp/old/award/1987.html#tsuino
 

『ついのすみか』について(井川耕一郎)


その頃、考えていたのは、「物語を語る」とはもともとどんなことだったのだろう、ということだ。
何ものかがわたしに降りてくる。
そうして、何ものかがわたしの体を通して物語を語っていくうちに、わたしがわたしでなくなっていく。
そんなあやうい時間を映画に撮ることはできないか、と思っていた。
直接のきっかけは、図書館でたまたま手にした能についての本だった。
本に載っていた『二人静』の舞台写真を見て、ここに何ものかがひそんでいると感じ、『ついのすみか』のシナリオを書いたのだった。


『ついのすみか』の撮影と照明を担当したのは、福本淳だった。
撮影前に福本は言った。
「この映画、家庭用電球だけで撮ってみましょうよ」
そうだ、たかが8mmの自主映画なんだ、プロの真似なんかすることはないだろう、と思い、私は福本の提案に賛成した。
ところが、ちがったのである。
福本が用意した家庭用電球は十個以上あった。
それらをあとちょっとでフレームに入りそうな、ぎりぎりのところに次々と配置していったのだ。
さらに福本は小さなカメラみたいなものを目にあてて、しつこく何かを計測しだした。
「それは何?」と尋ねると、福本は「露出計です」と答えた。
当時、私たちのまわりでスポットメーターを使うやつなどいなかった。
要するに、福本は家庭用電球でどれだけいい画が撮れるかに挑戦しようとしていたのである。
現在、福本淳は映画のカメラマンをやっている。
思えば、あの頃から福本にはプロみたいなところがあったのだ。


『ついのすみか』に出演している飯塚裕之は、高校時代から8mmで実験映画を撮っていた。
そこで、私は飯塚に、芝居と芝居の間に入れるあさりなどのイメージカットの監督と撮影を頼んだ。
今なら、フェイド・イン、フェイド・アウト、オーバーラップなどは編集のときにパソコンを使って自由にできるが、8mmではそうはいかなかった。
撮影時に8mmカメラを操作して行うしかなかったのだ。
あさりを撮るとき、飯塚はたえずあさりに話しかけていた。
オーバーラップをやるために、フィルムを巻き戻しているときにも、飯塚はあさりに話しかけていた。
「いいねえ! すごくいいよ! でも、もうちょっと身を外に出してみようか……。あっ、素晴らしい! 今すぐ撮ってあげるからね……」
何やってんだ、と私はそばであきれて笑っていたが、ラッシュを見ると、あさりが口を開け、白いぷっくりとした身をくねらせているさまがとても美しかった。
「流しのボウルの中のあさりが舌を出したのを、指先で触ると引っ込むという映像が女陰を想像させ」ると、当時、鈴木志郎康さんが批評に書いているけれども(『月刊イメージフォーラム』87年3月号)、これは飯塚裕之の手柄である。
現在、飯塚はテレビディレクターとして世界遺産を撮る仕事をしている。
世界遺産を撮るときにも、やっぱり彼は話しかけているのだろうか。


当時の8mm映画の多くはアフレコだった。
けれども、飯塚や福本と話しているうち、『ついのすみか』では同録をやってみようということになった。
録音を担当したのは山岡隆資だった。
撮影現場に来た山岡は、うーん、困ったなあ、と言って考えこんだ。
8mmカメラのカタカタとまわる音が思った以上にうるさいうえに、出演者がずっとささやくように小声でしゃべっているのだ。
結局、山岡は福本に、カメラの音が漏れないように布団をかぶって撮影することを要求した。
福本は山岡に言われるまま、一枚、二枚、三枚……と布団をかぶり続けた。
ああ、気絶しそうだ……、と布団の奥から福本がぼやくと、山岡は、がまんして下さい、と言って笑った。
あのときの山岡はまだ大学に入ってきたばかりで、自主映画の経験もゼロだった。
なのに、もう何年も早大シネ研にいるかのような、妙に落ち着いたところのあるやつだった。
山岡はその後、Vシネマの監督となり、私の脚本で『ニューハーフ物語 わたしが女にもどるまで』や『痴漢白書10』を撮った。


二十数年前の自作を上映されるというのは、やっぱりひどく恥ずかしいものである。
もし今、『ついのすみか』を上映することに何らかの意味があるとしたら、
それは、『ついのすみか』が当時の自主映画でどのような試行錯誤が行われていたかを伝える記録になっているという点にあるのだろう。
(今回のフィルムセンターの上映ではテレシネ版ではなく、オリジナルの8mm版を上映します)