旦雄二『助監督』について(井川耕一郎)


(以下の文章は、ツイッターhttps://twitter.com/wmd1931)に書いたものの再録です)


1 (2013年2月19日)


第11回城戸賞入選作・旦雄二(@yujidan)『助監督』(「キネマ旬報」1986年1月下旬号)を読む。旦さんがピンク映画の助監督だった頃を題材にして書いたシナリオで、これを読むと、青春がどんなルールで進むゲームなのかがよく分かる。


ルールその1:徒党を組め。主人公の五郎は飲み屋で「何も、監督にしてくれ、とは言ってない、助監督にしてくれ、って言ってるだけじゃないか、日本映画は助監督を募集しろ」と大声でどなっているところを、ピンク映画の助監督・木村に拾われる。


移動中の五郎と木村の会話。木村「(独り言のように)助監督は飯を食えない……死ぬほど腹が減る……でも、すぐに慣れる……」「監督になりたいのか?」 五郎「勿論! そうでしょ、木村さんだって」 木村「やっぱ、なりたいよな、監督に。この商売、監督が大将だからな」


ルールその2:軽蔑する対象を作れ。これは仲間と夢を共有し、絆を強めるための手段だろう。木村は五郎に先輩助監督の梅本(栗原幸治がモデルだと思う)についてこう言う。「あの人は一生助監督だよ」「いい人が監督になれるってもんでもないんだよね、この世の中は、残念ながら」


五郎も半ば無意識のうちに軽蔑の対象を作ってしまう。彼は監督の早川(本木壮二郎がモデル)に呼び止められる。「(笑顔のまま)君は僕を馬鹿にしているね」「でもね、いいかい……これだけは言える……君が軽蔑する、こんなアル中ピンク監督にだって、成るのは大変なことなんだ……判る?」


ルールその3:身近なところに羨望の対象を作れ。これは必ずしも必要不可欠なルールではないかもしれないけれど、五郎と木村は深町に師事し、彼のために一生懸命働く。女優だったエリは、深町のお気に入りの女優・愛と木村の関係についてこんなことを言う。


エリ「木村君はそう思ってたの、愛ちゃんは監督のものだって。だから、愛ちゃんに憧れて、愛ちゃんを欲しがって……(五郎に)ねえ、そういう所ってない、助監督って。監督の物なら何でも欲しがる、みたいな……」。つまり、羨望は軽蔑の裏返しということか。


ルールその4:仲間と競争しろ。木村は深町が自分と五郎に向かって「いいロケセットを見つけた者がチーフだ、これからは」と言いだしたことに納得できない。興味深いのは、木村はロケセット探しを放棄するが、しかし、五郎との競争をやめないことだ。


木村はスナックで五郎に言う。「俺は……お前と競争しようとは思わない……理由は……お前が友だちだから、というのがひとつ……もうひとつは……俺はお前なんかめじゃないと思ってるからだ」。また、別の日にはシナリオを書いていることを五郎に告げる。


木村「大久保はどんな映画を撮りたいんだ?」 五郎「うーん……なんでも撮りたいなあ」 木村「なんでも撮りたい、ってのは、何を撮ればいいのか判らない、って事だぜ」「……俺は決めてるぞ」 五郎「どんなの」 木村「(皮肉に)そんなこと教えるもんか、秘密さ」


軽蔑と羨望と競争がくりかえされる中、五郎と木村は他人のちょっとした言動に敏感になり、ふりまわされる。そしてついに木村は助監督をやめてもともと自分がいた世界に戻ってしまう(木村の元チンピラという設定は、若い頃の若松孝二がヒントになっているのだろうか)。


木村が去ったあとも、五郎はピンク映画界に残る。けれども、五年たっても彼は助監督のままだ。深町「いいか、大久保、間違っても“深町龍二が俺を監督にしてくれるかも知れない”なんて思うなよ。俺はお前を監督にしたりしない。商売がたきを作り出しても何の得にもならないんだからな」


そしてさらに三年。その間にかつて軽蔑していた早川も梅村も亡くなってしまう。さらに仲間だった木村のその後を知った五郎は、自分の決意を深町に告げる。五郎「監督、辞めさせて下さい」「監督になります」「道は自分で見出します」


深町「判った。……何かあったら……いや、何があっても戻ってくるなよ……」。ここで最後のルールが出てくる。ルールその5:このゲームのバカバカしさに気づき、訣別すること。旦雄二『助監督』は、青春を真正面からきちんと描ききっているところが素晴らしいと思う。


それにしても、旦雄二『助監督』の中で、最大の悪人は監督の深町だろう。青春がどんなゲームなのかをよく知っている彼は、助監督たちがたえず競争をするように誘導する。たちが悪いのは、この男、権力を握ってひとを操ることに喜びを感じるタイプではないということだ。


深町の頭の中にあるのは、「面白い映画が撮りたい」だけなのである。そのためだけに、彼は助監督たちに心身ともに消耗するような競争をさせているのだ。深町「(五郎に)俺を感動させろ、って言うんだよ。俺一人感動させる事もできなくて、大勢の人間を感動させる映画が作れる、と思うか?」


深町のモデルになった監督は複数いると思うのですが、おそらく、渡辺護もその一人でしょう。そういえば、渡辺さんはこんなことを話してました。


渡辺護「おれが用意しとけよって言った警察手帳、(助監督の)原一男が持ってきたんだよ。これがひどくてさ、バカヤロー、お前、こんなもんで撮れるか!って怒ったわけだよ。そうしたら、旦(雄二)が、あ、それ、私がやりますからってさ、ささっと作ってきたんだよ。
その警察手帳がよくできているんだよ。で、原(一男)に見せて、こういうのを持ってこいよ、って言ったの、おぼえてるよ。旦(雄二)は美大出だからさ、器用なんだよな」


