作品紹介『人コロシの穴』『如雨露』『春雨ワンダフル』

5月30日(火)に『人コロシの穴』、5月31日(水)に『如雨露』『春雨ワンダフル』が上映されるので、パンフレットからあらすじなどを転載します。あらすじと監督コメントは監督自身が、作品解説は井川が書いています。(井川)


『人コロシの穴』(02年/16mm/36分)
監督・脚本:池田千尋
出演:桐野ゆき(サワコ)、木田貴裕(亮輔)、西山洋市(自転車の男)

    『人コロシの穴』のさらに詳しい情報はこちら。
      1stCut2002 http://www.1st-cut.com/2002/
      (主演の桐野ゆき(藤崎ルキノ)さんのインタビューなどがあります)

<あらすじ>
風が強く吹いている丘の上、一人の少女がうたを歌いながら穴を掘っている―――、成長した少女はお腹の中に一つの命を宿すが、誰にも告げられないまま堕胎してしまう。彼女の中には見られたくないものを穴に埋めていた過去が浮かび上がり、彼女の前には家族や恋人との埋められない現実が横たわる。ある朝、追い詰められた彼女は恋人の元をそっと抜け出し街をさまよい歩くのだが……。

<作品解説>
 今、目の前にある「これ」を子どもの頃のようにあの丘に埋めてしまおう……。主人公のサワコは殺害した赤ん坊を抱いて夜行列車に乗るのだが、目的地である故郷に着いたあたりから思わず息を殺して見守るしかないような禍々しい画面が展開しだす。一体、この異常なまでの緊張感はどこから来ているのだろうか。サワコの眼前にふいに広がる黒々とした水田からか。それとも死体を抱える彼女に容赦なく吹きつける激しい風からか。
 初等科で製作される16ミリ作品には、偶然なのか必然なのか分からないが毎年一本、穴を掘って死体を埋める映画が選ばれている。『人コロシの穴』のサワコもまた学校の伝統(?)に従い、必死になって穴を掘りだすのだが、場所が水田であるためか事は容易には進まない。夜が明けようとしているのに泥水を浚い続けるサワコ――。しかし、穴を掘る作業の困難さを通して、映画は確実に存在の基層に触れようとしているのだ。
 ラストのサワコの台詞については講師の間でも評価は真っ二つに割れた。「人を一人、殺しておきながら、これではあまりに傲慢だ」というのが否定的な評価である。たしかにラストの台詞はサワコの言葉としては間違っている。だが、これはサワコではなく池田千尋自身の声ではないのか。彼女は内向する表現を限界までつきつめた。ラストの台詞はモノローグのドラマを卒業し、次の段階に進もうとする映画作家の宣言なのである。

<監督コメント>
 人、コロシ、人を殺すということ。堕胎、嬰児殺し、どちらも赤ん坊を殺すということ。そしてその罪。境界線上に主人公サワコは立ち尽くす。ラストで彼女の顔に引かれる赤い線は、他者を巻き込んだことでもう自分の手では拭い去ることすら許されない「刻印」である。それは彼女の解放を決して許しはしない。同様の赤い線はこの映画によって私の頬にも引かれた。私は自分自身のミニクサも含めた全てとこの映画の上で向かい合った。そして多くの人を巻き込み、助けられ、傷つけ合いながらただまっすぐに向かったこの作品は私にとっての刻印だ。この刻印から目を背けることなくその深さを実感しながら私は映画を撮り続けていくのだろう。


『如雨露』(03年/16mm/31分)
監督・脚本:吉井亜矢子
出演:白須陽子(ラク)、行天友紀(クロ)、佐伯登茂子(倫子)

  『如雨露』に関するさらに詳しい情報はこちら。
    1stCut2003 http://www.1st-cut.com/2003/

<あらすじ> 染物工場で働いている男クロは、ある朝空き地で自分の頭にじょうろで水遣りをする女ラクに出会う。「地球カフェー」の店主、倫子に幼い頃拾われ執念深くかわいがられてきたラクと玉。二人は体の一部が植物化し花が咲いていた。ある雨の日、誰もいない講堂にしのびこみ失神ゲームをしていたラクと玉は、お互いの花で受粉してしまう。そして実をつくった玉は枯れていく。
 クロに恋したラクは自分もクロを植物化させ受粉することを思い立ち、夜の染め物工場を訪れる。なんとかしてクロに花を咲かせようと必死になるラクは、プールのような冷たい水桶にもぐり、自分に生えるぶっといサボテンのようなピンクのとげをクロの胸に刺した……。

