沖島勲ノート3−2−2(井川耕一郎)

 ここでもう一度、『YYK論争 永遠の“誤解”』の発想の出発点に戻ってみよう。外波山文明=沖島勲とみなすのはあまりに短絡的だが、外波山文明が義経、頼朝、清盛、常磐の四人が登場する劇中映画の作者であるという設定になっているのだから、少なくとも発想の出発点にある体験くらいは沖島勲と共有していると考えてもおかしくはないだろう。
 沖島は三十才くらいのときに、常磐が清盛の女になったことを知り、ショックを受けたと語っている。たしかに、こんなことは子ども向けの絵本には書けないことだし(注4)、それにまた、歴史の教科書にわざわざ記すほど重要なことでもない。沖島源義経に「母上は、あれから、どうなされました……」と言わせた背景には、そうした読書体験があったのだろう。
 だが、「母上は、あれから、どうなされました……」という問が求めているものは、常磐が義朝の死後、どのように生きのびたかということだけなのだろうか。宇川とのトークショーで、沖島は、子どもの頃に読んだ牛若丸の絵本の中で、もっとも強く印象に残っているのは義経常磐の別れの場面だ、と語っている。その場面は、今、私の手もとにある小学生向けの伝記、今西祐行の『源義経』(講談社火の鳥伝記文庫)では、次のように書かれている。

 牛若が七つになったとき、常磐は、清盛とのやくそくどおり、みやこの北にある鞍馬山のお寺にいかせることにしました。そこには、東光坊といって、義朝ともしたしかったぼうさんがいたからです。
 牛若は、お寺になぞあずけられるのはいやでした。でも、いやだといえば、困るのは母の常磐です。牛若にもそれはわかっていました。
「牛若や、おしょうさまのいいつけをよくまもって、りっぱなおぼうさまになっておくれ。さびしくなったら、このふえをおふき、おまえのお父さんも、とてもふえがおすきだったのだよ」
 常磐はそういって、牛若に小さな横ぶえをわたしてやりました。
「はい……。いってまいります」
 牛若は、なみだをこらえていいました。

 なぜ子どもの沖島はこの場面に強くひきつけられてしまったのだろうか。それはこの場面を最期に常磐義経の前から消え去ってしまうからではないのか。おそらく、幼い沖島常磐の絵本からの消失を通して初めて考えてしまったものとは、死なのだ。
 つまり、義経の「母上は、あれから、どうなされました……」という問は二つの問に分けることができるだろう。一つは、常磐平氏の時代をどのように生きたかということ。もう一つは、常磐がいつどこでどのように死んだのかということ。そして、義経の欲望の中では、一つ目の問よりも二つ目の問の方が、答が簡単には見つからないぶん、重要であった(常磐に関しては生没年不明。どのように死んだのかを知りたいのなら、幽霊となった彼女に尋ねるしかない)。
 だとしたら、三日目の朝の外波山文明の態度も少しは理解できるものになる。義経の欲望は外波山文明のもとから去ってはいないだろう。三日目の朝、外波山文明がトリュフォーのことを思い出すのは、彼が死んでいるからだ。そして、昔、倉庫で一緒に働いていた「山守さんっていう六十前の小父さん」もとうに死んでいるにちがいない。要するに、外波山文明は義経の欲望にうながされて、死者たちを思い出しているのである。
 ということは、外波山文明演じる監督が目指していたものは、死者を回想し、追悼するということだったのだろうか。三日目に撮影された劇中映画の中で、頼朝は「あの世を、この世に、取り入れて生きる……」という台詞を口にする。これは劇中映画の結論とも言えるような台詞である。だが、この謎めいた台詞の意味するものが死者の追悼だとしたら、これは何とも常識的すぎて拍子抜けしてしまうのだが……。