渡辺護さんが懐かしそうに話しているのを見て思ったものです――うーん、やっぱり、このひとが悪人・深町のモデルだ。それにしても、自分が悪人だって自覚がここまで欠如してるのはすごい。にこにこ笑いながら、若者たちを追いつめ、傷つけた話をしてるよ……。


2 (2013年2月21日)


日本経済新聞(1月17日)に載った吉田喜重「同時代を模索した映画人 大島渚を悼む」。最初に読んだときには、ずいぶん素っ気ない追悼文だなあ、と思ったのですが、旦雄二(@yujidan)さんの『助監督』(「キネマ旬報」1986年1月下旬号)と並べて読むと、いろいろ考えさせられます。


吉田喜重「私たちが急速に親しくなったのは、共通したひとつの認識があったからだろう」「それはいま生きている現実、いま身を置いている映画界を批判的に見るしか、私たちの存在理由がない。そんな思いに駆られていたのである」


旦雄二『助監督』の五郎と木村のように、松竹に入ったばかりの吉田喜重大島渚も徒党を組み、先行するものを否定したいという感情にとらわれていたのだなあ、と(否定したいという気持ちは吉田喜重大島渚の方がはるかに強いのですが)。


吉田喜重「彼と出会った翌年の春、大島は大庭秀雄監督の助監督として京都に旅立ち」「別れる折に「映画はメロドラマだ。もっとも観客を集めるメロドラマこそ、映画の力だ」と、大島が語ったことが思い出される」


先行するものを否定したいと思う一方で、それが持つ力に惹かれてしまうあたり、旦雄二『助監督』と通じるものがあるような気がします。吉田喜重はどうだったのだろう? 木下恵介についてシナリオの口述筆記をやったという話を以前読んだことがあるのですが。


吉田喜重「「社会を動かすのは政治だ。政治を動かすのは権力だ」と、大島はそのように語ってもいた。思想、文学を学んだ私には、こうした権力志向とは無縁に生きることを考えていただけに、距離を置いて彼を見るようになったのは言うまでもない」


こういう違いの意識は『助監督』にも出てきます。木村「ピンクの助監督って、二通りあるんだ。あんたみたいに映画好きで助監督やってんのと……水商売が好きで助監督やってんのと……」「俺もどっちかって言えば、“水商売が好きで”のタイプの方だもんな……もともとがチンピラだからさ」


今どきだと、違いの意識は「まあ、違いはあるけれど、お互いがんばろうよ」という態度と結びつくのかもしれない。けれども、旦雄二『助監督』では、違いの意識は競争の芽になってしまう。木村は五郎に言うわけですね。「お前なんかめじゃないよ」と。では、吉田喜重は?


吉田喜重「私たちはおたがいに執筆したものを読み、いかに私たちの考えていることが異なっているか、それを思い知らされたのも事実だった。おそらく両方が相手を傷つけることを嫌ったからだろうか、次第に疎遠になってゆくのである」


仲間と飲んでいるときに、「お前なんかめじゃないよ」なんて言うのはみっともない。吉田喜重はそう考えたのでしょう(おそらく大島渚も)。吉田・大島は傷つけあう競争になるのを何とか避けた。けれども、仲間に対する攻撃的な感情を本当に消し去ることができたのかどうか……。


吉田喜重「松竹はこれ(松竹ヌーベルバーグ)がもっとも有効な宣伝フレーズだとして、私の希望を聞き入れなかった。従っていまでも「松竹ヌーベルバーグは虚妄」、私はそう言うしかない」


最初に読んだとき、吉田喜重の「松竹ヌーベルバーグは虚妄」は、「青春はそろそろ終わりにしたい」というふうに聞こえたのですが、旦雄二『助監督』を読んだあとだと、大島渚に向かって「お前なんかめじゃないよ」と言っているようにも聞こえるわけです。


気になるのは、吉田喜重が「松竹ヌーベルバーグは虚妄」をカッコに入れて、そのあと、「私はそう言うしかない」と書いていることです。今でも「虚妄だよ」と言いたい自分がいるのを認めたうえで、「そう言うしかない」と書くことでそんな自分を何とか突き放そうとしているように読める。


一見素っ気ない感じがするけれども、若い頃に大島渚に対して抱いた攻撃的な感情がよみがえりそうになるのを抑えようとすると、こんな追悼文になるのではないか。「限りない哀惜の念を抱いていると言うほかはない」は、ああ、きちんと喧嘩すればよかったよ、という嘆きにも聞こえる。


……いや、すみません。とりとめない空想みたいなことをだらだら書いてしまいました。でも、吉田喜重の追悼文は、私の青春は何よりも大島渚との関係の中にあった、と言っているように思うのですが。

粟津慶子『収穫』について(井川耕一郎)


(以下の文章は『映画芸術』2010年冬号(430号)に載ったものです)


2010年BEST
粟津慶子『収穫』、小出豊『こんなに暗い夜』(各10点)


