『TOCHKA』(トーチカ)を目撃して(熊野桂太)

 TOCHKAという映画の存在は、僕も在籍している映画美学校の周辺でずいぶん前から囁かれていたが、僕が知ったときには劇場公開されていなかった。見る手立ても無かった。あらすじも知らなかったし、誰かの感想も聞いた覚えもない。ただ、ときどき、別々の人間の口から、題名だけを聞かされ、忘れ去ることが出来なかったのだが、今回試写券を頂き、やっと見る機会に恵まれた。
 「ワンシチュエーション、2人の登場人物」と、その試写券には書いてあり、上映時間は93分。僕は当然のように、その2人がどのように出会い、どんな話をして、どのように別れるかに関心を持って、客席に座った。
 冒頭、ただの、コンクリートの壁面が映し出され、あの題名「TOCHKA」の文字が浮かぶ。次にそれを見る女(藤田陽子)の顔が映し出される。さっきの壁面は彼女の視線をあらわすショットなのだとすぐに思い至る。観客と、最初のまなざしを共有した彼女は、古めかしいカメラと一葉の写真を持って、荒野に点在するトーチカの中に入っては、ワイドスクリーンのような形をした銃眼に切り取られた寒々しい景色を見つめる。
 男が、そんな荒野の彼方から現れる。それも、彼女の見た目ショットであらわされる。彼女を通じて、この男(菅田俊)との出会いを体験する映画なのだと、過去の映画体験から自然にそう思う。

 2人は名乗りあうこともなく、背中合わせに建つ2基のトーチカの周りで、居心地の悪い会話を始める。ところが、2人はいつまでも同一ショットに収まろうしない。お約束上はあるべきはずの、「2人は見つめ合っている」と説明するためのツーショットすら満足に提示しないこの映画は、「ワンシチュエーション、2人」とすら言えず、独りぼっちの人間が2つ存在するのを、ただ交互に映し出しているだけにすら見えるのだ。
 別々に呟かれる独り言を聞くような寂しさの中、物語は次第に明らかになっていく。この男女はどうやってこの孤独を克服するのだろうか。


 だが、映画はそんな観客を裏切ってしまう。しかも裏切っただけでは終わりにしない。男女は、確かに別れる。だが、立ち去ってしまうのは女の方なのだ。
 一人残った男は、トーチカの中で絶対的な孤独にじっと耐えねばならない。これほど孤独な画面は、確かに初めて見るものだ。観客として受けた仕打ちとしても初めてだと思う。相棒(バディ)に見放されるなんて!これ以降、観客はそれぞれがそれぞれのやり方で、男と、映画と向き合わなければならない。


 時間が止まったようなトーチカの中で、男はじわりじわりと、澱んだ暗闇に浸されていく。もう誰ひとり現れ得ない絶望的な孤独。だが、その孤独に身を侵されていく快楽を貪っているかのようにも見えるのだ。ラストだ、今度こそ映画が終わるだろうと予感されるそのときに、松村浩行監督は、男の孤独の本質を提示してみせる。その仕方がひどく美しい。陰惨であるが、それゆえに美しいのだ。その仕方だけは絶対に見なくてはならない。


 TOCHKAは、大変危険な映画で、孤独を扱ったたくさんの映画の中でも、その怖さは群を抜いているように思える。93分とだけ書くと短いようだが、物語を越えた先を(あるいはそれ以前の世界を)往く長編映画だから、(先に見た観客として忠告できるが)油断するとひどい目に逢うはずだ。ラストのその美しさを目撃するまでは、決して最後まで目を逸らしてはいけない。


 映画が終わり、客席が明るくなると、骨にまで染み込んだトーチカの闇を感じた。しかし、暗闇の中で、観客としてあの孤独に耐えた標のように、いつまでも残って消えないのは、ただの闇では無く、暗闇の中から見つめていた様々なシーンで、ちょうど、あの女が傷のように持っていた写真によく似たものだった。


熊野桂太(25) 映画美学校12期高等科在籍中
映画製作を志し、バイトと勉強に励んでいます。


松村浩行『TOCHKA』(トーチカ)は、ユーロスペースでレイトショー公開されます(10月24日〜11月13日・連日21時から)。
詳しくは公式サイトをどうぞ。

 『TOCHKA』(トーチカ)公式サイト
 http://www.tochka-film.com/index.html