『演出実習2008』製作ノート(小出豊)

 演出とは問題を発見し対処することだ。シナリオの問題を発見し、台詞を声に変える際の問題を発見し、動作の問題を発見し、その諸々をどのように見せるかという問題を抱え込み、それに対処していく。演出の順序は問題の発見、そして対処だ。そこに変動はないから、多様な対処法を習得しても、対処すべき問題を発見しなければ何の役にもたたない。まずは問題の発見だ。


 ぼくも映画をつくっている。自作を見返したり、それに評価を受けたり、また人の映画を見たり、批評を読んだりすると、自分がいくつもの問題を見逃し、漫然と撮影してしまったことに気付き、恥ずかしい。それは、問題を発見し、その対処方が上手くいかなかったことよりずっと恥ずかしい。
 『映画の授業 映画美学校の教室から』という本がある。その本の演出の項では、万田邦敏が、画面を覆うモヤモヤしたもの、上下の運動、主人公の登場のさせ方、そしてそれらの具体的なイメージが映画全体をどのように貫いているかを言及しながら、作り手の問題群を発見している。また、塩田明彦は、空間を隔てる敷居や、ゴジラの足音などの問題を発見している。繰返すが、そういうことをまったく意識せずに映画を撮ってしまうと、たとえ素晴らしい脚本を書いても、大変恥ずかしい思いをする。恥ずかしい思いをしないために、人の映画を見て、人の抱える問題をくまなく汲み尽そうと日々精進する。しかし、具体的なイメージが定着してしまった後の作品は、問題発見後の対処の姿であり、どのような作法でそれが発見されたのかは映っていない。映画には残念ながら演出する監督の姿は映っていない。
 今作『演出実習』の特徴は、演出家がどのように問題を発見していくのか、その経緯を目撃することにある。そして、その経緯を目撃し、問題を発見する作法を自分なりに発見したいという欲望が今作を作る核になっている。


 目撃して、大工原正樹らしいなと思ったのは、大工原が人と話す際に、相手の目をまっすぐ見ることだ。画面には大工原と2人の女性が映っている。大工原に見られ、ひとりの女性は大工原の目をまっすぐ見返し、もうひとりの女性は大工原の目を直視できない。大工原はまっすぐ見るというアクションで、まっすぐ見返すのと、目をそらすという異なるリアクションを引き出したのだ。そして「見る/見られる」の問題を発見し、以下のような動きに昇華している。
 シーン冒頭、良江が帰宅する。部屋中央の椅子に座るちひろに気付き立ち止まる。次に、ちひろの周りを歩きながら、バッグを置いたり、コートをかけたり、咽を潤わせたりして、良江は椅子に腰掛ける。なんということはない帰宅後のアクションだ。これを「見る/見られる」という問題でスクリーニングすると、良江の動きのすべてが、ちひろの「まっすぐ見る」というアクションによって引き起こされたリアクションに見える。改めて正確に動きの印象を記すなら、ちひろはまっすぐ見るだけで、帰宅直後の良江の足を止める。良江は、ちひろの視界から逃げるように背を向け部屋の周縁を歩く。鞄を置いたり、コートを掛けたりする日常の動作は、その実、ちひろの視線を逃れるためにやっている動作なのでなんともぎこちない。すると、ちひろは椅子から立上がり、逃げる良江の正面に回り込むように自分も部屋の周縁に行き、良江をまっすぐ見る。ちひろに見られることで周縁に場を失った良江は、あたふたと目に付いた中央の椅子に腰掛ける。が、それは先ほどまでちひろが座っていた椅子だ。まっすぐ見るという行為をくり返すだけで、ちひろは良江を中央に座らせて身動きの取りづらい状態におく。そして、罠にかかった獲物を仕留めるように、ちひろが良江の正面に座り、まっすぐ見つめてこのシーンは終わる。


 もうひとつの『演出実習』の特徴は、井川耕一郎らが他の演出実習の様子を編集してまとめてくださったことで、それぞれの演出家が発見した問題群や、それらを発見する経緯を見比べられることだ。500字弱のワンシーンからこれほど多様な問題と、その発見の経緯があることに驚くはずだ。例えば、台本上には、良江の家にちひろが向かうということになっているが、大工原の場合は良江が家に帰ってくると、勝手にあがりこんだちひろが部屋にいるという設定に変わっている。他の演出家もどこからこのシーンを始めるの かそれぞれ問題を抱えており、それだけでシーンの印象は大きく変わっている。今後もこの実習を撮影・編集し、比較検討の材料を集めていきたい。


 ところで、『演出実習』は演出の作法を学ぶマニュアルにはならない。それぞれの問題にはそれぞれの問題の発見の作法がある。自分なりの問題を発見するには、自分なりの問題の発見の作法を発見しなければならない。また、他人の問題を再発見する際にも、まんま発見の作法を真似すればいいかというと疑問だ。例えば、NBAの名シューター、ラリー・バードのようにシュートをやたら決めたいと思い立ち、ぼくはラリー・バードとそっくりのシュートフォームを練習したが上手くいかなかった。身長はまったく違うし、彼のようにしなやかな間接をぼくはもっていなかった。シュートフォームはその人の体躯と間接の可動域と筋力にあったそれぞれのものがある。演出も同じだろう。


 最後に、今作のもっともスリリングな瞬間は、大工原がちひろに、良江の頬に触れる動作を説明しているところだ。触れ方の「いやらしさ」に敏感に反応するちひろ役の女性は、静かにぐっと抵抗する。頑な女性をどのように自分の欲望へと導くか、その経緯を目撃し、大工原正樹は柔軟だが、芯のぶれない人だと改めて思う。