粟津慶子『収穫』について。怪作である。映画が始まってすぐ、教室で腕組みして居眠りする女教師が映るのだが、その姿がどうしようもなくおばさん的で笑ってしまう。ところが、彼女が眼鏡をはずして、生徒の岡崎くんを見つめるカットを見て、あっと声が出そうになった。おばさん的肉感はそのままなのに、妙に色っぽいのだ。信じられないことだが、「眼鏡をとったら美人」という嘘くさい事態が現実に起きてしまったようなのである。
顔の印象がカットごとにちがって不安定というのは、主人公の千代にもあてはまることだろう。最初、千代は地味で野暮ったい女の子にしか見えない。だが、憧れの山下先輩が彼女の髪についていた花びらをつまんで、それを掌にのせて示すあたりで、がらりと顔の印象が変わってしまう。花びらというより山下先輩の手をじっと見つめ、それから顔を寄せてにおいを嗅ぐときの表情に、見る者を惹きつける不思議な何かがあるのだ。
見た目の美しさから言うと、千代よりも友人の冴子の方が上なのだろう。体育用具倉庫で千代が冴子、山下先輩と放課後をすごす場面があるが、見ていて感じるのは、すっきりした輪郭の顔の冴子や山下先輩と並ぶと、千代の頬のふくらみが目立ってしまうことだ。だが、逆にそこがいのである。見ているうち、次第にあの頬の肉のやわらかさを指先でつついて確かめてみたいという気になってくる。そして、いつもゆるく開き、ほんの少しだけ前に突き出ているような唇にも、私たちは魅せられていくことになるのである。
その唇が活躍しだすのは、映画の後半、千代が女教師の進路指導を受けるあたりからだ。「先生、黄金の砲丸という伝説を知ってますか」と言うなり、千代の唇から言葉があふれ出てくる。それは昔、陸上部にいたある生徒の話だった。彼は女の子とつきあうようになってから記録が伸びず、花形選手の座から脱落。とうとう気が狂い、ある夜、体育用具倉庫に彼女をつれこみ、その歯を全部ペンチで引き抜いてしまったのだという……。
歯の生えた性器というヴァギナ・デンタータ伝説を下敷きに使っているのだろうか。セックスに対する憧れが恐怖に反転し噴出したような処女の妄想である。呆れてしまうのは、倉庫内に飛び散った血を隠すために金色のペンキを塗ったというくだりだ。セックスを連想させるような痕跡を消そうとしているのに、砲丸にもペンキを塗ってしまうとは! 冗談みたいにあっけらかんと金玉が登場してしまったことに粟津慶子自身は気づいているのかどうか。彼女の演出はどこまで意識的なものなのか分からないところが恐い。
いや、粟津慶子は確信犯的に金玉を登場させているにちがいない。そう思ったのは、夜の体育用具倉庫で処女の千代と童貞の岡崎くんが出会う場面を見てのことだ。ここで岡崎くんは黄金の砲丸の真実を探ろうとして、玉を膝の上にのせて鋸でまっ二つに切ろうとしている。その上半身をとらえたカットはどう見ても、自慰をしている姿ではないか。そして、岡崎くんの自慰を息を殺して見つめる千代――これはもう爆笑ものである。セックスをほのめかすような描写を積み重ねていって、粟津慶子の表現は限りなくそのものずばりに近づこうとしている。このひとはただものではない。
ラストで、千代は物陰から冴子と山下先輩のキスを盗み見てしまう。そして、隣にいる岡崎くんとキスしてしまうのだが、このキスには本当にまいってしまった。暗がりでのことなので唇はよく見えないのだが、千代の頬の肉の動きですべてが分かってしまう。千代と岡崎くんは互いの唇をむさぼるように何度も何度もキスをくりかえしているのだ。『収穫』は「桃まつり kiss!」というオムニバス映画の一篇なのだが、キスというお題に正面から本気で取り組んだのは粟津慶子だけではないのか。キスしたい!という欲望に衝き動かされているのは、千代だけではない。きっと粟津慶子自身もそうにちがいないのだ。
『こんなに暗い夜』は『収穫』の撮影を担当した小出豊の作品。大和屋竺の幻のシナリオ「連れてって」を思い出させるドラマで、ジム・トンプスンふうのグロテスクな笑いがあちこちにちりばめられているところがとても興味深い作品だった。
また、昨年は鎮西尚一がひさしぶりに映画(『熟女 淫らに乱れて』)を撮った年でもあった。だが、鎮西は国映が提供してくれたチャンスをきちんと活かして撮ったといえるだろうか。私には伊藤猛演じる主人公がまったく理解できなかった。なぜ彼はアル中を治そうとするのだろう? なぜ彼は離婚届にサインをしようと思うのだろう? 鎮西はメルヴィルの「バートルビー」を映画化すべきだった。「〜しないほうがいいのですが」をくりあえしながら亡霊的な存在に限りなく近づいていく男の映画を撮るべきではなかったろうか。

ぴんくりんく企画「ピンク映画50周年 特別上映会 〜映画監督・渡辺護の時代〜」+『糸の切れた凧 渡辺護が語る渡辺護』(2月8日(金)〜2月12日(火)・神戸映画資料館)



2月8日(金)から12日(火)まで神戸映画資料館で開かれるぴんくりんく企画のピンク映画上映会。
その中で、渡辺護自伝的ドキュメンタリー第一部『糸の切れた凧 渡辺護が語る渡辺護』が上映されます。


