沖島勲ノート(2)−1(井川耕一郎)

 『一万年、後‥‥。』の主人公の男は、一万年後の子孫・正一の家に漂着するまでのことを語っているうちに思わずこう叫んでしまう。

「お袋ーッ! 宇宙の、こんな長い時間、始まりも終りも分らない、そんな時間の中に、たった(指で示して)、これっぽっちの間、この世に生まれて来て、どうして、苦労ばっかりして、死んで行ったんだよーッ。一体、何の意味があったんだよーッ!?(ワンワン泣きながら)一万年経った今でも、俺、気になって……」


 すると、正一の家の壁に母の映像が映って、男に向かって静かに語りかけるのである。

「隆、よくお聞き……お母さんは幸せだったんだよ……お前達、子供のことを心配して……その事が、楽しかったんだよ」


 そして、母の映像はさらにやさしい言葉を男にかけるのだが、「本当ですか、お母さん……」と男がいい年をして泣きながら、ふたたび問いかけると、態度を急変させてしまう。

「心配なものが目の前にあるのに、心配しないでどうするんだィ? (凄い形相で、怒鳴る)ふざけんじゃねえッ!!」


 母さんは幸せだったのだろうか……と問う息子に冷水をあびせるような行動をとる母。こうした母は、『一万年、後‥‥。』だけでなく、『ニュー・ジャック・アンド・ヴェティ』、『YYK論争 永遠の“誤解”』といった過去の監督作にも登場する(『ニュー・ジャック・アンド・ヴェティ』では、乱交の中で快感を感じている姿を、『YYK論争 永遠の“誤解”』では、平清盛といちゃつく姿を、母は息子に見せる)
 母の苦労について考えるときに自然とにじみ出てくる感情には注意しなければいけない。それは単なる子どもの甘えや感傷にすぎない場合がある。現実に突き刺さるような表現をうみだすためには、甘えや感傷には批判的でなければいけない――沖島勲はそう考えて、自分が監督する作品に登場する息子たちを意識的に突き放しているように見える。しかし、沖島勲の想像力の根底に、母の苦労を語る物語にどうしようもなく惹かれてしまう傾向があるのもたしかなのではないだろうか。
 『まんが日本昔ばなし』のために沖島が書いたシナリオの中には、そういう根底にある傾向が素直に出たものがある。
 山にもどって蛇の姿で暮らさなければならなくなった女が、子どもがひもじくなったら、これをしゃぶらせて下さい、と言って自分の目玉を夫に託す『へび女房』。
 死後に棺桶の中で産んだ子どものために、毎晩、女巡礼の幽霊が飴を買いに行く『飴幽霊』。
 鉄砲で撃たれて足を失ってしまった母ガラスのために、子ガラスたちが食べ物や薬草を必死になって探しだそうとする『ごん兵衛とからす』。
 これらのシナリオには、沖島自身が監督した作品と響き合うところがあるように思える。


 沖島勲にとって、『まんが日本昔ばなし』のメインライターをしていたということはどのような意味を持っているのだろうか。一九七五年から一九九四年までの二十年の間に、約一四〇〇本のシナリオを書いたという事実を前にすると、これはもう脱帽するしかない。
 しかし、考えてみれば、一四〇〇本のシナリオを書いたということは、それ以上の数の民話がどうやらこの世に存在しているらしいということなのだ。この事実の方が恐ろしくはないだろうか。だとしたら、こんなふうに問い直してみた方がいいかもしれない。民話にとって、沖島勲という存在はどのような意味を持っているのか。
 民話は、次の世代に語り伝えてくれる語り部がなくなってしまったら、死んでしまう。だから、次の世代に話を確実に受け継いでもらうには、魅力的な語りの技術が語り部に備わっていることが望ましいだろう。しかし、それはいわゆる「作家性」が求められているというようなことではない。つまり、沖島勲はすぐれた表現者ではあるが、民話にとっては、単なる語り部の一人にすぎないということだ。

熊井「(酒を飲んで)仕事が、面白くないと言ったら、嘘に、なります。仕事が、順調に行っていれば、それは、それで、楽しいものです。(再び、しょげ返って)然し、所詮は、金ですからねー……所詮は、会社が、金を儲ける為ですからねー……それに、気づいたら、愕然とします。そこん所が、空しいです」


 これは沖島が監督した作品『出張』の中で、主人公の熊井がゲリラに向かって言う台詞である。よくあるサラリーマンの愚痴と言ってしまえばそれまでだが、民話から見た自分について考えたとき、沖島勲はこれとよく似た思いにとらわれなかったろうか。