西尾孔志『ソウル・フラワー・トレイン』について(井川耕一郎)


以下の文章は、8月22日にツイッターに書いたものです。


(井川)西尾孔志『ソウル・フラワー・トレイン』を試写で見ながら思ったことは、大阪はよそ者にも親しげに話しかけてくる町なのだなということ。そして、隙あらば、ひとの持ち物をくすねようとする町なのだということ。(誤解がないように言っておきますが、映画の中の大阪の話です)


(井川)大阪がまるで異なる二つの顔を持っているという設定は一見面白そうです。しかし、ドラマを進めるときの妨げにもなりはしないか。大阪では、ひととひとの間の距離は急速に縮まるけれども、あるところまで来るとストップしてしまう……なんてことを映画を見ながら思ったのですが。


(井川)大阪で暮らす娘に会いにいこうとする父(平田満)と、どうやら父に会うため、ひさしぶりに大阪に戻ってきたらしい娘(真凛)。こう書くと、二人の間に何か起こりそうな気がするのですが、真凛の案内で平田満が大阪見物をする前半部分では特にこれといったことは起こりません。


(井川)この「何かが起こりそうで、なかなか起こらない」大阪の感じをどう受け止めたらいいのか。もどかしいけれども、どこか心地よいと受け取るか……、それとも、何か起きろよ!といらだつか……。正直に言うと、自分はちょっとだけイライラし、この後の展開を心配したわけですが。


(井川)ところが、真凛と別れた平田満が娘(咲世子)の部屋に泊まるあたりから、映画の顔つきが変わってくるのです。娘に対してある疑いを持った平田満は、眠ろうとしても眠れず、夜の大阪を一人ふらふらさまよう。すると、通天閣が異様な輝きを見せ、無人路面電車が走ってくる……。


(井川)このとき、平田満は夢を見ているわけです。夢の中で、彼は大阪に来てから見聞きした断片的な事柄をつなぎあわせて、必死になって娘に対する疑いになんとか答を出そうとしている。


(井川)平田満のこの無意識のあり方がぼくには面白かった。娘との距離を強引に縮めようとしている。それは、映画を見ている自分が大阪に対して感じているもどかしさとどこかで響き合うところがあったわけです。


(井川)夢から目ざめたあとの平田満は、無意識が欲するものに衝き動かされているかのように行動する。まずは真凛との距離を強引に縮め、次に娘・咲世子との距離を縮めようとするわけです。その姿は滑稽だけれども、同時に感動的でもある。おお……!と声が出てしまったというか。


(井川)特にストリップ劇場で平田満が、はいッ!はいッ!と挙手するところが素晴らしい。それにしても、平田満の暴走にたまたまその場にいあわせた人々がのってしまうという展開は東京では考えられないでしょう。大阪でなければ成立しない奇跡ではないか、と思ったのですが。



西尾孔志『ソウル・フラワー・トレイン』は、現在、新宿のケイズシネマで公開中です(連日20:30〜)。
公式サイト:http://www.soulflowertrain.com/