 外波山文明たちが最終日の三日目に撮影したものは、『YYK論争 永遠の“誤解”』の中でもっとも重要な部分のように見える。だが、その展開には謎も多く、一番分かりづらい部分でもある。
 三日目の撮影は義経と頼朝の論争から始まるのだが、まずこの時点で映画を見ている私たちはつまづいてしまう。劇中映画の大まかな展開は、撮影二日目まではスクリーンに映るいくつかのシーンから推測できた。しかし、三日目の義経と頼朝の論争はあまりに唐突である。一体、どういう経緯で二人は論争をするようになったのか。私たちは二日目までの展開と三日目の論争との間に断絶を感じてしまう。
 さらにひっかかるのは、義経が「何故、自分の弟を殺したのか?」と頼朝に問うていることである。義経の問そのものは実にまともで、おかしいところはない。たしかに、義経にしてみれば、頼朝が発した追討の命令はぜひともその訳を問いただしたいものだろう。だが、義経の糾弾に頼朝が答え、頼朝の答に義経が反論し……というその後の展開を見ていくうち、私たちの中にふと一つの疑問がわいてくる。そういえば、この劇中映画は義経の「母上は、あれから、どうなされました……」という問いかけで始まったのではないか。一体、あの問いかけはどこに行ってしまったのだろうか。
 するとそのとき、奇妙なことが起きる。頼朝の「嘘を付いているな?」という一言で論争の流れが急に変わり、常磐のことが問題になってくるのである。

頼朝「義経……それなら、言うてやろうー……お前は、今回の話の中で、嘘を付いているな?」
義経「(気色ばんで)な、なにが……」
頼朝「雪の中を、平家の追手を逃れて、落ちのびて行った……そのまま、鞍馬の寺に預けられたように言ったが、そうではなかろぅー」
義経「……!」
頼朝「何故、嘘をつく!?」
義経「そ、それは……」
  常磐、清盛の顔も恐怖で歪む。
頼朝「今若、乙若は、スグ寺に預けられたが……乳飲み子であったお前は、常磐の為に清盛公が用意した屋敷に、一緒に住んでいた筈だ」
義経「……!」
頼朝「清盛公は、お前の側で、お前の母を抱いていたのだ」
義経「……!!」
頼朝「その頃の事を、あまりに幼かったから覚えていなかったと言うなら、それも良い……然し、清盛公がお前の母に飽いて、藤原長成にくれてやり、お前が長成の事を実の父だと思い、暮らしていた事まで否定できまい……お前は既に、七歳になっていた」
義経「……」
頼朝「何故、嘘をつく?」
  清盛が止めようとするが、
頼朝「……お前は自分に嘘をついてまで、美しい“物語”を信じようとした……まるで“童話”のような世界を……」
清盛「“童話”!?」
義経「(打ちひしがれ)そ、そこまで……言うか……」
頼朝「そうだ、“童話”だ……そんなもので、この世を生きて行けるか!! 歴史の激動期を、やって行けるか!!……この世は“力”だ!!(と、絶叫する)」

