『直したはず、なんだけどなあ』5(『バオバブのけじめ』(松浦博直)について)

<『バオバブのけじめ』あらすじ>
大学生の和夫は東京で一人暮らし、そこに高校生の弟洋と父政義が田舎からやってきた。失踪した和夫たちの母親を探すためだ。三人は神奈川の海岸沿いに向かうが、叔父の目撃談だけで他にたいした手掛かりもなく、政義は息子たちの将来のことでくどくど喋ってばかり。そんな政義に対していちいち反抗的な態度をとる洋。とうの昔にいなくなった、思い出したくもない過去の存在になっている母親の捜索に、和男はとまどいを隠せない。


大工原:で、バオバブのけじめ』か。これはコメディとしての側面ではかなり上手くいっていると思う。松浦くんのは、最初にシナリオ課題で出したものと、選考のときに出したシナリオ初稿とではほとんど変化していない。ただ、最初に提出したプロットからネタが全然違うものになっていたので、飲んでいるときに聞いてみたら、美学校に入る1年前に自分の父と叔父をモデルに書いたシナリオだって言うんだな。講師陣に切実さを出せと言われて、ならば試しにこれを直して出してみようと考えたらしい。
―――大工原さんによる初等科時代のシナリオ講評を読んでみますと、松浦くんのシナリオに関しては、さっき言った必要なものはすでに出揃っていたんだな、と感じますね。それに大工原さんが言及している弱点にも、きちんと対応していると思います。叔父と父の口論を和夫が黙って見ているだけでいいのか、とか。
大工原:シナリオ直しもわりとスムースにいったしね。ただ、出来上がった作品を観てみると、叔父のマンションのシーンが弱い。
―――あのシーンについてはビデオ課題でも撮影していましたから、松浦くんも大事なシーンだと感じていたのだと思います。ただ、そのビデオ課題の講評のときにもやはり演出の弱さを指摘されていました。
大工原:向いていないのかもな(笑)。やっぱり、父と兄弟の3人による珍道中を描くことに重点が置かれている。あの漫才的な面白さ。それはシナリオ段階から見えていたからね。それに比べると、マンションのシーンは難しかったんだろうな。まず、責めているはずの叔父が、父役の山崎さんの存在感に負けてしまっている。これは、役者さんの問題ではなく、演出が出来ていないということじゃないかな。それにカメラが喋っている叔父にばっかり向いているけど、このシーンは聞いている和夫の反応が重要なんだよ。
―――そうですね。それが後の夜道のシーンにつながっていく。
大工原:シナリオの流れを考えれば分かることなんだよな。このシーンは4人の男の座り芝居ばっかり撮っていても仕方ない。シナリオ上、座り芝居ばかりになるとしても、例えば叔父の若い奥さんを上手く動かすとかね。彼女だけは自由に動ける位置にいるわけだし。ただ、背伸びしている洋に叔父が声をかける辺りは面白かったな。
―――夜道のシーンはいかがでしたか?
大工原:ナイターは動きと込みで照明を考えていると思う。貧しい照明機材でよく頑張っていると思うよ。あと、松浦くんは一種オフビートというか、コメディのセンスがある。中矢くんもコメディ指向だけど、君の場合はキャラクターや世界の捉え方の面白さだね。松浦くんは「間」なんだな。
―――『バオバブのけじめ』は編集が進行している段階で何度か観たのですが、最初はさっぱり何を撮ろうとしているのか分からなかったんです。何かめちゃくちゃ面白い画面があるわけでもないですし。でも、完成してみると非常に面白い。父親が走っているところなど素晴らしい。それが間ということなんでしょうね。
大工原:あとは、3人が公園で弁当を食べるシーンがちょっと気になるね。あそこは小嶋くんの映画じゃないけど、父親の若年者に対する認識が現れているところだよね。中高生が公園にいるんだけど、彼らと3人の配置、それと距離の取り方があまりよくない。距離をあまり取れないから高低差を生かしたんだろうけど、むしろ水平な広い公園で、3人が弁当を食べている背後に常に中高生たちが写り込む、とした方が可笑しさが出たかもしれない。あんな近い距離で、父親が「大人に歯向かう奴らは死刑にすりゃいいんだ」みたいな台詞を言うってのはどうもね。遠くにいるときだけ強がりを言う父親だからこそ、マンションのシーンや夜道のシーンが生きてくるんじゃないか、という気はするね。
―――なるほど。
大工原:こんなもんでいいかい?
―――そうですね、あとはシメに何か・・・
大工原:シメといったって、あんまり褒めた記憶がないんだけどな(笑)。
―――4本を総括してといいますか。
大工原:そうだね、みんな直しをやっているんだけど、それが演出につながっていない気がする。シナリオではきちんと直しているからポイントを理解しているのかなと思うと、外していたりする。肝心なものを取り逃がしていると同時に、肝心なものを見ようとしていないんじゃないかな。
―――映画の勘所ではなく、別のところに目が行っている。それが演出不在ということなんでしょうか。
大工原:まあ、栩兼くんの場合は直しも難航して大変だったみたいけど、それならそれで主役の2人をじっと見て、芝居で閃く瞬間を待つという方法もあったかもしれない。シナリオ直しの段階ではつかみ切れなかったポイントを、演出の段階で探るというかな。
―――あと、井川さんがおっしゃっているのは、1日に何カットを撮れるのかが分かっていないのではないか、ということですね。大工原さんは場所移動や仕掛けなしのシンクロ最大40カット、アフレコで50、サイレントで110カットを目安に考えているとのことですが。
大工原『赤猫』がトータル240カットで、撮影期間が5日だから、50カット弱だね。
―――そういう自分のペースというのを、テスト撮影やリハーサルなどで探るべきだったかもしれません。
大工原:あらかじめ考えている以外のことをやるのはとても難しいことだからね。・・・こんなもんでいいかい?
―――はい、ありがとうございました。


(2006年5月19日・映画美学校ロビー)
(取材・構成:中矢名男人)