渡辺護、向井寛の初期作品について語る


(以下の文章は、mixiの「渡辺護自伝的ドキュメンタリー制作日記」からの転載です(2012年8月3日))


現在、第二部『つわものどもが遊びのあと ―渡辺護が語るピンク映画史―』の編集中なのだけれども、
カットしたインタビュー部分をこの製作日記に載せておこうと思う。
8月17日、18日に銀座シネパトスで、向井寛のデビュー作『肉』が上映されるとのことなので、
今回は、初期の向井寛について語っている部分を。(井川耕一郎)


昭和36年ってのはいろいろ思い出があるんです。おれはマキノ真三さんのマキノ映画とかかわりがあって、そこがつぶれちゃったんで、マキノ映画にいた市川春代さんとかを教育映画に売り込みに行ったんですよ。
東京文芸プロってのがあって、教育映画をつくってたんですよ。で、野村浩将さんなんかが撮ってました。そこの助監督をやっていたのが向井寛。
向井ちゃんが助監督で、野村浩将が撮って、市川春代が出たやつを試写で見たんですよ。ストーリーは忘れちゃったけど、子どもがパーッと家から出て行って、パッと戸を閉める。その震動でもって表札が落ちるなんてさ、古めかしい大船調……無声映画時代の演出をやってたよ。それ見て、「古いなあ、古いなあ、演出が古いよ、もう、野村さんは」てなことを言ってた向井寛のことを思い出すよ。それが昭和36年頃だね。
その頃から向井と話をするようになったんですよ。「本木荘二郎のストリップ映画、見に行きますか?」なんて言われて、で、見に行ったよ、本木さんのストリップ映画。湖で裸になって踊ってるみたいなやつをね。
向井は二十いくつだよな。若々しくてさ、かわいい顔してさ、礼儀正しくてね。それから、昭和40年、山本晋也が『狂い咲き』で、おれが『あばずれ』で、向井寛が『肉』って映画でデビューしたんですよ。
昭和40年に会ったときには太ってて、大監督って顔してたよ。態度大きいなって思ったよ。いや、別におれに失礼があったわけじゃないよ。礼儀正しかったけどね。でも、なんかやっぱり見た目がね(笑)。

『肉』(65)って映画は見てるけど、どんなストーリーかおぼえてないんですよ。でもね、内田高子が全裸で後ろ向きで映っている写真はよくおぼえてますけどね。
向井ちゃんの作品リストある? (作品リストを受け取って)結構、向井ちゃんのは見てんですよ……、向井の『肉』ってのはヒットしたんですよ……、『砂利の女』(65)は見てない……、『破戒女』(65)っての、(向井に)呼ばれて見に行ったんですよ。初号、見てくんないかって。自慢したかったんだろうね。おれの映画はちがうってね。
『破戒女』では、こういうことやってたよ。尼の話なんですよ、お寺の。ストーリーは忘れたけどね、白い着物を着て、水につかるわけよ。そうすっと、ぴったりとね、体に着物がくっつくだろ。それで、地毛がうすく見えるというふうなピンク映画の撮り方をしてたですよ。
『色舞』(65)なんかキスしてさ、唾がつーってね。これはね、宝田明司葉子がキスして糸が引かないとダメだって、丸林久信東宝の監督。渡辺護の『絶品の女』の脚本を書いている)がデビュー作『雪の炎』(55)でやってたことなんだけどね。それがあったから驚かなかったけど。
でも、どうして『色舞』を見たかっていうと、プロデューサーが向井寛を意識して、「ナベさん、見てくれ」って言うんだよ。で、劇場で見たんですよ。別に演出に対しては驚きも何もなかったんですけど、ただね、スパッと全裸を一秒くらい見せるんですよ。なんかのとき、パーッとね、動きで、後ろ向きだけ。あっ!と思うようなカットを撮って、でも、映倫を通すんですよ。そういう映倫を通すってことがうまかった。その執念たるや、すごいですよ、やっぱり。


向井ちゃんは、なんかのときに、パーッと着物が脱げて全裸になる。それをねらって脚本をつくる。だから、おれが『続・情事の履歴書』(66)の脚本を頼まれて書いたときにね、油が流れて、油べっとり、油まみれのベッドシーンが欲しいっていう、そういう設定でホン書いてくれって言うんだよ。どういう話ってんじゃないんだよ。で、おれが書いたやつはね、『マノン・レスコー』のいただきなんだけどね。
おれが書いた『続・情事の履歴書』には、少女が東京に出てきて、ストリップ劇場で「はい、全部脱いで」って言われるシーンがあるんですよ。裸の少女にぱっと照明を当ててね。股間まで見えたら映倫通らないから、ロングショットで少女を立たせてね。
若松の『情事の履歴書』が地方だから、地方から出て都会の話にすりゃいいんじゃないかってことで書いたんだけど、そうしたら、あんまり都会的すぎるっていうんだよ。やっぱり九州のひとだから、向井は。おれとはちがうんだな、感覚的に合わないね。
で、阿部桂一さんを紹介したんですよ。そしたら、「ナベちゃん、悪いね。これ、ホン代払うから」って言うんだけど、「いいよいいよ、そりゃいい。おれが自分で撮るから」と。それはそれでやりましたけどね。自分の映画で、何て題名か忘れたけど。