 義経が嘘をついているという頼朝の指摘はたしかに正しい。だが、頼朝の言葉の中には、何かひっかかるものがある。彼は義経に向かって、「お前は自分に嘘をついてまで、美しい“物語”を信じようとした」と言っているが、この言葉に本当に間違いはないのだろうか。
 なるほど、劇中映画の義経は、監督の外波山文明が子どもの頃に読んだであろう絵本から借りてきた登場人物である。「美しい“物語”」、「“童話”のような世界」の住人であると言っていいかもしれない。
 しかし、「美しい“物語”」を信じていたら、「母上は、あれから、どうなされました……」というような問は出てこないのではないだろうか。義経は母に関することで「美しい“物語”」には欠落部分があるのに気づき、信じきることができなくなった。そこで、彼は母の物語を一から再構成するために、雪の山中の後のことは覚えていない、とあえて嘘をついたとは言えないだろうか。
 となると、三日目に撮影された論争においては、義経だけでなく、頼朝のあり方も不可解ということになる。義経の嘘をあばく形で常磐の過去について言及しておきながら、彼の「母上は、あれから、どうなされました……」という問いかけはなぜだか忘れてしまう――一体、頼朝のこの態度は何なのだろうか。
 いや、頼朝は義経の問いかけを忘れたのではなく、わざと無視したのかもしれない。前にも書いたように、義経常磐に対する「あれから、どうなされました……」という問いかけには二つの問が含まれていた(「常磐平氏の時代をどのように生きたか」という問と、「常磐がいつどこでどのように死んだのか」という問)。ひょっとしたら、頼朝は後者の常磐の死について尋ねる問を必死になって回避しようとしているのではないだろうか。
 思い返してみれば、二日目の午前中の撮影で、常磐が急に別人格になったかのように「それが、あなた……いい年をして、凄いテクニシャンで……」と言いだしたのは、頼朝の「それで、その後はどうなったの?」という問いかけによってだった。
 また、同じ日の午後の撮影では、義経の「アア、俺は馬鹿だった……」で始まる嘆きを、頼朝は途中から自分の嘆きにすり替えているし、清盛が議論に介入するきっかけをつくったのも、「あの、タコ坊主……チョット、清さん!」という頼朝のふざけた呼びかけによってだった。
 劇中映画の中で、頼朝は母の物語を再構成しようとする義経の真剣な試みをからかい、妨害するようなことばかりしてきている。こうした頼朝の態度から透けて見えてくるものは、常磐の死に関する問だけは抑圧しようという意思ではないだろうか。
 だが、一体なぜ頼朝は常磐の死に関する問を抑圧してしまうのだろうか。頼朝がいくら抑圧しても、母の死について知りたいという義経の欲望が消滅することはない。実際、撮影二日目の晩には、義経の欲望は怒りに形を変えて監督の外波山文明にとり憑いている。それにまた、三日目の撮影で、義経が「何故、自分の弟を殺した?」と頼朝を糾弾するのも抑圧に対する反動ではないだろうか。
 ということは、こういうふうには考えられないだろうか。頼朝が常磐の死について知りたいという義経の欲望を抑圧するのは、その欲望が重要であることを示したいからだ、と。ひどく屈折していて理解しづらい態度だが、こういう頼朝のあり方は柄谷行人が次のように論じた小林秀雄のあり方とどこかで響き合っているような気がする。

「批評とは竟に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!」(「様々なる意匠」)。この有名な文句は、たとえば「夢」を「視霊者の夢」(カント)として読むのでなければ、まったく愚劣である。実際これからどれだけ陳腐な批評文が生産されてきたことか! 小林秀雄から「批評」がはじまったといいうるとすれば、まさに彼が「視霊者の夢」を肯定しながら否定し、あるいは否定することによって肯定するという戦略的言説をとらねばならなかったからである。 (柄谷行人「懐疑的に語られた夢」)

 だとしたら、頼朝の「そうだ、“童話”だ……そんなもので、この世を生きて行けるか!! 歴史の激動期を、やって行けるか!!……この世は“力”だ!!」という台詞についても見直さないといけないだろう。この台詞は頼朝にとって結論などではなく、本当は新たな反論を誘うための仕掛けなのではないのか。そして、実際、頼朝のこの言葉に清盛は反応して、「ちょっと、待ってよ、あんさん……」と異議をとなえるのである。

清盛「その話には、色気が無い……あんさんの言う事は分かるが……その話には、何かが抜けてる」
頼朝「どぅいぅ事だ?」
清盛「ウーン、なんやろなァー、そぅー……」
  と、しきりに首を傾げているが、
  やがて――
清盛「(大声で)そぅや!!」
  と、膝を叩く。
清盛「その話には……“あの世が、抜けてるッ!!”」
 ギョッとする、一同。

