『赤猫』シナリオについて(大工原正樹(監督))

 井川のシナリオが上がってくるといつも呆気にとられる。
 のぞき屋稼業 恥辱の盗撮』(96)でシナリオの打ち合わせを終えたとき、私は、盲目のヒロインと探偵が憎しみの中で惹かれあう悲恋の物語が出来上がってくるものだとばかり思っていた。しかし井川が書いてきたシナリオは、ヒロインが盲目なのは打ち合わせ通りだが、話はヒロインと連続殺人鬼である叔父との近親相姦ともいえる妄執が中心に描かれており、主人公であるべき探偵は二人を見つめ続けるしかない、苦悩する傍観者の立場に追いやられていた。困った。けれどもこちらの方が圧倒的に面白い。そこで私は自分が思い描いていたあれやこれやを頭の中から追い出して、井川の書いてきたシナリオにまっさらに近い状態で取り組まなければいけなくなった。
 今回の『赤猫』でも、井川との最初の雑談では、ある夫婦の間の小さな亀裂が一人の少年(もしくは少女)の登場によって修復不能なまでに大きくなり崩壊する、という簡単なプロットがなんとなくの合意となっていた。
 まあ、それだけで井川がシナリオを易々と書いてくるはずもなく、メールのやり取りが始まった。メールの内容はもっぱら井川がシナリオの物語世界に没入し、狂えるだけのモチベーションをこちらが喚起できるかどうかに関することだった(と私は思っている)。それだけに、私にとっては苦しく緊張感のある対話だった。
本当に色々あった末に井川は『赤猫』のシナリオを書いてきた、一人っきりで。
 読んで呆気にとられた。短編であることを意識して、登場人物やテーマが次第に変わってきていたことは承知だったが、メールのやり取りからこちらが想像していた会話が高揚を準備するドラマとはまったく違う静かな狂気が、整然と緻密に書かれていた。けれど凄みがあり、スピードがあった。となれば、後はもう撮るだけだった。毎度のことだ。