渡辺護とはどういう監督なのか?
1931年東京生まれ。65年に『あばずれ』で監督デビュー。以後230本以上のピンク映画を撮る。代表作は、『おんな地獄唄 尺八弁天』、『(秘)湯の町 夜のひとで』、『ニッポンセックス縦断 東日本篇』、『制服の娼婦』、『少女を縛る!』、『聖処女縛り』……
といった紹介文を書くこともできるのですが、
今回の上映会では、頭の片隅になんとなくある「ピンク映画」や「渡辺護」のイメージを一度忘れて、スクリーンに向き合っていただけたら、と思っています。
また、ピンク映画についてあまりよく知らない方にも見ていただけたら、と思っています。(『糸の切れた凧 渡辺護が語る渡辺護』が、そのとっかかりになればいいのですが)


今回の上映会が、渡辺護とピンク映画を再発見する場になるといいのですが。
ぜひご覧ください。


<コメント>


万田邦敏(映画監督)
ピンク映画というのは1時間前後の尺の中に、セックスシーンが4回、5回ないといけないとか、何分間に1回ないといけないとかいう条件のもとで作られますよね。その条件は、監督にとってふつう「制約」として受け止められるじゃないかと思うんです。できたら無理矢理セックスシーンなんて入れたくはないけど、そうしないといけない決まりだから仕方なく撮る、というふうに。しかし、ある一群の監督や脚本家たちにとってはそれが制約ではなく、いや始めは制約であったにもかかわらず、すぐにセックスそのものがドラマの中心テーマに据えられるようになるという奇妙な逆転が起りますよね。渡辺さんもそうだったのか。でなければ、2百本以上のピンク映画は撮れないのか。しかしこのドキュメンタリーを見ていると(聞いていると)、渡辺さんにとっての関心はピンクそのものではなく、ピンクだろうとなんだろうと如何に面白く撮るか(如何に面白く語るか)、ただそれだけなんだということがわかってきました。つまり渡辺さんにとってピンクは、驚くべきことに今もなお「たまたまそうだった」であり続けているのではないかということです。渡辺さんには「映画」という糸が、ずっと切れないままつながっているんではないでしょうか。


高橋洋(映画監督・脚本家)
もしオリヴェイラ渡辺護を見たら、ええ! サイレント時代から映画を撮ってた人が俺以外にもいたの!とビックリするのではないだろうか。もちろん渡辺護は100歳ではない。ピンク映画の黄金期を支え、200本以上の映画を撮り続けた彼のデビューは1965年。彼の映画にずいぶんと遅れて出会った私たちは、その画面に、彼が語る言葉に、肉体に、マキノ、伊藤、衣笠ら活動大写真の興奮が息づいている不思議に呆然とした。井川耕一郎がドキュメンタリーの製作に踏み切ったのも、何としてもこの不思議を記録せねばならないと思ったからに違いない。渡辺護が語るのは体験談ではない。“体験”なのだ。クラシカルな嗜好とは無縁の、現在であり続ける“体験”。彼の映画がオリヴェイラ同様刺激的なのはそれ故だ。我々はスクリーンを通じて、スクリーンを見ている時だけ、この“体験”を共有できる。渡辺護の演出を捉えたメイキング映像は抱腹絶倒の面白さ!


ぴんくりんく編集部企画
ピンク映画50周年 特別上映会 〜映画監督・渡辺 護の時代〜
2月8日(金)〜12日(月・祝)


2月8日(金)
14:00〜『紅壷』(65年・85分)監督:渡辺護
15:40〜『三日三晩裏表』(69年・63分)監督:東元薫(梅沢薫)
17:00〜『婦女暴行事件 不起訴』(79年・61分)監督:渡辺護
18:30〜『糸の切れた凧 渡辺護が語る渡辺護』(11年・122分)出演・語り:渡辺護、監督:井川耕一郎


2月9日(土)
13:00〜『婦女暴行事件 不起訴』(79年・61分)監督:渡辺護
14:20〜『三日三晩裏表』(69年・63分)監督:東元薫(梅沢薫)
15:40〜『紅壷』(65年・85分)監督:渡辺護
17:20〜トークショー渡辺護、井川耕一郎、太田耕耘機(司会))
18:00〜『糸の切れた凧 渡辺護が語る渡辺護』(11年・122分)出演・語り:渡辺護、監督:井川耕一郎


2月10日(日)
13:00〜トークショー渡辺護、井川耕一郎、太田耕耘機(司会))
13:40〜『糸の切れた凧 渡辺護が語る渡辺護』(11年・122分)出演・語り:渡辺護、監督:井川耕一郎
16:05〜『おんな地獄唄 尺八弁天』(70年・75分)監督:渡辺護
17:40〜『男と女の肉時計』(68年・58分短縮版)監督:向井寛
18:40〜『素肌が濡れるとき』(71年・70分)監督:梅沢薫


2月11日(月)
13:00〜『男と女の肉時計』(68年・58分短縮版)監督:向井寛
14:20〜『素肌が濡れるとき』(71年・70分)監督:梅沢薫
15:50〜『おんな地獄唄 尺八弁天』(70年・75分)監督:渡辺護
17:30〜『糸の切れた凧 渡辺護が語る渡辺護』(11年・122分)出演・語り:渡辺護、監督:井川耕一郎


2月12日(火)
18:00〜『糸の切れた凧 渡辺護が語る渡辺護』(11年・122分)出演・語り:渡辺護、監督:井川耕一郎


※『糸の切れた凧〜』以外の作品はすべてピンク映画(R18+)


<料金>


*ピンク映画
1本あたり
一般1200円 学生・シニア1000円
会員1000円 学生会員・シニア会員900円
(割引:2本目は200円引き)


*『糸の切れた凧 渡辺護が語る渡辺護
一般1300円 学生・シニア1000円
会員1000円 学生会員・シニア会員900円


■会員とは神戸映画資料館の会員のこと(当日入会可・要会費)