 この「あの世が、抜けてるッ!!」という清盛の台詞には、映画を見ている私たちもちょっと驚いてしまう。なるほど、劇中映画の四人の登場人物はあの世の者という設定になっている。しかし、この設定は、彼らが過去をふりかえって語るというフィクションを成立させるための仕掛けでしかない。だから、頼朝が死者であることをまるで忘れてしまったかのように、「そうだ、“童話”だ……そんなもので、この世を生きて行けるか!!」と叫んでも、私たちはさして疑問を感じないでスクリーンを見ていたのである。
 ところが、清盛の「あの世が、抜けてるッ!!」は、この映画はこういう設定で成り立っているのだろうという私たちの思いこみを突き崩してしまう。映画が新たな段階に入ることを予感させるような台詞だと言えるだろう。とはいえ、清盛の言葉には分かったようで分からない部分がある。一体、なぜ「色気が無い」は「あの世が、抜けてるッ!!」に言い替えることができるのだろうか。
 撮影二日目に、清盛は「わしは、快楽主義者じゃー! 現世主義者じゃ!」と言っている。そういう清盛が面白みがないことを「色気が無い」と言ってしまうのは理解できる。しかし、快楽主義者で現世主義者の彼が「あの世が、抜けてるッ!!」という考えに達する道すじがどうにも見えてこない。「色気が無い」と「あの世が、抜けてるッ!!」の間には、飛躍というか断絶があるように思うのだ。
 そして、続く場面もこれまた分かったようで分からないのである。

 部屋の中は、外からの明りだけで照らされている。
 四人が……一方の外れた車座のようになって坐っている。
常磐「あの世って、何?」
清盛「そぅやねぇー……“個人”ってあるじゃない……あれから八百年間、随分盛んになって来た……」
  聞いている一同。
清盛「“個人”が、この世で立派な“個人”になったからって、何が面白いの……“個人”が“個人”である限り……死んだら、何処にも行かれへんよ……」
  聞いている一同。
清盛「しかも、世界は永遠に続く……その“個人”は、二度と出て来られへん」
常磐「じゃー、どうするの?」
清盛「さぁねぇー」

 ここで、清盛はこの世に生きる個人だけを人間とみなす考えに限界があることを指摘している。だが、この考えから導きだされるのは、人間にはあの世が必要ではないかという新たな問でしかない。これでは、常磐の「あの世って、何?」に対する答にはなっていないだろう。「“個人”が“個人”である限り……死んだら、何処にも行かれへんよ……」と言う清盛と、「あの世が、抜けてるッ!!」と言う清盛の間には、やはり、断絶がある。
 一体、なぜ清盛が語る言葉と言葉の間には断絶が生じてしまうのか。シナリオには「四人が……一方の外れた車座のようになって坐っている」というト書きがあるが、沖島はわざと清盛に「一方の外れた車座」のように思わせぶりな語り方をさせているのだろうか。
 いや、そうではないだろう。沖島は本当はあの世のことを真剣に語りたいのだが、自分があの世についてストレートに語るオカルト信者になってしまうことをひどく恐れているのだ。だから、清盛に断絶のあるしゃべり方をさせるしかなかったのではないだろうか。
 だとしたら、次の場面についても慎重に見直す必要があるだろう。

  部屋の中が――急に、暗くなる。
常磐「どぅするの?」
  一人一人のセリフの間が、随分、開く。
頼朝「あの世を、この世に、取り入れて生きる……」
常磐「あの世って、何?」
頼朝「……この世じゃないもの……この世から、追い出されたもの……」
義経「……神のようなもの……天使なようなもの……」
頼朝「幼いもの……子供っぽいもの、無邪気なもの、幼稚なもの……」
義経「(微かに笑って)童話のようなもの……」

