キャメラマンは語る1(志賀葉一×常本琢招)

『みつかるまで』のパンフレット(編集は4期生の氏原大くん)からの再録です。(井川)



 
『みつかるまで』撮影・志賀葉一インタビュー(志賀葉一×常本琢招)


[志賀葉一・デビュー前後]
−まずは、志賀さんの撮影デビュー作についてお伺いしたいのですが。
志賀「たぶんー、稲尾実『痴漢柔道部』(1979年)だったと思う。(笑)何かそんな感じのタイトルだよ。」
常本「え、ツィゴイネルワイゼン (監督・鈴木清順)が1980年ですよね。稲尾さんの撮った後に『ツィゴイネルワイゼン』の撮影助手ということですか?」
志賀「そうそう。たまたま女房の会社の役員をやってたカメラマンが、永塚さん(『ツィゴイネルワイゼン』撮影/永塚一栄氏)のチーフを長くやっていた人で。で、永塚さんは日活がロマンポルノを始める前にやめてしまってる人なんで、要するにいつも使っている助手さんとかがいない状態だった。で、誰かいないかっていうんで、もう永塚さんも74、5歳で、何かあったときに代わりに回せるぐらいの人が良いっていう、考え方だよね。だから、何カットか俺が撮ったカットも入ってる。面倒くさいカットとかね。高いやぐら登って撮るカットとかさ(笑)」
常本「79年というと、30歳くらいですか。」
志賀「なってないか。29なのかな。」
常本「それは早いんですか。」
志賀「そんなことも無いんだよ。遠藤政史(カメラマン)とか、もっと早くなったんじゃないの。あと富ちゃん(富田伸二・カメラマン)とか、異様に早い。25、6くらいから回してたよ。だから特別、当時としては早くないし。でも今となっては早いかもね。今は、あんまり早くないからね。」
常本「で、何で、ピンク映画を撮っていた志賀さんが自主映画の長嶺さん(長嶺高文/映画監督)の作品を手がけるようになったんですか?」
志賀「単純な話で、向井プロにいたんだよ長嶺が。」
常本「あ、そうなんですか。助監督だったんですか。」
志賀「そうだよ。えーと。滝田(滝田洋二郎/映画監督)の一年くらい後輩なのかな。で、一年くらいいて辞めたんだよ、長嶺は。で自主映画やるっていうんで誘われてね。」
常本「なるほど、長年の疑問が氷解しました。」


[常本琢招との作品群]

・常本琢招と志賀葉一、作品履歴
成田アキラのテレクラ稼業』(1994年)
『投稿写真白書』(1996年)
『健康師ダン』(1998年)
『恋愛ピアノ教師 月光の戯れ』(2001年)
『みつかるまで』(2002年)


−それで、常本さんとの作品なんですが。最初は成田アキラのテレクラ稼業』(1994年)ですね。
常本「93年から始まって、12年で五本、志賀さんにお願いしているんですよね。」
志賀「(リストを見つつ)何か、変ちょこりんなのばっかしやったよな。まともなのはないんじゃない?」
常本「(笑)いやいや、そんなことないですよ。」
志賀「だから、この『恋愛ピアノ教師 月光の戯れ』(2001年)これは、唯一まともだよ。あとはどっちかと言うとキワモノだろ。キワモノというか色物という。(笑)」
常本「だから、何というかテクで勝負するやつをお願いしている傾向は無きにしもあらずなんですけどね。」
−常本さんの作品を撮るとき、他の監督とここが違った、というようなことはありますか?
志賀「まあ、常本っちゃんは自分の中に出来上がっているものが、わりとガッチリある方で、コンストラクションがしっかりしている方なんだな。カメラマンってさ、しっかりしてればしっかりしてるほど入り込みづらくてさ。カメラマンと監督の関係で言うとね、敵の隙間に潜り込んで良いとこ見せてやろうっていう気持ちがあるわけだよ、どのカメラマンにもね。そのスキがない。(笑)逆に言うと隙をたくさん見せといて、ルーズに見せといて、いただきをうまくやるっていう人もいるんだけど。常本っちゃんはわりとシッカリしているんだよな。だから、隙間を探すのが結構大変なの(笑)」
常本「まあ、カット割りとか事前にシッカリしてないとまずい作品ばっかり志賀さんにはお願いしてましたからね。」
志賀「やった中でコンテがいわゆるエンターテイメント的にうまくいったのは、『健康師ダン』(1998年)だよね。これは優れてるよ。コンテがシッカリしてればしてるほど現場は、工場生産的になりやすいんだよね。カット数もたくさんあるとさ。でも、あがったのを見て、ああ、良く出来てるなぁと感心しましたよ。まあ、この作品は人間を描いているわけじゃないからね(笑)」
常本「(笑)ツボ押し合戦みたいなものですからね。この志賀さんにお願いした作品中で、『テレクラ稼業』『健康師ダン』『ピアノ教師』は自分では気に入っているんですけどね。最初に『テレクラ稼業』をお願いしたときに、ぼくは志賀さんのことを存じてなかったんですけど、上がって来たものを見ると画のシャープさが全然違うんですね。それと細かい仕掛けのカットとかも結構あったりして、例えばテレクラの話なんで狭いところを撮らなくちゃいけないんで、上から撮ったり横から撮ったりといったことに対応して頂いたりして。あと鳥の見た目を撮るとかもあったんですよ。男の人が女の人のことを想っているとですね、鳥がその想いを届けに飛び立つんですよ。(笑)それを竿の先にCCDを付けて、撮ってもらったりして、そういう細かい、くだらない思いつきに見事な技術で対応して頂いたわけなんですけど。ぼくの場合、カメラマンは志賀さんともう一人福沢正典さんと二人しかいなくて、大体情緒的なものは福沢さんにお願いして、テクニカルなものは志賀さんにお願いするという感じが、完璧にそう振り分けているわけではないんですけど、何となくそういうところもあるかと思ったりもするんですけど。」
志賀「トリッキーなものが好きなんだよな。だから、つい自然なものを撮ってたりしても何か違う画がないかな、とか思ったりしてさ。(笑)性格だよな。しょうがないよね。」
常本「まあ、そういう面白がり方の視線が良いなと思ってお願いしているんですけどもね。」
志賀「ぼくは、たぶん一番芝居好きなカメラマンだと自負している部分はあるんだけど、あんまり芝居が立派すぎるとアリバイが無くなっちゃって。(笑)つい、そこに穴を見つけようとしちゃう。でも芝居すごい好きだよ。だからホンもうるさい方だと思う。」
常本「そうですよね。シナリオに関しては細かく意見を言われますよね。言われないとお終いだな、と思っているんですけど。」

(続く)


志賀 葉一(しが よういち):1949年生まれ。鈴木清順ツィゴイネルワイゼン』(1980年)では、撮影・永塚一栄の助手をつとめる。主に80年代のピンク映画で滝田洋二郎、片岡修ニ、渡辺元嗣らの片腕として質の高い表現に貢献。ピンク映画における低予算での特撮は他の追随を許さない。現在も一般映画とピンク映画を往還し、精力的に活動している。
フィルモグラフィー http://www.jmdb.ne.jp/person/p0155640.htm
          http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=118194