<作品解説>
 1stCut選考会議で理解不能という声さえ上がった問題作。だがその一方で自由奔放な想像力を高く評価する声もあり、特撮の実習にもなるという理由から選ばれた。
 受講申込書の「私がつくりたい映画」の欄に吉井亜矢子が書いた企画は、病気で呼吸困難になった恋人を救うために雑草に水をやり、酸素を増やそうとする少女の話であった。だが、授業で企画を練っていくうち、地味なラブストーリーは予想もしなかった変化を見せはじめる。まず、主人公の少女は植物と融合して人間とは異なる生物に変貌する。そして、従来の男性・女性という性のあり方を大胆にふみにじって、他者との間に新たな形のコミュニケーションを求めようとする欲望がドラマの根幹を流れるようになるのである。
 特に注目すべきはドラマの中盤にある夜の講堂のシーンだろう。そこでは人間の男女の恋愛よりもはるかにエロティックで濃密な関係が植物人間たちの間で成立している。

<監督コメント>
 突然頭に浮かぶ強烈に鮮やかなイメージ。空に静かにたなびく長い手ぬぐい。温かく発光する植物の根っこにくるまれ、蚕の繭のようになって眠る。小さい何万個もあるサイコロが渦巻く……。
 あとからあとから湧き出してくるイメージを、自由に好き勝手につなぎ合わせお話を作ることの楽しさ。静止画だったフィルムの一コマ一コマは連続し、女は動き出す。やがて音楽が聞こえてくる。ひとが集まりひとつの映画になっていくすばらしさ!
 そよそよと髪の毛を揺らす風の心地よさ。のどがからからの時の水の甘い味。太陽の光の温かいやさしさ。を感じるのは、誰もがもっている、遠い草だった頃の記憶。


『春雨ワンダフル』(03年/16mm/36分)
監督・脚本:青山あゆみ
出演:鈴木卓爾(ハルオ)、北川智絵(ビワコ)、小沢紗季(ビワコ子ども時代)

  『春雨ワンダフル』に関するさらに詳しい情報はこちら。
    1stCut2003 http://www.1st-cut.com/2003/

<あらすじ>
 ある日突然死ぬ病気を抱えた男・春雨ハルオは、食堂で黙々とソバを打つ日々を送っていた。そんな春の日に、ハルオの嫁が謎の家出をする。彼はその寂しさを埋める為、食堂に置き去りにされた幼い娘・ビワコを育て始める。
 ある晩ビワコは、廃工場で股間から魚を出した男に襲われる夢を見る。工場の音が響く中、いつしか彼女は機械になりたいと考えるようになる。
 十年後、年頃になったビワコは密かにハルオに恋をする。そんな夏の日、ハルオは突如ビワコに求婚し、彼女は戸惑いながらもハルオを受け入れる。しかしその時から、ビワコは再び機械になりたいと強く願いはじめる。その異変に気づけないハルオ。2人の心は徐々にすれ違っていく。
 数ヶ月後、道端で独り出産したビワコは、機械のように走り出す……。

<作品解説>
 田舎の食堂で立て続けに事件が起こったかと思うと、ぽんと時間が飛び、唐突に破局が訪れる――レトロな雰囲気の中、ドラマが暴力的な速度で進む脚本が評価された作品。
 一体、このドラマと「ワンダフル」という語はどんな関係にあるのか。その答は、ラスト近くでまるで白い花のように散る雪のうちにあるだろう。表現するという行為をくぐりぬけて新しい自分に次々生まれ変わっていきたい青山あゆみは、宙を舞う雪に嫉妬し、そのワンダフルな運動に追いつき、追い越してゆきたいと願っているのだ。それゆえ、ビワコは産んだばかりの赤ん坊=表現さえも放り出して疾走しようとするのである。
 ちなみに受講申込書に書かれたラストは次の通り。「その直後テレビからイルカの『なごり雪』が。ハルオはテレビに銃を発砲、『ドラマにすんなよ』と一言。しかし、曲は流れ、暖簾をくぐってイルカが歌いながら登場」。表現を否定する衝動に満ちた表現である。

<監督コメント>
 一寸先は闇で、本当は人間に明日など無いのに、私はそれを信じてのんびり暮らしています。そこで私は試しに主人公のハルオを「ある日突然死ぬ病気」にして、追い詰めてみました。しかし彼は、逃げた嫁を追い掛ける事すらできませんでした。きっと彼は一生、ウダウダと悩みながら生きていくのだと思います。でも彼には子どもが残りました。
 一方ビワコはガッツのある娘です。ウダウダした心を捨て、本当の自分の体を手に入れました。機械のように活き活きと走るビワコは幸せで、かなしい娘です。ハルオは私の現実で、ビワコは理想です。どんなに駄目でも、現実には希望があると思って私は暮らしています。