 ここで、沖島は「あの世」をさまざまに言い替えて、分かりやすさを目指しているように見える。だが、これらの言い替えを鵜呑みにしてしまうと、肝心なところが逆に分かりにくくなってしまうのではないか。要するに、柄谷行人ふうに言うのなら、こういうことになる――「あの世を、この世に、取り入れて生きる……」の「あの世」を文字通り、死者たちがいるあの世として読むのでなければ、まったく愚劣である(注5)。
 頼朝の「あの世を、この世に、取り入れて生きる……」とは、死者たちとの対話を指しているのではないだろうか。私たちはふとしたときに亡くなった人たちのことを思ってしまう。だが、一体なぜそうしてしまうのか。答は生者である私たちの側から考えるだけでは見えてこないだろう。死者たちはたえず私たちに話しかけている、と考えないかぎり、本当の答にはたどりつけないのではないだろうか。


 外波山文明演じる監督にとって、映画製作とは何だったのだろうか。
 前にも書いたように、外波山の発想の出発点には子どもの頃に読んだ牛若丸の絵本があった。彼はまず子どもの頃に感じたことを義経に託して、「母上は、あれから、どうなされました……」と言わせようと考える。そして、自分たちの中に死者と対話したい欲望があることを認めるところまでドラマが進めばいいと考えて、シナリオを書きだしたにちがいない。
 だが、シナリオを書く前に頭の中にあったものと、書かれたシナリオとが完全に一致することはありえないだろう。外波山の場合にも、やはり、ずれが生じてしまったように見える。
 気になることが二つある。一つ目は、劇中映画の結論とも言える「あの世を、この世に、取り入れて生きる……」という台詞を義経が言っていないことである。義経に「母上は、あれから、どうなされました……」と言わせていることから見ても、外波山文明は彼を主人公としたドラマを構想していたはずだ。だとしたら、義経に結論を言わせようと考えるのが普通だろう。
 だが、実際に書かれたシナリオはそうはならず、頼朝に「あの世を、この世に、取り入れて生きる……」と言わせている。一体、これはどういうことなのだろう。
 おそらく、シナリオを書き進めていく中で、外波山文明演じる監督は二つに分裂してしまったのだ――子どもの頃の自分と、大人になった今の自分とに。そして、前者は義経に、後者は頼朝に託されていくようになった。だから、義経を主人公として始まったドラマは、頼朝が義経の幼さを批判していくうち、最終的に頼朝を主人公にしたドラマへと変質してしまったのだろう。
 もう一つ気になるのは、清盛が月を見て思わず呟いてしまう「八百年前を、思い出すなァー……」という台詞である。なぜ義経、頼朝、清盛、常磐の四人は八百年後の今を選んで集まったのだろうか。
 この問に対する納得できる答は彼ら四人の中からは出てこないだろう。となると、彼らが八百年ぶりに集まるという設定を成立させるには、別の設定が必要になってくる――この世にいる誰かが彼らを降霊術で呼び寄せたというような設定が。だが、その「この世にいる誰か」が誰なのかまでは、外波山文明が書いたであろうシナリオには記されていない。
 主人公が途中で変わったり、必要なはずの登場人物が出てこないといったことは、通常、シナリオの欠陥とみなされるものだ。けれども、外波山はそうは考えなかった。彼はどうやらシナリオの欠陥を何かが起きる徴候と見ていたようなのである。
 たぶん、彼は次のように考えたはずなのだ――主人公が義経から頼朝にすり変わったということは、今のおれにより近い存在になったということだし、義経たちを降霊術で呼び寄せたい人物がいるとしたら、それはおれそっくりでなくてはおかしい。要するに、シナリオに書かれたドラマは、おれに向かって参加しろと呼びかけているのだ。だとしたら、きっと撮影現場で何かが起きるにちがいない……。
 撮影前に外波山がひそかに期待していたことは、役者たちに登場人物が乗り移り、自分に話しかけてくることではなかったろうか。撮影二日目の午前中、頼朝役の役者と義経役の役者は、自分たちの出番を待っている間、こんな会話をしだす。