神戸映画資料館:TEL 078-754-8039 (JR・地下鉄新長田駅)
(神戸市長田区腕塚町5-5-1 アスタくにづか1番館北棟2階)


上映会の詳細は以下のサイトをご覧下さい。

神戸映画資料館 http://kobe-eiga.net/

ぴんくりんく http://homepage3.nifty.com/a-sp/p-top.htm

渡辺護、『修道女 秘め事』、『猟奇薔薇奴隷』などについて語る


(以下のインタビューは、井川がmixiに書いた製作日記からのものです)


製作日記:70年代後半の向井寛とのつきあい・前編(2012年8月4日)


『ドキュメント 成人映画』(ミリオン出版・1978年)には、何人かのピンク映画監督のインタビュー記事が載っていて、その中に向井寛のものもある(p134〜p136)。
出だしをちょっと引用しておこう。


いまは監督が副業でプロデューサーが本業の様相である。
東映ニューポルノのプロデューサーであり、『むれむれ夫人』(飛鳥裕子主演)を手がけたり、そうかと思うと、東映セントラルフィルムで、ハリー・リームズ主演の『生贄の女たち』(山本晋也監督)をプロデュースしたり。年間10本以上の東映ポルノの製作を抱えていては、とても監督なんぞやってられない。
「監督の才能はもう枯れ果てましたよ。監督よりプロデューサーの方が向いているし、やりがいがありますね。これまで日本には本当のプロデューサーは数少なかった。みんなサラリーマンプロデューサーでね。いい企画で血の通った映画を作りたいですね。できるなら、日本の映画の流れをかえてみたいですね」
 話が多少オーバーで、誇大なきらいがあるけれど、そうかと言って話半分ということじゃない。東映洋画部の創設期は『世界トルコテクニック・ドキュメンタリー』を作り大活躍したし、東映本社の宣伝部に行くと、社員と見違えるばかりにいつもデスクに座っていた。
 そして東映で『東京ディープスロート夫人』を演出したり、『噫・活弁大写真』の構成、監修を稲垣浩と組んでやったりするのである。才人であり、タフでエネルギッシュである。
 ある時期は、「メガホンを片手に、ソロバンを片手にやっているのが向井寛だ」といわれた時代がある。向井商法、いや、いまや向井映画商事株式会社のおもむきである。
 かつては若松孝二の好ライバルとしてピンク映画隆盛の一時期をつくった。
 いまユニバースプロモーションの代表だ。山本晋也渡辺護、稲尾実、梅沢薫らに東映ポルノを撮らせている。


この時期の向井寛について渡辺護は次のように語っている。


山本晋也が『下落合焼き鳥ムービー』(79)をやるなんてことがあった頃だよね。その前後ですよ。(向井寛に)おれと山本晋也が呼ばれたんですよ。「ナベちゃん、何だろうね?」って、一緒に喫茶店に行った。そうしたら、会食の場所を用意してあるって。
あれはね、沖縄料理の店があるんですよ。そこでパーンとコースで接待されて、(頭を下げるジェスチャー)「年間2本撮ってくれ。ナベさんたちにどうしてもやってほしい」と。向井が東映でピンクの製作をやるにあたって、「渡辺護山本晋也に撮らせてくれ」と東映から注文があったそうですよ。
それは渡辺プロが東映と直接仕事できないようにする手でもあるわけだよ。山本晋也は製作やんないからね。向井はそこいらへんのとこは政治家なんですよ。それで(向井寛製作で)東映ピンクをやったわけですよ。
あとで、向井寛が言うんだよ。ナベちゃん、悪いけど、渡辺護じゃなくて……、って。向井寛の映画がなくちゃいけないんですよ、東映の作品の中にね。でも、あいつは自分じゃやる気がしない、製作だけやりたいから。それでおれは要するに……、あの、事実だけを話すようにしますよ。「ナベちゃん、とにかく、おれの名前で撮ってくれないか。ギャラ、アップする」と。で、金がね……金に弱いわけじゃないけど……いや、金に弱いわけだけど、早く言えば演出料が15万だったら、18万にするってことあるよね。向井は「倍にする」って言うんだよ、演出料をね。「本当?」って言って、引き受けた。それで(向井寛名義で)撮ったのが、『修道女 秘め事』(78)。
それでどんなふうに撮ったかというと、単に向井寛の名前でやるってことじゃなくて、向井寛の演出でやると。で、(撮影の)鈴木史郎と打ち合わせして、「向井ならどう撮ると思う?」なんて。向井ははったりかけてやるからさ、それでね、修道女の映画だろ? 館山で撮ったんだけど、畑仕事なんかやりながらさ、ミレーの晩鐘みたいな画をつくって、「これ、向井流だよなあ」なんつってやってたんだよ。そうやって、はったりのカットばっかり撮っていったんだよ。坂の上からさ、落下するとかね、杉佳代子が修道院の院長みたいな役で、彼女だけ白で、あとは全部黒でやったりしたんだけど。
主役は日野繭子で、十字架が首にかけてあって、それをバアーッとはずして捨てる芝居なんか、向井寛だったらさ――おれはそんな芝居させないけど――、なんとかかんとか!って叫んで、(十字架を)パッと印象的に叩きつけて、すうっと服を脱いでいく、と。向井流に撮ったんだよ。
で、なんかやってるうちに演出がこう、こみいってきて、いろいろ注文してるうちに、「何やってんだ、繭子!」なんて言っているうちに、「あれ? やっぱりちがうかなあ。鈴木ちゃんよ、これ、やぱり渡辺護演出になっちゃったなあ」って言ったら、鈴木史郎、おれの顔見て、「あったり前でしょ」。あれだけは笑っちゃったなあ。
それが評判よかったんだよね。「修道女の映画、あるでしょ? あれ、ナベさん、評判いいですよ」って、向井寛の弟が言うんだよ。「いや、あれ、もう知ってるひとは知っていますよ。あれはナベさんだって。いや、やっぱり、いいねって言ってますよ」って言うから、「……ああ、そう」って答えたよ。
そうしたら、向井がね、「どうもありがとう」って。おれも「向井ちゃんの名前でやったから、失敗できねえよなあ。向井寛の名前があるからさあ。それを傷つけちゃいけないから、骨折っちゃったよお」てなこと言ったんだよ。そうしたらさ、「ナベさん、ひとの名前だからどうでもいいってやつもいたからね」って言うんだよ。その前に(向井寛名義で)撮ったやつがいるんだよ(笑)。それがさあ、おれの映画じゃないから、手ぬいて撮ったって。
「ナベちゃん、どうもありがとう」って言ってたけど、感謝してねえよな、あいつは。ギャラは倍だと思ってるから力はいるよなあ。そりゃ、正直なところ。そうしたら、「いや、悪い。ナベさん、いろいろあってさ……」。5万円削られたかな。半端になっちゃった。そういうとこが汚いんだよ、あいつ。向井ちゃんの話は、大体そんなとこよ。


