粟津慶子『収穫』について(井川耕一郎)


(以下の文章は『映画芸術』2010年冬号(430号)に載ったものです)


2010年BEST
粟津慶子『収穫』、小出豊『こんなに暗い夜』(各10点)


粟津慶子『収穫』について。怪作である。映画が始まってすぐ、教室で腕組みして居眠りする女教師が映るのだが、その姿がどうしようもなくおばさん的で笑ってしまう。ところが、彼女が眼鏡をはずして、生徒の岡崎くんを見つめるカットを見て、あっと声が出そうになった。おばさん的肉感はそのままなのに、妙に色っぽいのだ。信じられないことだが、「眼鏡をとったら美人」という嘘くさい事態が現実に起きてしまったようなのである。
顔の印象がカットごとにちがって不安定というのは、主人公の千代にもあてはまることだろう。最初、千代は地味で野暮ったい女の子にしか見えない。だが、憧れの山下先輩が彼女の髪についていた花びらをつまんで、それを掌にのせて示すあたりで、がらりと顔の印象が変わってしまう。花びらというより山下先輩の手をじっと見つめ、それから顔を寄せてにおいを嗅ぐときの表情に、見る者を惹きつける不思議な何かがあるのだ。
見た目の美しさから言うと、千代よりも友人の冴子の方が上なのだろう。体育用具倉庫で千代が冴子、山下先輩と放課後をすごす場面があるが、見ていて感じるのは、すっきりした輪郭の顔の冴子や山下先輩と並ぶと、千代の頬のふくらみが目立ってしまうことだ。だが、逆にそこがいのである。見ているうち、次第にあの頬の肉のやわらかさを指先でつついて確かめてみたいという気になってくる。そして、いつもゆるく開き、ほんの少しだけ前に突き出ているような唇にも、私たちは魅せられていくことになるのである。
その唇が活躍しだすのは、映画の後半、千代が女教師の進路指導を受けるあたりからだ。「先生、黄金の砲丸という伝説を知ってますか」と言うなり、千代の唇から言葉があふれ出てくる。それは昔、陸上部にいたある生徒の話だった。彼は女の子とつきあうようになってから記録が伸びず、花形選手の座から脱落。とうとう気が狂い、ある夜、体育用具倉庫に彼女をつれこみ、その歯を全部ペンチで引き抜いてしまったのだという……。
歯の生えた性器というヴァギナ・デンタータ伝説を下敷きに使っているのだろうか。セックスに対する憧れが恐怖に反転し噴出したような処女の妄想である。呆れてしまうのは、倉庫内に飛び散った血を隠すために金色のペンキを塗ったというくだりだ。セックスを連想させるような痕跡を消そうとしているのに、砲丸にもペンキを塗ってしまうとは! 冗談みたいにあっけらかんと金玉が登場してしまったことに粟津慶子自身は気づいているのかどうか。彼女の演出はどこまで意識的なものなのか分からないところが恐い。
いや、粟津慶子は確信犯的に金玉を登場させているにちがいない。そう思ったのは、夜の体育用具倉庫で処女の千代と童貞の岡崎くんが出会う場面を見てのことだ。ここで岡崎くんは黄金の砲丸の真実を探ろうとして、玉を膝の上にのせて鋸でまっ二つに切ろうとしている。その上半身をとらえたカットはどう見ても、自慰をしている姿ではないか。そして、岡崎くんの自慰を息を殺して見つめる千代――これはもう爆笑ものである。セックスをほのめかすような描写を積み重ねていって、粟津慶子の表現は限りなくそのものずばりに近づこうとしている。このひとはただものではない。
ラストで、千代は物陰から冴子と山下先輩のキスを盗み見てしまう。そして、隣にいる岡崎くんとキスしてしまうのだが、このキスには本当にまいってしまった。暗がりでのことなので唇はよく見えないのだが、千代の頬の肉の動きですべてが分かってしまう。千代と岡崎くんは互いの唇をむさぼるように何度も何度もキスをくりかえしているのだ。『収穫』は「桃まつり kiss!」というオムニバス映画の一篇なのだが、キスというお題に正面から本気で取り組んだのは粟津慶子だけではないのか。キスしたい!という欲望に衝き動かされているのは、千代だけではない。きっと粟津慶子自身もそうにちがいないのだ。
『こんなに暗い夜』は『収穫』の撮影を担当した小出豊の作品。大和屋竺の幻のシナリオ「連れてって」を思い出させるドラマで、ジム・トンプスンふうのグロテスクな笑いがあちこちにちりばめられているところがとても興味深い作品だった。
また、昨年は鎮西尚一がひさしぶりに映画(『熟女 淫らに乱れて』)を撮った年でもあった。だが、鎮西は国映が提供してくれたチャンスをきちんと活かして撮ったといえるだろうか。私には伊藤猛演じる主人公がまったく理解できなかった。なぜ彼はアル中を治そうとするのだろう? なぜ彼は離婚届にサインをしようと思うのだろう? 鎮西はメルヴィルの「バートルビー」を映画化すべきだった。「〜しないほうがいいのですが」をくりあえしながら亡霊的な存在に限りなく近づいていく男の映画を撮るべきではなかったろうか。