頼朝「(ちょっと芝居ががって)のぅ、義経……あれから、随分、経ったわのぅー」
義経「(それを受けて)そうよのぅー」
頼朝「もう、二十世紀よのぅー」
義経「それも、もう、終わらんとしている」
頼朝「(ちょっと笑って)そうよのぅー……後、一、二年よのぅー……」

 この会話は外波山の「あんた達、さっきから、何やってるの?」という言葉で中断してしまうのだが、それにしてもなぜ彼は撮影の最中に二人の前にやって来たのか。外波山は撮影現場で何かが起きるのを期待していた。だから、偶然聞こえてきた二人の会話につい引き寄せられてしまったのではないだろうか。
 しかし、二人の役者の会話は、暇つぶしのちょっとしたお遊びでしかなかった。外波山が期待していたような事態は、制作主任の古川の万引き事件によって撮影が中断したあとに訪れる。前にも書いたように、劇中映画の義経が外波山にとり憑き、常磐のことを知りたいという欲望をさまざまに変奏しだすのである。
 ところで、死者と対話したいという欲望に着目して、撮影二日目の昼休みを見直してみると、気になることが二つ出てくる。
 一つ目は、外波山が語る没になった企画『山村武の、はめ殺し一代』のラストである。

  山村、女の上に乗っかる。
  感に堪えないといった表情。
監督の声「男は、溜りに溜まってた精液を、ドンドン、放出しちゃう訳……一トンくらい……」
清盛の声「……一トン!?」
監督の声「そうー……それでもって、死んじゃう訳……」
  ○山村……放出し終えると、ガックリ息絶える。驚く、女。
監督の声「そうして、その一トンの精液を受け入れた女は、ドンドン、膨らんで行っちゃう」
  ○女体(フーセン)が、ドンドン、膨らんで行く。
  バンバンに膨張する、女の体 。
監督の声「だけど、現代医学というのは恐ろしいもんで……女の方は、命だけは、助かっちゃう」

 外波山が語る「女の方は、命だけは、助かっちゃう」というラストは、救いがあるように見えてどこか投げやりである。没企画にふさわしいいいかげんなオチと言っていいだろう。しかし、何かひっかかる。ひょっとしたら、このラストは破裂して死んだ女をよみがえらせるという物語を語ろうとして、途中で語る意欲を失った結果なのではないか。
 二つ目の気になるものは、地中から出現した自衛隊員が撮影現場から去っていく場面である。夕陽を浴びながら、畑の中の道を歩く三人の自衛隊員――彼らはふと足を止めると、外波山たちに向かって手をふり、頭を下げる。
 このとき、遠くに小さく見える三人の姿が、どうしようもなく懐かしく美しく見えてしまうのはなぜなのだろうか。考えられる理由は一つしかない。彼らがこの世のものではないからだ。三人の自衛隊員は地中を掘り進む特殊訓練中に死んでいるのだが、そのことに気づいていないのである。
 ということは、つまり、自衛隊員の出現は、監督の外波山にとって、死者と対話する絶好の機会だったはずだ。しかし、実際には、彼は自衛隊員を前にしてただ突っ立ったっているだけだった。自衛隊員を見送ったあとに、まちがいなく外波山は機会を無駄にしたことを悔やんだだろう。そして、その後悔は午後の撮影を経ていらだちへと変わっていったにちがいない。
 二日目の撮影が終了し、義経のいらだちは外波山に乗り移る。このときにいらだちをさらに煽ったのは、頼朝役の役者と義経役の役者だった。

  私服の義経が、やはり私服で、毛布を肩から掛け、ちょっと哲人風の姿の頼朝と向き合っている。
  背後には、(月に)煌々と照らし出されている、夜空。
義経「お久し振りです、佐藤さん……」
頼朝「(微かに笑い)久し振りだね……こんな所に呼び出して、悪かった……」
義経「いいんですよ……ここは、常磐線の、○○駅から、五・六百メートル歩いた、原っぱです……こんな所に、こんな場所があるとは、驚きだな……知らなかった」
頼朝「(周りを見回し)まるで、パンテノンだ……」
義経「どこだって良いんだよ、どこだってあるんだよ……会って話したければ……」
  義経、頷く。
義経「ところで、どうですか、あちらの世界は?」
頼朝「(淋しく笑って)……別に、どうってこともないよ。まだ、来たばっかりだし……」