――(渡辺護の作品リストを見せながら)ユニバースプロってとこで撮ったのが、全部、向井寛のとこで撮ったことになるんですか? ここに書いてある『猟奇薔薇奴隷』(77)ってやつがシナリオが使えなかったやつですか?


これがまた、大変だったんだ。向井には金ものすごく請求していいよなあ。いや、おれは「金をことを言うと汚い」って親父に言われてたから、江戸っ子だからカッコつけてたけど、ずいぶん損してるね、おれ。



製作日記:70年代後半の向井寛とのつきあい・後編(2012年8月5日)


阿部桂一さんって脚本家ね、おれのホンを書くときは新井啓ってなってるけど、テレビでものすごく売れっ子のライターだったんだよ。五社英雄と組んで『トップ屋』(60)とか、『宮本武蔵』(61)とか、それから、『むしけら』(60)だったかな、芸術祭大賞を取ったライターだったんだけど、忙しいときから、おれはよく知ってるんですよ。
おれは前にも言ったけど、いろんなシナリオライターと交流があったんでね。阿部桂一さんとか、石森史郎とか、みんなピンク書くようになったのは、おれの紹介なんだよな。若ちゃんや向井寛、西原(儀一)さんも使ったりしたけど、みんな、おれの関係でピンクのホンを書いてるんですよ。
阿部桂一さんにしてみると、もう一応お年をめしてきて、隠居仕事として、テレビのホンよりピンクのホンの方がずっと面白いって言って書いてくれた。テレビで注文つけられるのよりずっと楽だってね。できたホンがいいホン、わるいホンってことじゃなくて、一本の映画にできるホンを書いてくるわけ。きちんと書いてくれるひとで、腕はたしかなんですよ。
おれとは非情に懇意でやってたんだけど、『猟奇薔薇奴隷』(77)くらいのときは、おれのホンを書いてたのはガイラなんかになってたかな……(注:この頃は主に高橋伴明が書いていた)、阿部さんに注文しなくなってきてるんですよ。阿部さんは向井寛の専属みたいになっていた。
阿部さんと喫茶店で打ち合わせするとね、若いやつがやってくるんだ。「誰? あのでっかいの」と訊いたら、「おれの息子だ」ってね。おこづかいをもらいにきてたのかな、阿部さんは長男をすごいかわいがってたんですよ。
それがラグビーやってたんですよ、早稲田でね。ところがねえ、ラグビーでケガして植物人間になっちゃったんですよ。で、病院にはいって金がかかって、妹さんが女子大やめて働くようになって、奥さんも働くようになって……っていうところまで行っちゃったらしいんだよ。
息子が植物人間になっちゃったわけだから、もうショックなわけだよなあ。そりゃそうだよ、阿部さん、ホン書くどころじゃないですよ。それなのに、(向井寛は)阿部さんに(『猟奇薔薇奴隷』の)ホン書かしてるわけだよ。で、阿部さんが書いてきたホン、とっときゃよかったけど、もうメチャクチャよ。脚本になってないんだよ。
だから、おれ、向井に言ったんだよ。「もう、これ、阿部さんに書かすのは無理だよ。この仕事はダメだよ」。そうしたら、向井が「いや、ナベさん、スケジュールはいっちゃってるし、それと、ナベさん、こういうときだからこそね、阿部さん、ホン書いて仕事しなきゃダメだ。やらすんだ。やらせないとダメなんだ」。でも、おれはとってもこれ以上、ホンの注文はできないと。そういう状況で撮ったやつです。
そのときの助監督が原一男だよ。あいつがチーフで、「おい、ちょっと原、お前書けるか」みたいなこと言って、大体ストーリーを話して書かしたら、「できました!」って持ってきたけど、全然ホンになってないんだよ。「何やってんだ、お前。脚本になってないじゃないか」「いや、監督の言うとおりに書きましたよ」って言うから、あいつ、脚本知らないんだな(笑)。行き行きて神軍だから、全然ちがう次元の人間なんだよ。それで笑っちゃったんだけど。
で、「よし、分かった!」って、ストーリーをざーっと(自分で書くことにした)。売春宿にしちゃったんだよ、館山の旅館を。で、おれはそれを頭に入れて、『輪舞』じゃないけど、いろんな話つっこんじゃってかまわないような話にしちゃったわけだよ。いろんな売春の過去を思い起こして回想で進んでいくって、とにかくね、そういうことにして、頭の中で構成たてて、一晩で書くと。
それで実景とか撮れるとこあるよね。初日はパッとそれだけ撮って、「今日は休み!」。で、一晩で書くから、明日からの脚本、一晩で書くから、と。で、休みにしたんだ。「なあ、みんな、酒飲んで寝てくれ。明日から大変だから」って言ってるとこに……、おい、なんか知らないけど、山本晋也が館山まで来たんだよ。「ナベちゃん、がんばってるー?」って。あいつ、いいときもあるけど、余計なときに来て、そうしたら脚本かけなくなっちゃったんだよ。余計なときにきやがったなあ、なんて思ってるのに、「あーっ、山本カントク!」なんてスタッフが言うもんだからさ、楽しくなっちゃって、わああーっと酒飲んでさ。で、脚本なんか書けないさ。さあ、まいったなあ、と思って。でも、あのとき、山本晋也、何で来たのかな? 「ナベさん、どうすんだろう?」って興味があったのかなあ。


