渡辺護の映画論「主観カット/客観カット」(1)

(このインタビューは、2004年に公開された渡辺護監督作品『片目だけの恋』の宣伝サイトに掲載されたものです)


1.『アデルの恋の物語』、おれならどう撮るか?

 トリュフォーの『アデルの恋の物語』は封切りのときには見てないんだ。あの頃、おれは月に1本のペースで映画を撮っていたからね、そういう映画をやってることも知らなかった。
 脚本の井川(耕一郎)が『片目だけの恋』を書くときに意識したっていうから、ビデオで見たよ。この映画、実話なんだってね。ヴィクトル・ユゴーの娘がどうしようもないイギリス人士官に惚れてしまって、どこまでも追いかけていって、身も心もぼろぼろになるって話だ。
 若いときには、どうしてあんなに熱烈に好きになってしまったんだろう?ってことがあるよな。おれも若いときにそういう経験をしたよ。その恋が終わったとき、本当に空っぽというか腑抜けになっちまった……って、今はおれの経験を話してる場合じゃないな。
 『アデルの恋の物語』は面白かったよ。ひとを愛しても報われないときの悲しみ――そういうのを描くのはフランス映画の伝統みたいなもんだ。おれの好きな話だし、ユゴーの娘・アデルを演じるイザベル・アジャーニも魅力的に映っている。
 でも、おれも映画監督だからね、ついつい、おれだったら、どう撮るだろう?って思いながら、見てしまう。
 トリュフォーって監督は、少女の主観に入らずに、突き放すように客観的に撮る人だね。それがトリュフォーの持ち味なんだから、いいんだろうけど、おれが撮るなら、もっと別の撮り方をすると思う。
 ラストで、イザベル・アジャーニ演じるアデルが真っ昼間のアフリカの町をぼろぼろの格好でさまようでしょう? 惚れていたイギリス人士官がすぐ目の前に姿を見せるんだけど、アデルは発狂しているわけだ。だから、その男が恋いこがれた相手だと分からないまま、通り過ぎていく……。
 ここはとてもいいシーンだと思うんだよ。おれだったら、どう撮るか?って考えたくなるような名場面だ。
 トリュフォーはこのシーンを全部フルサイズで客観的に撮っているね。でも、おれだったら、まずはアデルの主観に入りこんで撮ると思う。惚れた男を必死になって探してまわるアデルの印象的なアップをいくつも撮って積み重ねていくと思うんだ。
 で、そこに男が現れるんだけど、アデルはその横をすーっと通り過ぎてしまう。それで、あッ、彼女は発狂してるのか……!って初めて分かるようにする。
 このとき、おれだったら、二人がすれちがう広場を大俯瞰でどーんと突き放して撮ると思うんだよ。二人の間に人と人との関係がもはや成立しない空しさを、空っぽの空間で表現しようとするんじゃないかな――客観的にね。
 やっぱり、おれは、映画ってのは主観カットと客観カットの組み合わせだと考えているからね、どうしてもそういう撮り方になっちゃうんだな。


 で、今回のインタビューのお題は「主観カット・客観カット」だって?
 このことはちょっと前に、日本映画監督協会のホームページに載ってるインタビューでも話している(注1)。
 インタビューをした石川均は「主観カット・客観カット」の話を聞いて、勉強になるなあ、なんて言っていた。で、「いいんですか、こんな話、インタビュー記事にしても?」って最後に訊いてきたよ。おれは別にかまわないと答えた。
 おれの言う「主観カット・客観カット」は、一般的に言われてる「主観カット・客観カット」とちょっと意味がずれてるみたいなんだ。それだから、渡辺流演出の秘密だとか奥義みたいに見えるのかもしれない。けれど、そんなものじゃないんだよ。映画をどう撮るかを考えるときのヒントみたいなもんで、別に隠し持ってる必要なんかない。
 ……でも、こんな話、インタビュー記事にして、読むひとは面白がってくれるのか?
 石川が面白がってくれたのは、あいつもおれと同業の映画監督で、似たような問題をいつも考えていたからだよ。だから、普通のお客さんが「主観カット・客観カット」みたいな話を面白がってくれるかどうかは心配ですねえ。
 それにおれは論理的にしゃべったりできないからね。思いついたことを思った通りに言うことしかできない。だから、このインタビュー、お客さんに分かりやすく、うまくまとめてほしいね。


注1:日本映画監督協会ホームページ「あなたの台本見せて下さい」の渡辺護の回。
  http://www.dgj.or.jp/modules/contents4/index.php?id=12