 「あんた達、何やってるの?」と尋ねる外波山に、義経役の役者は「これ、今度、うちの劇団で公演する芝居で……稽古していたんですわ」と答える。だがそれにしても、二人の役者が演じていた生者と死者の対話こそ、外波山がもっとも望んでいたことではなかったろうか。
 外波山は偶然見てしまった芝居の一場面に嫉妬したはずだ。そして、彼のいらだちは、まずはプロデューサーに予告編の構想を語るという形で、自分たちを裏切った滝沢に向けられ、次に現場に来ていた映画評論家の宮下に直接向けられることになる。

監督「オイ、宮下……お前、この前、映画は全然勢いを失っていない、好調だ等と書いていたが……どういう事だ?」
  宮下、知らん顔をして、助監督と話を続ける。
監督「(大声で)どういう事だって、聞いてるんだよ!」
宮下「(腰を引いて)何が……」
監督「映画の現状をどう見ようと、そんな事は大した事じゃない……ただ、お前の言い草には、歴史が無いじゃないか……“撮影所の映画は終った”なんて簡単に言うが、じゃ、何で終ったんだ……映画が不況になったから、潰れたんじゃねぇーか……撮影所が閉鎖になり、大騒ぎだったじゃねぇーか……その太い流れが、何時元に戻ったんだ……どんな事件があったんだ?」

 外波山は宮下の現状認識に誤りを感じ取って、怒っているように見える。しかし、「映画の現状をどう見ようと、そんな事は大した事じゃない」と言っていることからも分かるように、宮下の言うことが正しかったとしても、やはり彼は怒っていただろう。
 外波山は、宮下が死んだ映画がよみがえるという事件について何も語っていないことが許せなかったのではないだろうか。彼は最初からずっと死者と対話したいという欲望にこだわり続けてきた。宮下を殴ってしまうのも、そのこだわりとまったく無関係というわけではないだろう。
 ――とここまで見てきて、私たちはやっと「外波山文明演じる監督にとって、映画製作とは何だったのだろうか」という問に答えることができる。
 要するに、こういうことではないだろうか。外波山にとって、映画製作とは死者と対話したいという欲望を増幅させるための回路だった、と。だとしたら、撮影現場で頼朝役の役者に「あの世を、この世に、取り入れて生きる……」という台詞を言わせても、外波山はもう満足できないだろう。彼が求めているのは、「あの世を、この世に、取り入れて生きる……」を我が身で実践することなのだから。


 外波山たちは撮影を予定通り三日で終えると、ささやかな打ち上げを行う。そして、早朝、駅に向かう道を外波山は常磐役の女優と二人きりで歩く。

常磐「私、中学生か、高校生なら良かった」
監督「(けげんそうに)どうして?」
常磐「そうしたら……援助交際が、出来るでしょう?」
監督「……??(ショックを受ける)」
常磐「一月に、十万円、決まった収入があったらね……そうしたら、何とか、やって行けるんだけど……」
  監督、返事のしようがない。

 このとき、横を歩く主演女優の姿は、外波山に雪の山中を行く追いつめられた常磐を思い出させたはずだ。そして、駅の改札で女優と別れてまた歩き出した彼の中で、義経の欲望がふいに起動する。

