渡辺あい『電撃』と冨永圭祐『乱心』についての往復書簡・第1回(清水かえで+井川耕一郎)


(この往復書簡は、2011年にプロジェクトDENGEKIブログのために書いたものです)


<はじめに>


試写で渡辺あいさんの『電撃』を見たら面白かった。それで、大工原正樹さんに、『電撃』の感想をブログに書きますよ、と言ったのだが、あとになって、しまった!と思ったのだ。冨永圭祐くんの『乱心』とセットにして論じると面白いんじゃないかなあ、なんて余計なことをついでに口走ってしまったからである(冨永くんは『電撃』では共同脚本)。
さて、どうしたものか……!と腕組みしていると、左下の奥歯が痛みだし、その範囲がじわじわ広がり、ついには脳天にまで達した。ものが書けないなんてものじゃない。普通の生活もできなくなりそうだったのである。もうダメだ!と近所の歯医者に駆けこみ、危機はなんとか去った。しかし、歯痛&頭痛と一緒に、それまで考えていたことが全部、頭の中から消え去っていた。
やれやれ、困ったぞ、と思いながらパソコンを見た。立教大学の映像身体学科で私の授業をとっている清水かえでさん(彼女はこのブログに『純情�・1』の批評を書いている)とのメールのやりとりが残っていた。読んでみて思った。なーんだ、これをそのまま、大工原さんに渡せばいいじゃないか。
 というわけで、清水さんに事情を説明し、メールを公開することにしたわけである。これで、大工原さんとの約束ははたした(清水さんの方が私よりたくさん大切な着想を書いていて、私はそれを応用しているだけなのだが)。清水さん、本当にありがとう。助かりました。みのる酒店(志木にある素晴らしい立ち飲み屋である!)で、なにか飲み物と高菜奴をおごります。(井川)


<清水かえで→井川耕一郎:『電撃』、面白かったです>


渡辺あいさんの『電撃』、面白かったです。
変な映画でしたけど。


最初に、美輪玲華さん演じるミチコがナレーションで、
「わたしが妊娠してから、タカヒロはやさしくなりました。でも、彼の浮気はとまりませんでした」
と言いますね。
それから次の次のシーンで、ミチコが買い物から帰ってくると、
リビングに波多野桃子さんがいて、安藤匡史さん演じるタカヒロが説明します。
「妹のキョウコだよ」と。


初めて妹のことを紹介するみたいな口ぶりで、なんかおかしいなぁと思ったのですが、
でも、キョウコは妹ではなくて、ほんとうは愛人なんだろうと、このときは思ったのです。
ちがいました。
タカヒロがうそをついて、キョウコを妹にする必要はなかったのです。
だって、ミチコはタカヒロの妻でも、同棲相手でもなく、
ただの○○○(ネタバレになるので、ふせておくことにしました(清水))だったのですから。
それに、あとになって、ミチコの妊娠もうそだと分かります。


最初にこれがお話の基本設定だと思っていたものが、ぽろぽろくずれていって、
わたしは今、何を見てるんだろと、くらくらしてきました。


でも、最初に書いた「変な映画」というのは、この「ぽろぽろ、くらくら」のことだけじゃないのです。
「わたしはタカヒロの妻で、妊娠している」という妄想がミチコがとりついていて、
そんなミチコにタカヒロやキョウコがふりまわされるお話だったら、分かりやすいと思うのですが、
『電撃』はそうではないように見えました。


ミチコはタカヒロに言います。
「兄妹って、あんなにべたべたするものなの?」
風呂あがりのタカヒロにくっつくキョウコを見ていると、ほんとうに妹という感じがしません。
ミチコがやめてからのシーンですが、
キョウコはタカヒロと同じベッドで仲よくならんで寝ています。
あれ? わたしは今、何を見てるんだろ?
キョウコは妹なの? 恋人なの?と、分からなくなってしまうシーンでした、これ。
キョウコは妹なのだから、そんなことがあってはならないんだけど、
タカヒロを愛しているのかなと思ったりしたのですが、
もしそうなら、キョウコが別の男のひととつきあっていて、じつは子どもがおなかの中にいるという設定は、どう受けとめたらいいのでしょう?
(今さっき書いたことと矛盾しますが、
キョウコはほんとうに妊娠しているのかな?とも思いました。
ミチコがキョウコにエコー写真を見せて、妊娠しているでしょ?と言うシーン。
あのとき、ミチコが手にしていた写真には折り目がついてました。
今、キョウコのおなかに赤ちゃんがいるなら、写真をあんなふうに折りたたんだりするかなぁと、思ったのです。
ひょっとして、流産してしまって、そのショックで、タカヒロの家に行ったのでは?)


それから、タカヒロですね。
でだしのシーンで、タカヒロはミチコの夫ぽくふるまっています。
なのに、あとになって、ミチコはただの○○○だよだとか、
ミチコの妊娠はうそだと分かっていたなんて言っている。
キョウコに対する態度も変です。
キョウコが恋人ぽくふるまって、いちゃいちゃしようとするのを、タカヒロはこばみません。
でも、キョウコがなぜ家出して、うちに来たのかをきちんと知ろうともしないのです。
そんなことぜんぜん興味がないといった感じで、心のそこから冷たいひとなのでは?と思いました。
このひとの本心はどうなっているのでしょう?
それに、タカヒロはほんとうに小説家なのでしょうか?
パソコンに向かってなにか書いているみたいですが、書いているふりをしているだけに見えます。


『電撃』では、ミチコだけじゃなくて、キョウコも、タカヒロも、ぽろぽろ、くらくらです。
三人が三人とも、自分ではない誰かを演じようとしているみたいです。
そこがとても面白かったんですけど、でも、どうしてこうなったのでしょう?
そういえば、大工原正樹監督の『純情�・1』も、演じたい!という欲求につき動かされる映画でした。
渡辺あいさんは大工原さんの教え子だそうですから、やっぱり、影響を受けたのでしょうか?