2.それで、おれは山本晋也を推薦した

 たしか、昭和45年(1970年)頃だったと思う。あるとき、パクさんと一緒に山本晋也の新作を見たんだ。
 パクさんっていうのは、小森白(注2)のことだ。白は「きよし」と読むらしいんだが、おれたちはパクさんって呼んでいた。パクさんは新東宝で『大虐殺』や『大東亜戦争と国際裁判』なんかを撮った監督で、新東宝がつぶれたあとは、ピンク映画界に来て、『日本拷問刑罰史』なんて映画を撮ってヒットさせていた。
 山本晋也(注3)の映画を見たあと、パクさんとおれは喫茶店に入った。すると、そこで小森白がおれにこう訊いてきた。「なあ、ナベよ。チョクの映画、どっかおかしくないか?」――チョクってのは山本晋也のことだ。あいつの本名が伊藤直というんで、チョクと呼んでいたんだよ(正確には「いとう・すなお」と読む)。
 そのとき、おれはハッと気づいたんだ。チョクの映画はアップを撮っても主観に入らない。あいつのアップはいつも客観だ。
 いや、アップだけじゃない。山本晋也の映画は全編、客観カットだ!ってね。
 それが渡辺流「主観カット・客観カット」の始まりなんだけど、もっとも、これはその場のひらめきってことじゃないんだ。それまでに数年、山本晋也と付き合いがあったからね、その中で漠然と感じていたことがやっと言葉にできたってことかな。
 おれが最初に見た山本晋也の映画は『或る密通』(67)だ。若松孝二、向井寛、山本晋也の三人で撮ったオムニバスだった。若松と向井のパートは、気負いすぎたんだろうな、訳が分かったような分からないような映画で、おれはダメだった。
 山本晋也のパートだけ良かったんだよ。もうどんな話だがすっかり忘れてしまったけど、女が寝ている布団をパーッと剥ぐところがあるんだ。で、突然、ウサギの赤い目と裸の女のカットバックになって、お月さんが映るんだよ。
 「女の裸→ウサギ→月」ってことは生理を表現してたんじゃないかって? そうかもしれないけど、もうどんな話だったか忘れちまったよ。とにかくおれは山本晋也当人とは面識がなかったけど、この男が撮る映画はしゃれてるなと思ったんだ。
 ちょうどその頃、おれは小森白が社長をやっている東京興映ってところでピンクを撮ってた。でも、パクさんとおれだけじゃ人手が足りないから、誰かいい監督はいないか?って相談されたんだよ。
 それで、おれは山本晋也を推薦した。


注2:小森白(1920〜)のフィルモグラフィーはこちら。
 http://www.jmdb.ne.jp/person/p0174030.htm
注3:山本晋也(1939〜)のフィルモグラフィーはこちら。
 http://www.jmdb.ne.jp/person/p0150530.htm


3.こんな撮り方があるのか!

 山本晋也が東京興映で最初に撮った映画は『知りたい年頃』(67)というタイトルだった。脚本はカチンコ打ってた助監の小栗康平と下田空ってライターの共作で、主演は谷ナオミ(注5)、林美樹、白川和子の三人。話らしい話なんてものはなかったけど、少女が「知りたい」ってテーマでいろんな経験をするコメディだった。
 この映画、どういうわけだかおれが製作をやってるんだよ。パクさんから「推薦したんだから、責任持てよ」と言われて、製作やることになったんじゃないかな。でも、製作をやったおかげで、おれは山本晋也の現場を見ることができた。
 とにかく、撮影が早いんだよ。おれは1カット1カット神経質になって撮っていくんだけど、チョクはまるで逆だ。どんどん、いろんなカットを撮っていくんだ。で、その間ずっと、笑ってる。「よーい、はい!」と言って、カメラがまわる。で、「カット」と言ってすぐに「うふふふふ。OK!うふふふふふ……」だよ。
 撮るカットも画としての面白さを狙ってるんだ。女の子が「えッ!」と驚くたびに、なぜだか柱に抱きついたり、坂を車が走っていると、自転車がサーッと追いこしたりね。カメラマンも雑踏を撮るときに、地面すれすれにカメラをだらりとぶら下げてファインダーなんかのぞかないんだよ。それからひょいと持ち上げて、目の高さで撮り続けていく。
 面白いものがあればドキュメンタリー的にどんどん撮っていくって方法と言ったらいいのかな。こんな撮り方があるのか!って、おれには新鮮だった。たとえば、外で撮影してると、屋台がある。「じゃあ、屋台で何か撮ろう。ナベさん、屋台の客やってよ」ってことで、あっという間に撮ってしまう。
 そういえば、屋台のひとが撮影が終わった後に、「いい娘、紹介しますよ」っておれに言ってきたんだよ。その屋台、売春の斡旋もしてたんだな。で、おれはそのことをチョクに話して、「後で一緒にどうだい?」って誘ったんだ。そうしたら、チョクのやつ、うふふふふ……なんて笑いながら映画を撮ってるくせに、急に呆れたかえったような顔をして言うんだよ。
「ナベさん、何言ってんだよ。今は撮影中だよ」
 ……そりゃあ、チョクの言ってることの方がまともだけどな。


 『知りたい年頃』を見たパクさんは、「何て映画だ!」と思ったみたいだった。そりゃそうだろう。小森白がやってきたようなオーソドックスなつくり方の映画じゃないんだから。
 ところが、これが当たったんだよ。それで、引き続き、東京興映の仕事をすることになった。
 おれとチョクはすぐに仲良くなったね。あいつは西新井で、おれは王子――二人とも江戸っ子だってことがあったかな。それから、ガキの頃から映画好きで、その点でも話があった。
 でも、いくら仲良くなっても、おれとチョクじゃ、映画の撮り方も違えば、出来上がる映画もまるで違う。一体、この違いは何だ?とおれはだんだん考えるようになっていったわけだ。
(続く)