  監督が歩いて来る。
監督「……?」
  (何故か)目の前に、十メートルに位に渡って、人工的に、二十センチ位の雪が積もっている。
  監督……歩きづらい雪の上を歩いて行く。
  足元をとられながら……二歩、三歩と歩いて行く。
  空から声がする。
常磐の声「……九郎……九郎……」
  監督、空を見上げる。
  空の……遙か上の方に……常磐御前が、裾乱して……清さんと、抱き合っている。
監督「……!!」
  監督、ブスッとした表情で、雪の上を歩いて行く。
常磐「(地上へ呼びかけて)九郎……九郎……」
監督「……!」
  監督、微苦笑しながら……雪の上を歩いて行く。

 一体、なぜ雪は道の一部分にだけ人工的に積もったのか。それは、外波山の中で、義経だけでなく、頼朝も目を覚ましたからだ。義経の幼さを批判する頼朝は、雪が積もる範囲を制限する。しかし、外波山は愚かだと分かっていても、雪の上を歩いてしまう――死者と対話したいという欲望に衝き動かされて。
 だが、死者との対話はそう簡単には実現できない。天から聞こえてくる「九郎……九郎……」という声も、清盛に抱かれた常磐の姿も、いずれも常磐を演じた主演女優のものだ。結局、外波山は自分が撮った映画を無意識のうちに反復しているにすぎない。
 要するに、私たちは死者との対話を望んでも、自分が産みだした妄想と出会うだけなのだろうか。いや、死者との対話について真剣に考えたいのなら、もっと別の問い方をした方がいいかもしれない――私たちはどうしたら自分の妄想と本物の死者とを区別することができるのだろうか。
 おそらく、沖島勲ならこう答えるだろう。死者が語る言葉が私たち生者の言葉と同じだと考えるのが、そもそも間違いなのかもしれない。まず、私たちは死者の言葉を学習するところから始めなければいけないのではないか(注6)。
 沖島の最新作『一万年、後‥‥。』の冒頭では、阿藤快の子孫である少年が英語の勉強をしている。一体、なぜ彼はとうに死滅した言語である英語を学習しているのか。このことを理解するには、死者の言葉を学習する必要性を認めなければならないだろう。そういう意味で、『一万年、後‥‥。』は『YYK論争 永遠の“誤解”』の続編であると言うことができる。



注4:たとえば、今西祐行の『源義経』では、「そして、常磐はその日から、おさない牛若をかかえて、自分の夫をころした清盛につかえねばならないことになったのです」と言うふうに曖昧にぼかして書かれている。


注5:頼朝が「あの世を、この世に、取り入れて生きる……」という結論めいた台詞を言った直後、沖島はセットの裏で助監督にこう呟かせている。「一人の人間が、世界を救おうなんて、思う方が、おかしいじゃないか……それじゃ、世界を見ない事と、同じじゃないか……いいじゃないか、一人の無力な人間で……楽しく生きて行けば、それでいいんじゃないか……それが、未来と継がるんじゃないか」。助監督のこの言葉は劇中映画の議論全体に対して批判的である。だが、こういう批判と並べることによって初めて、「あの世を、この世に、取り入れて生きる……」という言葉が意味を持つと沖島は考えているようだ。それにしても、カメラがゆっくりと移動しながらセット裏を撮していく中、助監督の台詞がまるで幽霊の口から発せられたかのように響くのがひどく気になる。『YYK論争 永遠の“誤解”』は、「肯定しながら否定し、あるいは否定することによって肯定する」という複雑な話法であの世について語ろうとした映画だと言うことができる。


注6:もし私たちに死者の言葉を聞き取る能力が与えられたとしたら、死者たちの会話は次のように聞こえてくるのではないだろうか。

  もっと、暗くなっている、セット――
清盛「暗く、なったね……」
常磐「見えてますか、私の顔が……」
清盛「少しね……」
  皆の顔が、闇に溶けかかっている。
清盛「懐かしいね……」
頼朝「懐かしいですね……」
義経「物凄く……懐かしい……」
常磐「生きてた、ことがね……」
  ゆっくりと、闇が増し――
  四人の顔が、完全に、闇の中に溶けて行く。