沖島勲ノート(2)−3(井川耕一郎)

 一九九六年に沖島勲が監督した第三作目の作品は、まずタイトルでひとを惹きつける。『したくて、したくて、たまらない、女。』――だが、このタイトルはピンク映画に本当にふさわしいものなのかどうか。たとえば、『女課長の生下着 あなたを絞りたい』というタイトルなら、これはまちがいなくピンク映画だ。前半の「女課長の生下着」が猥褻なイメージを必死になって喚起しようとしている一方で、後半の「あなたを絞りたい」は何のことだかさっぱり分からないが、猥褻な雰囲気だけはただよわせている。この具体性と曖昧さの奇妙な組み合わせがピンク映画のタイトルに必要なものなのだろう。だとしたら、『したくて、したくて、たまらない、女。』はまったくピンク映画らしくない。曖昧さがまるでなく、笑ってしまうくらい具体性に向かってまっしぐらだ。
 映画は、仕事を終えた二人の仲居が露天風呂に入るところから始まる。このとき、仲居たちはひっそりと湯につかっている謎の女(城野みさ)を目撃するのだが、観客はすぐにこの女が「したくて、したくて、たまらない、女。」だと直感するだろう。実際、ドラマはその直感のとおりに進行し、最後には女の正体が明かされる。女は杉田ひかるという元女優だった。いや、正確には、杉田ひかるの生霊といった方がよいだろうか。杉田ひかる自身は老人ホームに入所している寝たきりの老女だった。ベッドの上の彼女は、フリーライターの斎藤(黒沢清)と温泉宿の息子・洋一(倉田昇一)に背を向けたまま、こう語る。

老女「特に、俳優の安田健治とは、深い仲で……二人でよく、ここの温泉にお忍びで来たのです……でも、安田も私も、役者にありがちなことですが、恋の駈け引きや、人気の奪い合いに夢中で……、要するに、虚栄心ばっかりで……本当に男と女として、素直な付き合いが出来た時期はなかったのです……」
  淋しく笑う、老女。
  (旅館で、浴衣姿の若いひかると健治が、言い争うカットがインサートされる)
老女「その事が、心残りで……」
  息を潜めて、立っている二人。
老女「私は、結局、一杯……沢山の男と付き合って来ましたが、……一度も肉体的な満足を得たことは、ないのです……」


 彼女はそこまで話すと、息をひきとってしまう。要するに、死が目の前に迫ってきていると感じたから、彼女は「したくて、したくて、たまらない、女。」になったのだ。この点で、彼女のあり方は、『出張』の飲み屋の二人の女の目から見た熊井のあり方とよく似ている。
 『したくて、したくて、たまらない、女。』はタイトルどおりの内容で、見終えたあとに謎が残らないような分かりやすい構成になっている。しかし、DVDであらためて見直してみると、ひっかかる点が出てきた。それはセックスシーンに関することだ。


 1回目:仲居のミキと夫の昌三
 2回目:洋一と恋人の房子(室内)
 3回目:洋一と房子(外)
 4回目:杉田ひかるの生霊と温泉宿の番頭・喜六
 5回目:杉田ひかるの生霊と昌三
 6回目:洋一と房子(室内)


 上映時間一時間の間に六回のからみというのは、ピンク映画としてはごく普通のものだろう。しかし、六回の配分が、房子(葉月蛍)が三回、杉田ひかるの生霊(城野みさ)が二回、ミキ(小川美那子)が一回というのはどうなのか。『したくて、したくて、たまらない、女。』というタイトルの映画ならば、城野みさのからみは三回あるべきではないのか。(ちなみに、エクセスというピンク映画の配給会社では、からみの回数と配分がはっきり決まっていたように記憶している。主演女優が三回で、助演の二人の女優については、それぞれ二回と一回。合計六回であった)
 もちろん、からみにおいて重要なのは、回数ではなく内容であるという考えもあるだろう。たしかに、城野みさ演じる生霊と室田日出男演じる喜六のからみは強く印象に残るものだ。

