金子サトシ『食卓の肖像』を再見して(井川耕一郎)


(以下の感想は、2013年4月4日にツイッターhttps://twitter.com/wmd1931)に書いたものです)


金子サトシ『食卓の肖像』を再見。映画が始まって30分くらいたったところで、五島列島のとある集会所で行われた市民団体による自主検診が映る。検診の後はビールを飲みながらの会合。ひとりのおばちゃんが大きな声でみんなに向かって話しかけている。


「(カネミ油症の)未認定被害者の掘り起こしを誰かがやらにゃいかん。よし、うちの父ちゃんには長距離トラック乗らしときゃええんや。わたしがやる」としゃべりまくるおばちゃん(矢野トヨコさん)は底抜けに明るくて威勢がいい。まわりから笑いが起きている。


この検診シーンには「2000年8月」と字幕が出る。『食卓の肖像』の中で最も古い映像だろう。金子サトシはカネミ油症の問題と同じくらい、矢野トヨコさんの強烈な個性にも関心をもち、ドキュメンタリーの制作を決意したのではないか。


実際、矢野トヨコさんの人生は波乱万丈で、作品の題材としてとても魅力的なものだ。ところが、本格的な撮影に入る前に矢野トヨコさんは亡くなってしまう。金子サトシは真剣に撮りたいと思ったひとを失い、がっかりしたにちがいない。


しかし、撮りたいものが撮れなかったという悔しさを感じるところから、ドキュメンタリー制作は本当に始まるのではないだろうか。そう思って、『食卓の肖像』を見直してみると、まず印象に残るのは女性たちの姿だ。


カネミ油を使っていた頃を語る真柄ミドリさんは、しゃべりだしたら止まらないお人好しのおばちゃんだ。重本加奈代さん、渡部道子さんはシンポジウムや会議に出てカネミ油症の実態を正確に伝えようとしている。彼女たちは撮ることのできなかった矢野トヨコさんの分身なのだ。


一方、男たちはどうなのか。矢野トヨコさんは人前では「うちの父ちゃんには長距離トラック乗らしときゃええんや」と言っていたが、金子サトシの質問に答える矢野忠義さんを見ていると、奥さんのことを心から尊敬し、黙って支え続けてきたことがよく分かる。


矢野トヨコさんに比べると、矢野忠義さんはもの静かなひとなのだが、これは矢口哲雄さんにも、真柄ミドリさんの夫・繁夫さんにも言えることだ。特にしゃべり続けるミドリさんの横に黙って座っている真柄繁夫さんのたたずまいがいい。


『食卓の肖像』を再見して思ったのは、ああ、並んで座る真柄ミドリ・繁夫夫婦の姿は、矢野トヨコ・忠義夫婦の分身なのだな……ということだった。金子サトシは撮ることができなかったカットに何とか近づこうと試行錯誤している。そこが表現としてすぐれていると思った。


追記1:(井川)さっき書いた金子サトシ『食卓の肖像』の感想に事実とちがうところが一つありました。本格的な撮影に入る前に矢野トヨコさんは亡くなったわけではなさそうです。


金子サトシは「(2005年頃に)再会した頃にはトヨコさんの病状はかなり悪化されていて、入退院を繰り返していました。なので、トヨコさんを中心に追いかけるのは考え直し」と書いています。http://webneo.org/archives/8297


追記2:金子サトシ『食卓の肖像』については以前にも感想を書いています。参考までにどうぞ→ http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20120204/p2