『男ごろし 極悪弁天』から『おんな地獄唄 尺八弁天』へ(4)(井川耕一郎)


だらだら書いてきたこの覚え書きもそろそろ終わらせようと思う。
そこで最後の回は、渡辺護さんが撮影で使用したシナリオを手がかりに、『尺八弁天』の創作の現場にちょっとでも近づいてみたいと思う。


私たちは映画の面白さについて書くときに、ある一人の作者(たいていは監督)がその面白さをねらってつくったのだというふうに論じてしまう。
そういう論じ方に慣れているし、分かりやすいからだ。
しかし、この論じ方だと、作者が全知全能の神さまみたいになってしまい、現実の創作の現場から遠ざかってしまう。


この覚え書きを書くにあたって、私は三つの固有名詞(渡辺護大和屋竺、『極悪弁天』)をあげて、一人の作者を設定しないように注意してきた。
『極悪弁天』と『尺八弁天』の関係についてはある程度詳しく見てきた。
となると、気になってくるのは、『尺八弁天』の創作の現場で、渡辺護大和屋竺がどのように作業分担をしたのかということである。
だが、この問に迫っていくのはなかなか難しい。渡辺さんに質問をすれば、それでなんとかなるというわけでもなさそうなのだ。


渡辺さんは、弁天の刺青と吉祥天の刺青が互いに引き合うというアイデアは、シナリオの打ち合わせのときに大和屋竺から出たものだ、と語っている。
渡辺さんは嘘をつこうなんて考えてはいないはずである。けれども、事実を単純化して語っているぶんだけ、話が嘘になっている。
打ち合わせのとき、渡辺さんはいつものように脱線し、時代劇のこと(伊藤大輔山中貞雄など)をしゃべりまくったという。
大和屋さんも渡辺さんの話を面白がっていたようで、マキノ雅裕のことを熱心に聞いたらしい。


となると、打ち合わせのときに、『丹下左膳』が話題になってもおかしくはない。
二人とも伊藤大輔が撮ったもの(『新版大岡政談』、『丹下左膳』)は見てなかっただろうが、マキノ雅裕が56年に撮った『丹下左膳』は見ていたはずだ。
だとしたら、刺青が互いに引き合うというアイデアは、『丹下左膳』に出てくる二つの妖刀、乾雲・坤龍をヒントにしていると考えられないだろうか。
つまり、大和屋竺は単独で刺青のアイデアを思いついたわけではなく、渡辺護の中にある映画の記憶を活用しながら発想したということになる。


渡辺さんは19年前のインタビュー「『おんな地獄唄 尺八弁天』を撮り終えたくなかった」(『ジライヤ別冊 大和屋竺』)の中でこんなふうに語っている。


「物語の後半、弁天の加代が囚われの身の少女を助けに行き、蝮の銀次ってヤクザを切る。セイガクには離れたところにいるのにそれが分かるんだよね。「蝮が一匹……」と言って尺八を吹く。すると、今度は弁天が「ああ、そこだね、今行きますともさ、吉祥天のお人……」と言う。遠く離れているのに気持ちが通じ合ってしまうというのかな。ああいうところが大和屋ですよ。大和屋ちゃんは普段は難しいことを言うけれど、本当は超ロマンチストなんだよね」


実はここにも嘘がある。
渡辺さんが撮影で使ったシナリオを読んでみると、「蝮が一匹……」にあたる台詞は印刷された部分の中にはない。
この台詞はシナリオ上部の余白に書かれた書きこみの中にある(正確には「蝮が一匹……」ではなく、「一匹……フフフ……」なのだが)。
「一匹……フフフ……」は、大和屋竺ではなく、渡辺護の創作なのだ。
だが、興味深いのは、渡辺さんが「遠く離れているのに気持ちが通じ合ってしまうというのかな。ああいうところが大和屋ですよ」と言っていることだ。
渡辺さんは大和屋の創作だと本気で思いこんでいるようなのである。
これは一体、どう受け取ったらいいのだろうか。


『極悪弁天』のシナリオの書きこみと、『尺八弁天』のシナリオのそれとを比べてみると、いくつか興味深いちがいを見つけることができる。
『極悪弁天』のシナリオには、定規を使ってカット割りが書かれている。渡辺さんにしては珍しいことだ(たいていは、定規など使わず、大急ぎで線を引っぱっている感じ)。
それに、芝居の大幅な書き直しがまったくない。いくつかの台詞を書き直したり、カットしたりしているだけである。
これに対して、『尺八弁天』は、芝居の書き直しが多い。正確に言うと、セイガクが本多と会う後半(シーン48以後)から、芝居の書き直しが急に増えてくるのである。