――じゃあ、全然シナリオなしで、メモ書きだけで撮っていったんですか?


そう。(飲み会は)これにて解散ってことにして、おれひとりになったときに、もう脚本なんてもんじゃない。ここで大体こういう台詞を言わせる、ここで大体こういう台詞を言わせる……みたいなことで、その秒数だけ、あとで台詞を(書いて)入れりゃあいい。
あくる日はどうやって撮ったかというと……、砂丘だよ、『少女を縛る!』(78)のラストを撮ったあそこの場所で撮ってさ。砂丘の上を歩く男と女。で、タバコをくわえるアップ。で、また歩く。タバコを砂丘に刺して、それのアップ。そうやって撮ったんだよ。で、それに合わせて台詞を書いたんだよ、あとで。


――じゃあ、ほとんどナレーションで話が進む――


ナレーションじゃない、台詞なんだよ(笑)。タバコ吸ってふっと後ろ姿になったところで台詞がはいるみたいな。そのときさ、志賀(葉一)ちゃんがキャメラ助手だったんだよ。キャメラが岡ちゃんで、助手だったんだな。あとで言ってたよ。「あれは不思議な撮り方をしてましたね、渡辺さん」って。
で、とにかく撮ったんだよ。話の中身なんかかまやしねえよって、そういうふうにして撮ったわけよ。で、ここでベッドシーン延々とまわしちゃえって……。早く言えば、例をあげればね、女を縛りつけて、お客がうまそうなもの食ってセックスしたりするところを見せるわけよ、その女に。もう脚本なんかねえんだよ。それを延々撮って、で、お客が(縄をほどいて)女を放すんだよ。そうすっと、女は腹へってるから、ガツガツめし食って、そんでセックスしたくてバンバンやって、ベッドシーンばっかりバーンと撮ったんだよ。それで「フィルムどれくらいまわった?」「何本まわりました」「あと10本かあ」みたいな話だよ。で、そんな感じで撮っちゃったんだよ。
映画のストーリーはアタマからケツまで一本通ったものがないんだよ。一つ一つのエピソードを映画にして……。でも、一番最後に決めたのは、女が「わたしを抱いて」って、赤いパンティだけの女と男が抱き合って。で、その女がいい女なんだよ。ひとを憎んで殺した男がいるんだけど、砂丘でそいつを抱いてやるとさ、マリアさまの像が映ってエンドマーク、ってやったんだけど、おれだって分かんないよ、何のためにそうやってんのか。こうやりゃ、画的にいいだろうってことだけで。いい女だからマリアさまだろうって……、だから、きちがい映画なんだよ。
そうしたら、それがさ、分かんないって言うんだよ。向井がさ、「東映が分かんないって言うんだよね、ちょっとナベちゃん、おれにつきあってくれる?」って。それ、向井と一緒に見たよ。そのときにおれが言った台詞がすごいよ。「この映画、分かるわけないよ。おれだって分かんないんだから」。えーッ! あのときの向井の「えーッ!」って顔、忘れられないな。でも、やっぱり監督同士だよな。見終わったら、(親指を突き出して)「グー! ナベさん、(東映には)文句言わせないよ」。握手したよ。
で、商売になったんだよ。それは。そりゃ、映像的にはったりかけて、それこそ向井の演出だよ、早くいやあ。「こんなもん、鼻毛抜きながらでも撮れるんだよ、向井ちゃん」なんて言ったけど、本当はそうじゃない。帰りのときはマイクロバスの中で胃痙攣おこしちゃったよ。(胃のあたりをおさえて)ああ、終わった、って感じで帰ってきたんだよ。殺されるとこだったよ。
ありゃ、カンだなあ、現場の。トンビが飛んでたから、「あのトンビ撮っといて」。で、女がぱあっと見上げて、それでその場で芝居をいろいろ組んで。女がふらふらあっと砂丘歩いて、画的には実にいい画を、向井好みの画をね。そうしたら、(向井が)「見事なもんだよ。(東映には)文句言わせないよ」。
で、ヒットしちゃったんだよ。ヒットしたから続編をつくってくれと言われちゃったんだよ。続編があるはずですよ。


――(作品リストを見せて)ここに『猟奇責め化粧』(77)ってありますね。


いや、そうじゃないなあ。猟奇ってついてるの、他にもある?