清水かえで


<井川耕一郎→清水かえで:『電撃』を見て、『乱心』を思い出す>


清水さん、メールありがとう。
たしかに清水さんが書いているように、『電撃』は変な映画ですね。冒頭で示される「妻−夫−愛人」の三角関係が途中で消失して、思ってもみなかった方向にドラマが進んでいく。
それで、ぼくが思い出したのは冨永圭祐くんが撮った『乱心』という映画でした。冨永くんは『電撃』のシナリオを渡辺あいさんと一緒に書いているひとです。


『乱心』の冒頭で、十郎はひよりの部屋を訪ねます。「放っておいてほしいのに」「私、呪われてる」と言うひよりに、十郎は「だとしたら、オレも呪われている」と言い返す。そしてさらに、妹の墓参りに一緒に行かないか、とも言う。
ここまで見て分かることは、どうやらひよりと十郎の間には忌まわしい過去があるようだということです。となると、この後、展開するドラマはどのようなものになるか? 忌まわしい過去を乗り超えようとして、逆にひよりと十郎、二人の身の上に恐ろしいことが起きるというドラマが予想されます。
ところが、その後のドラマは予想したようには進まないのです。
(清水さんは『乱心』を見ていないだろうし、別にネタバレしても問題ないと思うから先に書いてしまいますが、十年前にひよりの父は十郎の妹・耶子を殺しています)


ひよりを連れて故郷に戻った十郎は、まず幼なじみの盛太と清音に会うのですが、そのときに盛太はひよりを見て、「あれ、耶子ちゃんか」と言う。
それから、実家に戻り、両親と会うわけですが、ここでも母の霞がひよりの姿を見て凍りつく。晩飯のときに、耶子の茶碗と箸をひよりの前に出したところから見て、どうやらお母さんもひよりが殺された娘に似ていると思っているらしい。
盛太も霞もひよりに耶子を重ね合わせているのだけれども、ここで気になることが出てくるのです。本当にひよりと耶子は似ているのか?
盛太と一緒にひよりを見た清音はそうは思っていない。後になって、盛太に、何で「あれ、耶子ちゃんか」なんて言ったの?と尋ねている。
十郎の父・十信も似ているとは思わなかったようです。
じゃあ、なぜ盛太と霞は、ひよりが耶子に似ていると思ったのか?


その答は、途中で出てくる十年前の事件についての回想シーンで分かります。
一晩、留守にしていた両親が家に戻ってくる。霞は耶子の部屋のドアを開けて思わず叫ぶ。そこには、耶子の血まみれの死体があって、横には妹の手を握って眠っている十郎がいた……。
おそらく、霞はこのときの人物配置にとり憑かれてしまったのです。だから、十郎の横にいるというだけで、ひよりと耶子を重ね合わせてしまったのでしょう。
では、盛太は? 彼が十郎とキャッチボールするシーンがあるのですが、そこで盛太は「お前が守れば、耶子ちゃんは死なずにすんだんじゃないか」と言います。きっと、盛太は誰かから十郎が耶子の死体の横で寝ていたことを聞いていて、そのことにこだわっていたにちがいありません。
(ちなみに、十年前の耶子とひよりが似ているかと言うと、映画を見た印象ではまるで似ていませんでした。これはあきらかに、容姿ではなく、人物配置に注目せよ、と言っているようなものです)


ほら、ドラマが思ってもいなかった方向に進んでいるでしょう?
登場人物たちが問題にしだすのは、ひよりの父が耶子を殺したことではないのです。殺害された耶子の横で十郎が寝ていたことが問題になっているのです。
とりわけ、この人物配置にこだわるのは、もうじき結婚することになっている盛太と清音です。
盛太は十年前のことをこう考える。おれは耶子ちゃんが好きだったのに、十郎は耶子ちゃんを助けなかった……。
清音は子ども時代をふりかえってこう考える。わたしは十郎が好きだった。でも、十郎は耶子ちゃんを愛していて、耶子ちゃんもそのことが分かっていたみたいだった……。
こうして、盛太と清音の考えがいりまじり、「十郎−耶子−盛太」と「耶子−十郎−清音」の複合体である四角関係が生み出される。そして、この四角関係が、十郎−ひより−盛太−清音の関係に影響を及ぼし、惨劇が起きる。もう少し具体的に言うと、ひよりが盛太に犯され、清音がそれに激怒するというわけです。
盛太の子を宿している清音は十郎の実家に乗りこんでくると、みんなの前で自分の腹を包丁で何度も刺します。恐ろしいことはひよりと十郎の身の上にではなく、二人のすぐ横で起きてしまうのです。


このとき、ひよりは大笑いするのですが、一体、この笑いの意味は何なのだろう?
とても気になっているのですが、それに対する答がまだ見出せないでいます。
ああ、すみません。話が『電撃』からそれてしまいましたね。
(以下、『電撃』の感想が記されるが、清水さんの感想と重複するところが多いので、省略する)


井川耕一郎


追記

『乱心』のキャスト表を記しておきたい。

十郎:福島慎之介
ひより:新井美穂
耶子:江連えみり
清音:柳有美
盛太:平吹正名
霞:大沼百合子
十信:針原滋
浩嗣(ひよりの父):万田邦敏