キャメラマンは語る2(志賀葉一×常本琢招)

[『みつかるまで』撮影時]

−そんな中で『みつかるまで』は、比較的情緒的な作品だと思うんですが。
志賀「そうだよね。撮影的には結構難しい素材だったね。いわゆるキワモノ的なテクニックじゃない、もっと内面的なものを引っぱり出すテクニックみたいな。例えば最初の部分のコップの中の水に光が当たってキラキラしている、あれが彼女の内面的なものと繋がってかないとまずいわけで。あと、やってて途中で気付いたんだけどやっぱり助手さんが無しで(美学校の生徒だけで)やると結構しんどいんだよね。それと常本っちゃんが、またテクニックに走る方だから。(笑)」
常本「今回、なぜ志賀さんにお願いしたかというと、やっぱり町場(ロケーションで撮影するということ)の作品に慣れているということがあって、あとこういういわゆる素人集団(映画美学校生たち)を束ねるのは志賀さん慣れている、かどうかは分からないですけど、より対応してくれるかな、というのがあってだったんですけど。」
志賀「時々、現場で、ああこんなことをやってるとボロボロになっちゃうな、と(笑)」
常本「テクニカル的には、モノレールの止め撮りと動かしの複雑なマッチングがあったりして、それでお願いした次第なんですけど。」
志賀「まあ、テクニックのない撮影なんて実は無いんだけどさ。」
−志賀さんは『みつかるまで』では、どの辺にいわゆる隙を見つけていこうとされたんでしょう。
志賀「俺のやってる作品の中で、一番隙が見つけづらい作品なんだよね。理路整然としてわかりやすい作品の方が、隙間っていうのは見つけやすいんだけど。非常に芝居の内面的なものを追っかけている作品っていうのは字面通りではないわけで。こういうタイプの作品は、監督と役者さんのやっている作業を見ながら、こういうのはどうだろうと打診しながらやっていくことしか出来ないんだよね。到達点がはっきり分かっているのは、監督だけなんだよ。技法的なもののフィールドに入っちゃえば、このコンストラクションで行くなら、これが足りないんじゃないということは言いやすいんだけど。アクション足りないとか、お色気が足りないとか、この余計なものを削った方がはっきり伝えられるとか言えるんだけど。なかなかはっきりしたことが言えないんだよな、常本っちゃんも。」
常本「ああ、そういう感じが、いつもより現場中したんですけど、そういうことだったんですかね。」
志賀「分かりやすい内容というか、分かりやすいコンテだと画も作りやすいんだよね。メリハリもつかまえやすい。『みつかるまで』みたいなこういう作品で、メリハリっていうのはむしろ芝居を邪魔してしまう可能性もすごくあって難しいんだよね。ただ続いている芝居の時間を、どこかで監督がもう一つ違う時間軸に持っていくためには画が必要だったりするわけだ。というのは、役者の生理に付いていっちゃうといつまでも芝居の時間の中にしかいないわけだよね。芝居を見せる視線を変えるとか。それと、少しでも良いカットが撮れて、それが芝居と繋がればそれなりにスプリングボードになる。画っていうのは、理詰めじゃなくて良い画をコンスクトラクションに叩き込めればそれはそれで効くわけじゃない。あと、電車のつながりがね、結果的にはあんまり上手くはいってない。(笑)」
常本「あれねえ、本当に大変だったですよね。」
志賀「やっぱりね、お天道様には叶わないっていう。仮にでかいライトがあってもどうしようもないね。撮れる時間帯も限られていたし。ロケーションが多いものっていうのはやっぱり自然光っていうのが影響するよね。」
−『みつかるまで』の中で上手くいっているカットというのはありますか?
志賀「芳美の部屋はね、65点くらいにはなったかな、と。65点っていうのは及第点っていうことなんだけど。やっぱり電車は、ちょっとね。あとナイトシーン。空き地の木のシーンは撮っただけで精一杯だったな。(笑)それ以上の何かというところまでなかなかいけなかった。」
常本「聞いていると今回、相当苦しかったみたいですね。(笑)」
志賀「あれだけの引き画を、あるイメージを作り出してライティングするのはかなり大変なことなんだよね。部屋とかのコンパクトなシーンと違うから。そうすると、結局、映っているだけみたいな画になりがちだよね。部屋に関しては何とか雰囲気は、撮れたかなと思っているんだけどね。」
常本「学生の人たちとやったというのはどうですか?」
志賀「結果的にはね。良かったよ。いっときはどうなるかと思ったけど。(笑)それと、一番、しんどかったのは夜の橋の上のシーン。雨降り出すしさ。これはどうしようもねぇな、ヤバイなあ、っていうのと、あ、これはイタダキだな大丈夫だな、っていうのはワンカットごとにあるんだけど、あそこは半分パニックだった。縦位置で両サイドにライトの置き場所も無いような場所で、どうにもならないような場所だったんでね。」
常本「今回の作品はフジで撮って最終的にはコダックで焼いたと思うんですけど、あれはどうしてでしたっけ。」
志賀「色をもうちょっと出した方が良いなということだったんだけど。やっぱりネガよりも、ポジの力が強いんだよね。ネガは情報を記録するというところがあって、フジで撮ってもコダックで撮ってもかなりのところは情報としては近接してるんだよね。ただポジとのマッチングというところでネガがフジでポジがコダックよりも、コダックコダックの方がよりコダックらしさは出るのかも知れないけど。大きなファクターとして発色に関わってくるのはポジの方なんだよね。やっぱりフジポジの方が色が淡くて、コダックの方がこってりしてる。この作品に関しては、その方が良いかなということだよね。」
常本「『みつかるまで』が完成してから、どうだったというような事はありました?」
志賀「良いとか悪いとか言う以前に、あれなんだよなー難しい作品だ、こういうのは。俺の性格なんだけど、明解な到達点みたいなものを置かないと自分ではっきりしないという。感じるものはいっぱいあったんだけどね。単純に沁みてくるものを味わえば良いという見方もあるとは思うんだけどね。」
常本「やってる方もね、時々そういうものを作りたくなっちゃうんですよねー。」
志賀「あと、あの子(芳美役の板谷由夏さん)が難しいのは、内面的なズレとかを感じさせづらい顔なんだよね。役者さんて基本的に、まず表面的なもので、見た目なんだよね。」

(続く)