  喜六がチビチビと酒を飲んでいる。
  布団の中から、
「ねえー……見たい?」
喜六「(又、目の色が変って)そりゃー、もうー……」
  女、布団の中で全裸になり、体の秘処をあちこちと喜六に見せる。
「ねえー……元気になった?」
喜六「そりゃ、もうー……ここまで見せて戴いて、元気にならん男なんて、おまへんがな!」
「アラ、喜六さん、大阪弁になったの?」
喜六「へえ、わて、若い頃、大阪におりましてん!……」
  喜六、女に乗しかかる。
喜六「気持ええです。気持ええです……ありがとうございます。ありがとうございます……」
  女も、よがりまくり、悶えまくって……やがて、気を失って行く。


 喜六の「そりゃー、もうー」のくりかえしにはどこか民話を思わせるのどかなところがあるし、女の「アラ、喜六さん、大阪弁になったの?」は何度見てもおかしい。沖島勲はユーモラスでエロティックなからみを撮っていると思う。
 しかしそれにしても、城野みさのからみが四回目と五回目というのは遅すぎはしないだろうか。映画の前半、城野みさはただ露天風呂に入っているだけで何もしない。結果として、彼女のかわりにがんばってしまうのが、ミキ役の小川美那子なのだ。なかなかセックスする気にならない夫の昌三に乳房を押しつけて吸わせ、しまいには夫のうえにまたがって悶えるミキの姿を見ていると、彼女こそ「したくて、したくて、たまらない、女。」ではないか、というふうにすら思えてくる。
 いや、ひょっとしたら、この考えはもっと推し進めてもいいのかもしれない。城野みさが最初に画面に登場した瞬間、彼女こそ「したくて、したくて、たまらない、女。」だと直感したことは、本当に正しかったのだろうか。世の中には、名前の最後に「娘。」と書くアイドルグループがあるくらいなのだ。『したくて、したくて、たまらない、女。』の「女。」が単数ではなく、複数である可能性は十分にある。
 もう一度、杉田ひかるの生霊の行動について考え直してみよう。なぜ彼女はセックスをする相手に、番頭の喜六とミキの夫の昌三を選んだのか。それにまた、なぜ彼女は温泉宿の一人息子・洋一とはセックスをしないのに、彼が房子とセックスするのを見て、「イヤ……イヤ……」と口走ってしまうのか。杉田ひかるは女優だった。ならば、彼女が誰かの無意識を読み取って、それをもとに役をつくって演じたとしても別におかしくはない。
 たぶん、杉田ひかるの生霊が読み取った無意識の持ち主は、温泉宿の女将(志水希梨子)にちがいない。ひさしぶりに東京から戻ってきた洋一が房子に会いにいった晩に、露天風呂で生霊は女将の無意識を読み取ったのだ。

  例の女が、ちょっと上気した面持ちで湯につかっている。切なげな表情で、何度もタオルを使う。
  見ると、……目の前に、女将が、やはり湯につかっている。
  女将、ムシャクシャした表情で呟く。
女将「全く……洋一ったら……帰って来た日くらい、家で、ジッとしていればいいのに……ッたく。……」
  女が、ザバッと湯から立ち上がる。
  チラッと目をやる女将。
  何か、決意した様な表情で、女が脱衣場の方へ行く。
  (※インサート――洋一と房子が交わる場面がインサートされる)
  女、脱衣場に行く。


 映画の後半に唐突に登場するフリーライターの斎藤は、城野みさ演じる謎の女の正体をあばいた。だが、その結果、登場人物は皆、いや、観客までもが、「したくて、したくて、たまらない、女。」は杉田ひかる一人だけだと思いこんでしまったのである。本当は、夫に先立たれ、たった一人で息子を育ててきた温泉宿の女将も「したくて、したくて、たまらない、女。」であったのに。
 洋一が自分の母が「したくて、したくて、たまらない、女。」だったと気づくのはいつになるのだろうか。おそらく、母が亡くなったあとだろう。そして、そのとき、洋一は沖島勲の他の作品に出てくる息子たちと同じように、母さんは幸せだったのだろうか……と問にとらわれてしまうにちがいないのである。