『続・情事の履歴書』を見たら、少女が墓に向かって言うんだよ。「今に見ていろー!」って。「おらの方がもっとでかい墓をつくってやるー!」って。やっぱり、田舎ってのはさ、お墓の大きさでもって上だとか下だとかって感覚があるんだね。おれ、そういうのが分かんなくてさ、なんでお墓がアップになったり、ズームで寄ったりするのか……、おれ、台詞の意味が分かんなかったよ。
若松も向井も会うと、「ナベちゃん、儲かってる?」って言うんだよね。「儲かるわけないだろ、ピンク映画なんだから」って、おれ、言ってたんだけどさ。だから、そこがちがうんだよね。上だとか下だとかさ。生きてきたとこがちがうんだよね。おれ、下町だからさ。「いいか、みっともねえことするんじゃないぞ、江戸っ子は」なんて言われてたしね。チョク(山本晋也)も下町だから、そういうとこで話があうんだけど。向井や若松とは食い違うんですよ、そういうとこでね。


向井はとにかくトップに立ちたい。おれとか山本晋也にはそういうのがない。ピンクで誰それより上だとか、トップだなんてのはないんですよ。ところがね、向井にしてみれば、若ちゃんがトップだ、と。だから、若松には負けない、と。
暴行シーンが『情事の履歴書』シリーズの売りなんですよね。若松孝二のだと、暴行シーンで女が雪の中を走るよね。向井ちゃんは砂丘にしたわけですよ。鳥取砂丘まで行ったんだよ。掛川砂丘じゃダメだってことで、鳥取砂丘まで行って。
撮影終わって東京に戻ってきた向井と会ったら、(両手で交互にゆっくり宙をかくようなジェスチャーをしながら)「ナベちゃん、こういうの撮った」。「なんだ、それ?」って尋ねたら、(両手を胸のあたりにもってきて、交互に動かすジェスチャー)「(走って逃げる女の)おっぱいがふわあーふわあーって揺れるのを、ハイスピードで撮った」って言うんだよ。
そのとき、ひどいの、撮ってるんだよ。砂丘からあおりで女がパーッと(カメラの上を)飛ぶの、撮ってるんだよ。股間がばっちり見えてる。そんなの、映倫通るわけねえじゃない。なのに、撮るんだよ、あいつ。で、「ナベさん、これはあんただけに見せてやる。(映写技師に)おい、かけてみな」なんて……、でも、憎めないというかさ、怒れないんだよ、向井ってのは(笑)。
砂丘で暴行されるのは分かるけど、ハイスピードでおっぱいが揺れるなんて、そんなの関係ないけどねえ、ドラマの流れから言えば。でも、彼はそうじゃない。胸が揺れたってのが売りだと。で、実にマスコミへの宣伝がうまいんですよ。鳥取砂丘まで行って、ハイスピードで撮ったとか。そういう意味でプロデューサー的なんだよな、向井は。


追記


向井寛の初期作品『男と女の肉時計』(68)が、2013年2月に神戸映画資料館で上映されます。

ぴんくりんく編集部 企画
「ピンク映画50周年 特別上映会 〜映画監督・渡辺 護の時代〜」


2013年2月8日(金)〜12日(火)


2月8日(金)・9日(土)
『紅壺』(1965年/渡辺護監督/16mm)
『婦女暴行事件 不起訴』(1979年/渡辺護監督/35mm)
『三日三晩裏表』(1969年/東元薫監督/16mm短縮版)


2月10日(日)・11日(月・祝)
『おんな地獄唄 尺八弁天』(1970年/渡辺護監督/16mm)
『男と女の肉時計』(1968年/向井寛監督/16mm)
『素肌が濡れるとき』(1971年/梅沢薫監督/16mm)


2月8日(金)〜12日(火)  『糸の切れた凧 渡辺護が語る渡辺護』(2011年・122分・監督:井川耕一郎、出演・語り:渡辺護)★1日1回上映


2月9日(土)・10日(日)は渡辺護監督、井川耕一郎によるトークショーあり


会場:神戸映画資料館(TEL 078-754-8039)
 神戸市長田区腕塚町5丁目5番1
 アスタくにづか1番館北棟2F 201


詳しくは、神戸映画資料館公式HPをご覧ください。
http://kobe-eiga.net/