『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』を見て思ったこと・第3回(井川耕一郎)



今年の三月にアテネフランセ文化センターで大工原正樹特集があったとき、チラシには次のような『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』の紹介が載った。


子供の頃に義父から受けた虐待の記憶に苛まれる姉弟が、母の死を機に故郷の港町を久方振りに訪れる。彼らの願いは、忌まわしい過去の呪縛の象徴である亡霊から解放されること。ゴーストタウンのような風景に佇む長宗我部陽子岡部尚姉弟の寂しげな姿が印象に残る。隣人役の高橋洋の怪演にも注目。


よくまとめてある紹介だと思う。しかし、「故郷の港町を久方振りに訪れる」のあと、すぐに「彼らの願いは、忌まわしい過去の呪縛の象徴である亡霊から解放されること」とつなげてしまうと、結論を急ぎすぎているように見える(150字くらいでまとめるとしたら、これは仕方のないことなのだが)。
木更津を訪れた時点で、姉も弟も自分が求めているものが何なのか、まだよく分かってはいなかったろう。二人が自分たちの欲するものに近づくことになるのは、その日の晩、姉の気まぐれで旅館に泊まったときではないだろうか。


夜、うなされて目ざめた弟は姉に子どもの頃に「あいつ」から受けた虐待の記憶を語る。すると、姉も今まで弟に黙っていた虐待の記憶を語る。しかし、二人とも記憶を語ったあとにすぐ、大人になった今となっては、こんなことはどうってことないのだ、と言葉をつけくわえている(このとき、子どものときから顔つきがあまり変わってなさそうな岡部尚が「バカみたいだろ?」と言って、自嘲するおっさんのように笑うのがとても印象的だ)。
忌まわしい過去は、大したことないと軽く見るか、忘れ去ってしまうかしないといけない。でないと、普通の生活は送れないだろう。たぶん、姉も弟もそう考えて今まで生きてきたにちがいない。


だが、姉は母の死をきっかけに思ったのではないか――わたしは悲しみや苦しみや恐怖については知っている。けれども、憎しみについてはあまりよく知らないし、知ろうとさえしなかった。それでいいのだろうか。わたしの人生は嘘なのではないか……。
そこで、姉が憎しみの対象に選んだのは母だった。とはいえ、その憎しみは「わたし、母さんのこと、ずっと憎んでいたかもしれない」というような不確かなものであり、「母さんも、わたしのこと、憎んでいたんじゃないかな」という仮定の上に成り立つもろいものだった。だから、旅館で姉が語る母に対する憎しみは、弟によってすぐに否定されてしまう。


ところが、姉の憎しみを否定することで、今度は弟が憎しみにとり憑かれてしまうのだった。姉さんは憎む相手を間違えている。憎むなら、母さんではなく、「あいつ」でなくてはいけないんだ……。そう考えた弟は、「あいつ」がどこかで生きていることを望み、この手で殺すことを欲するようになる。
姉は弟に、恐ろしいことを考えないで、と言っているが、彼女の潜在意識はどうなのだろう? 弟の「あいつ」に対する憎しみは、姉が心の奥底で求めていたものではなかったか。つまり、姉にはそのつもりはなかったが、潜在意識が欲する方向へと弟を誘導したのではないだろうか。
(注:まるで他人の作品を批評するような書き方になっているのには訳がある。私はシナリオを完成させると、書いていたときに考えていたことのほとんどを忘れてしまうのである。だから、自作であっても推測するように書くしかない)


旅館の場面は、完成した映画を試写で見て、ここは何度見ても見飽きることがないだろう、と思ったところだった。
シナリオでは、姉が母に対して抱いていたかもしれない憎しみを弟に語るところは、布団に入ったまま、弟に背を向けて語るというふうになっていた。
けれども、映画では、セリフはシナリオのままだが、姉を演じる長宗我部陽子さんは布団から出て、どうしていいか分からないといったふうにいらいら歩きまわっている。
この姉の姿を見て、弟はどう思ったのだろう? 彼は自分が見ているはずのない過去を思い出してしまったのではないか。そうだ、姉さんが「あいつ」にされたことを告げたとき、母さんはあんなふうに家の中を歩きまわっていた……、と。


そして、母に対して抱いていたかもしれない憎しみを弟が否定すると、姉は「そうだよね。わたし、どうかしてた」と言って布団に戻り眠る。
だが、岡部尚さん演じる弟は上半身を起こしたまま、まっすぐ闇を見つめている。
するとそのとき、シナリオには書かれていないことが起きる。夜の海をバックに顔をおおって泣く少女の姿が映るのだ。それは少女だった頃の姉である。姉は寝てしまったというのに、弟は見たこともない過去をなおも見続けている。弟の中に「あいつ」に対する憎しみが芽生えるのはもう時間の問題だろう……。
つまり、大工原さんたちは、姉から弟へ憎しみが飛び火する過程を見事に画にしてみせたのだ。弟が「あいつ」に対する殺意を静かに語りだすとき、窓外が赤く光りだす。赤い光が炎のようにゆらめくのを見ながら、シナリオを書いた立場としては、ただただ現場の努力に感心し、うなるしかなかったのである。


とりとめない文章がどんどんとりとめなくなっていくみたいなので、ここらでやめようと思う(最後の最後にスクリーンに映る長宗我部さんのカットが持つ不思議な味わいについても書こうと思ったのだが、これはひとによってはネタバレと感じるかもしれないのでやめておくことにした)。
だが、あと一つだけ記しておきたい。
旅館で、姉と弟は浴衣の帯の端をそれぞれ自分の手首に縛り、何かあったら連絡するようにしていた。これの元ネタは、もちろん、幸田文の『おとうと』である(『おとうと』で使ったのは、見舞いの果物籠のリボン)。姉と弟のドラマを書くとなると、『おとうと』は避けては通れない作品のように思えたのだ。
シナハンで木更津に行ったときのことだった。映画館が撮影に使えるなどといった情報は事前に大工原さんから聞いていたが、まさかここまでひとがいない街だとは思っていなかった。あちこちに廃墟となった旅館やホテルがあったのもちょっとショックだった。
港まで歩き、中之島大橋の上から街を見渡したとき、ふと「うっすらと哀しいのがやりきれないんだ」という言葉が浮かんできた。『おとうと』で弟が姉に言うセリフだった。弟は丘の上から海と港町を見下ろす自分を想像して、こんなことを言うのだった。
「そういう景色、うっすらと哀しくない? え、ねえさん。おれ、そのうっすらと哀しいのがやりきれないんだ。ひどい哀しさなんかまだいいや。少し哀しいのがいつも侵みついちゃってるんだよ、おれに。癪に障らあ、しみったれてて。――」(新潮文庫・p139)
与三郎通りのことも合わせて考えてみると、どうやら木更津は姉と弟のドラマを書けと脚本家にささやき続けていたように思えるのだが……。