『極悪弁天』を撮るとき、渡辺さんは自分の仕事を「このシナリオをどうやって画にするか」というふうに規定していたのだろう。
つまり、渡辺護石森史郎の間では、作業分担がはっきりしていたと言える。
しかし、『尺八弁天』では、監督−脚本家の境界が、不安定というか溶解してしまっている。
これは、渡辺さんが大和屋竺のシナリオにのっていなかったということではないだろう。
渡辺さんは、「大和屋ちゃんの書いてきたシナリオを読んだときにはふるえたね」と言っているくらいなのだから。
たぶん、渡辺護大和屋竺の『尺八弁天』から刺激を受けて、「もっと面白くならないか」「もっとすごいものにならないか」という思いに衝き動かされていたにちがいない。
ただし、ここで注意すべきなのは、渡辺さんが「おれ流」に大和屋竺の芝居を書き直したとはかならずしも言えないことだ。


阿部嘉昭さんは、『私説・日本映画の60年代 68年の女を探して』(論創社)の中で『尺八弁天』を論じている(第5章「分身、そして「性交は見えない」ということについて」)。
とてもすぐれた論考なのだけれども、p145にこんなことが書いてある。


「弁天の加代がさよの救出のため、本多邸の蔵に入ってくるシーンがあったでしょう。そのとき彼女は人買いの嘉助にこう宣言する――《足を叩き斬ってやろうか?――二度と人買いができないように――足がなくても這ってゆくか?》。この科白、『四谷怪談民谷伊右衛門の「首が飛んでも動いてみせるわ」という名科白の、たぶん大和屋的変型です。むろんこの伊右衛門の科白は大和屋が好きだった花田清輝が頻繁に引用していた科白であったから、大和屋はその科白で鶴屋南北のみでなく花田の幻をもまた、画面に呼びだそうとしたのかもしれません」


ところが、シナリオを読んでみると、阿部さんが言及している加代の台詞は大和屋竺ではなく、渡辺護が書いていることが分かる(シナリオの余白に書かれた台詞は、正確には「足を刈りとってやろうか。二度と人買いの出来ないように」「足がなくても這って行く?」)。
しかし、この台詞が大和屋らしいこともたしかなのだ。


(注:阿部嘉昭さんの論考が事実とちがっていても、別に価値が下がるわけではない。そもそも、評論とは、新たな視点で作品を見たらどうなるのかを書くものではないだろうか。そういう意味で、『尺八弁天』を『四谷怪談』や花田清輝と結びつける阿部さんの見解は興味深いものだと言える。それに、阿部さんの評論には、実際の作品を論じているというより、この世に存在しない作品を論じているような不思議な面白さが常にある。阿部さんの評論は未来の表現のためにあるものなのだ)


渡辺さんは向井寛の名前で『修道女―秘め事―』(78)を撮るとき、向井寛ふうに演出したと言っている。
また、初めてコメディーを撮ったとき(たしか、『セックス作戦 色の道乱入』(70))のことをふりかえって、山本晋也のコメディーをやってみたかった、と回想している。
小水一男の緊縛ものの脚本については、「女の体は権力より強いがテーマだった」と語っている。だとしたら、『激撮! 日本の緊縛』(80)、『暴行性犯罪史 処刑』(82)などは、若松プロふうの反権力ピンクを撮ってみたということになるのではないか。
つまり、『尺八弁天』の直しについては、こういうふうに考えてみてはどうだろうか――渡辺護大和屋竺を演じるようにしてシナリオの直しを書いた、と。


渡辺さんは「『おんな地獄唄 尺八弁天』を撮り終えたくなかった」の中で、「『尺八弁天』はおれへのラブレターですよ」と言っている。
とするなら、渡辺さんの直しは、「大和屋へのラブレター」というふうにも読めるのではないだろうか。
渡辺さんは大和屋竺の才能を高く評価していたし、愛していたから、大和屋になりきって直しを書いた。
その結果、渡辺さんの記憶の中では、自分と大和屋竺の境目がなくなってしまった。
それで、自分の書いた直しについて「ああいうところが大和屋ですよ」と言ってしまったのだろう。


長くなってしまった。そろそろ、この覚え書きも終わらせるべきだろう。
最後に参考資料して、シーン48からシーン56までの大和屋竺のシナリオと、渡辺護の直しを載せておきたい。
この資料から、『尺八弁天』の創作の現場をほんの少しでも感じ取ってもらえたら、うれしいのだけれども。


参考資料はこちら→
http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20130206/p2