伊藤大輔『丹下左膳』(井川耕一郎)

伊藤大輔が撮ったトーキー版『丹下左膳』。
45分ぶんの断片しか残っていないということだったけれども、
見てみると、出だしはかなり残っているようでした。


沢村国太郎演じる柳生源三郎が、司馬道場の娘との縁談がまとまり、江戸へ向かうところから映画は始まります。
ところが、源三郎の婿入りを阻止したいものがいるらしく、お登勢という女が源三郎のもとへ送りこまれ、彼を誘惑しようとする。
源三郎はその罠にはまってしまったのか、お登勢といちゃつきながら、じいやに向かって言う。「爺や、よく見よ。首ったけとはこのことぞ」
そして、次の瞬間、刀がぬかれ、お登勢の首がころりと転がる。
実は源三郎は誘惑されたように見せかけていただけだったというわけですが、
戦前の日本でも、切られた首なんてショッキングな画を撮ることができたのか、と驚きました。


しかしそれにしても、大河内傳次郎丹下左膳がなかなか出てこない。
出てくるまで30分近くかかったんじゃないでしょうか。
思えば、『鞍馬天狗』でも、なかなかアラカンが登場しなかったわけで、
やっと登場したと思ったら、
サーカス小屋の裏でこうもり傘をつくろっているというさえない姿が映る。
観客が見たいと思うスターをわざとすぐには見せない。
やっと見せても、期待をはぐらかすような姿で登場させ、
観客のスターを見たいという欲望をさらに煽ろうとする。
伊藤大輔には、観客を思う存分たぶらかしてみたいという、ひねくれたところがありますね。


ところで、トーキー版『丹下左膳』に話を戻すと、
やっと丹下左膳が登場し、徳利の燭台の上に立てたロウソクを徳利もろとも真っ二つに切ってしまうなんて技を見せたあと、
急に話が飛んでしまう。
いきなり、源三郎と左膳の戦いの場面になってしまうのですが、
見ていて分からなかったのは、ふいに江戸の町のミニチュアが映り、何かが燃えながら落ちてくるところですね。
一体、あれは何だったのだろう?
雷なのだろうか? だとしたら、雷鳴が入っていないのはなぜなのか?


ひょっとしたら、あれは……いや、まさか……と思いながら、
伊藤大輔シナリオ集」に載っている『丹下左膳』のシナリオを調べてみたら、こう書かれていました。

120 屋敷町
  凄愴の一騎打ち。
  ――と化す画面。白昼の如く、きらめき渡る。


121 空
  満天眩耀――轟き渡って星が流れる。


121 屋敷町
  思わず見上げる左膳と源三郎。


122 天
  白光、宙天を貫き落つ――轟音。


124 屋並み
  屋並みの彼方に燦たる尾を引いて落つる隕星――その轟き、轟き。
  同時に起こるどよめきの交響。


125 屋敷町
左膳「新陰流、剣先が乱れた!」
源三郎「改めて――」
左膳「また逢おう……」
  二人、退いて刀を収める。半鐘が遠く近く――


126 司馬邸の病室
  侍医の究庵、一瞬退いて手を仕えた。
究庵「ご臨終にござりまする……」
  思わずざわめきどよめく一座。その一切を圧倒して鳴り渡る半鐘。


127 屋並み
  屋並みの彼方、火は拡がってゆく。


そうか、やっぱり、あの火の玉みたいなやつは隕石だったのか。
隕石が落ちて江戸の町が燃えたということなのか……!
それにしても、驚き呆れました。
隕石が落ちた直後の会話が、
 「新陰流、剣先が乱れた!」
 「改めて――」
 「また逢おう……」
だなんて。
渡辺護監督が、大和屋竺伊藤大輔によく似ている、と言っていたけれども、
丹下左膳』のこういう場面に接すると、たしかにそうだよなあ、と思ってしまう。


ちなみに、林不忘の原作は、青空文庫で読むことができるのですが、
左膳と源三郎の出会いの場面にあたるところは以下のようになっています。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000290/files/24377_20635.html

 急に邸内がざわめいて、あかあかと灯がともったと見る間に、サッと潮のひくよう、囲みの人数がひきあげて行くから、左膳と源三郎、狐につままれたごとき顔を見合わせ、
「烏の子が、巣へ逃げこみおった。何が何やら、さっぱりわからぬ、うわははははは」
 そのとき……。
 ツーイと銀砂子の空を流れる、一つ星。
「あ、星が流れる――ウウム、さては、ことによると老先生がおなくなりに……し、しまった!」
 刀を納めた源三郎へ、左膳は、
「あばよ」
 と一瞥をくれて、
「星の流れる夜に、また会おうぜ」
 一言残して、そのままズイと行ってしまった。


一体、どうしてこれを読んで、隕石が落ちて江戸が燃える展開にしようなんて思ったのか?
(……いや、たしかにそうした方が荒唐無稽で面白いけれど)
やはり、伊藤大輔はただものではありません。