井川:あと、ここにもありますね。『猟奇薔薇地獄』(79)。


ちがうなあ。……「猟奇薔薇屋敷」だよ、たしか。


――「猟奇薔薇屋敷」ってのはリストにないですね。『猟奇薔薇奴隷』の翌年に撮っているのが、『猟奇責め化粧』です(注:『猟奇薔薇奴隷』は77年1月公開なので、76年に撮影していると思われる)。


『猟奇薔薇地獄』は?


――『猟奇薔薇奴隷』公開の二年後に撮ってます。


「猟奇薔薇屋敷」じゃないのか。じゃあ、「猟奇薔薇屋敷」ってどんな映画なんだろね? ……もう疲れちゃったよ。これで分かったろ、向井寛ってどんな人間か。



製作日記:向井寛についての話・補足(2012年8月6日)


渡辺さんの話はよく脱線する。脱線したまま、本筋に戻らないことがある。
直接、話を聞いているときにはそれでもかまわないのだけれども、ドキュメンタリーとして見せるとなると、かなり問題だ。
見る人に話の流れが分かるように、整理しないといけない。
しかし、整理しすぎると、渡辺さんの語りの面白さが失われてしまうので、これまた注意が必要だ。


実を言うと、三回に分けて、ここに載せた向井寛についての話も脱線部分を端折っている。
そこで、補足として話の断片をいくつか載せておきたい。


1.『蛇と女奴隷』について


監督・向井寛、脚本・大和屋竺の『蛇と女奴隷』についての話は以下のとおり。


――向井寛が『蛇と女奴隷』(76)を撮りますよね。あのとき、主役やらないかって話があったってことでしたが。


(向井が)主役やんないかって言ってきたんだよ。主役って、そんなことできるかって。山下洵一郎がやった役だよ。読んだときはいいホンでねえ。あれ出なくてよかったよ。


――大和屋さんが『蛇と女奴隷』のシナリオを書いてますよね。シナリオ集をつくるときに、『蛇と女奴隷』を探したんだけど、もうバラバラで部分しか残ってなくて、完全なのがないんですよ。シナリオ直して撮ったらしくて、完全なのがないんです。


シナリオ直して撮ったっていうよりねえ、(完成した映画を)見たらねえ……、向井ちゃん、何考えてんだろう? あれだけの脚本書いてもらってだね、なんでね……。
おれはね、向井ちゃんがおかしいと思ったのはね、クラブのママが主演の……(『おんな6丁目 蜜の味』(82))、一般映画ですよね。上原謙が出たんですから。で、そういうチャンスがあるときにね、東映の監督たちがさ、顔色を変えるくらいの映画をなんで撮らないんだ、と。おれは思ったんですよ、本当のこと。だから、話にならない。鈴木史郎がまわしてるんだけどね、話にならない映画ですよ。(このあと、映画界の裏事情が語られるのだが、カットする)


――『蛇と女奴隷』のシナリオは覚えてますか?


いやあ、覚えてるかって、覚えてないけど……、いいホンだったですよ。ところが結局、権力があって、それに反逆するっていう、これまたずいぶんと古めかしい話で全部向井流で直しちゃってるんだけど、映画になったら、もう大和屋竺の脚本ではまるでなくなってたよ。画はすごいですよ、(撮影の)鈴木史郎が凝って。だけど、話はみんな、大和屋の話がすっとんじゃってるもんね。
いやあ、あの脚本、とっときたかったよ。おれが自分でそのまま撮ってもね、向井寛とはちがうものになってたと思う。パクリでもなんでもない、むしろ大和屋の作品としておれは撮りたかったですよ。惜しいですよ。いいホンだったですよ。
大和屋ちゃん、よく怒らなかったなあって。大和屋ちゃん、あれだけ優秀なホン書いて、パッパッあんなふうに撮られて腹立たなかったかなあ。おれは『夜のひとで』のとき、大和屋に「ナベさん、甘い」って言われたけどね。おれは甘いんだよ。甘い男だからさ、大和屋さんみたいに女に冷酷じゃないからよお、ってなもんだよ。『裏切りの季節』で女を吊るしてさ、いじめにいじめぬいてるけどさ、大和屋は。おれ、できないよ。緊縛もの、撮ってるけどさ、あれ、商売だもん。


2.『男女和合術』の頃


以下の話は、渡辺さんが『男女和合術』(72)を撮った頃の話。


国映で撮るってなったときに、お正月作品を撮るってことになったときに、そのときに笑っちゃう話があってね。
向井ちゃんが(国映の事務所に)来て、「一本撮らしてくれ」と。向井ちゃん、そのとき、おれから比べると、落ちてるときだったんですよ。そうしたら、専務が「いや、ナベさんに頼んでるから、予定がない」って言ったら、ぱあって涙流してね、「長いつきあいで、さみしいよ、それは」って向井が泣いたって言うんだよね。
「それ見るとさ、ナベちゃん、悪いけど、(正月作品を)向井に譲ってくれない? この次、ナベさんにやってもらうから」。国映の専務がそう言うもんだから、おれが怒っちゃうよなあ。やるって言って、スタッフが待機してるものを、そういうことだから、ダメになっちゃったって、おれはいえない性格なんだよ。
「よし、分かった」って言って、そのとき、おれ、強かったから、大蔵の常務に「今日、ムーランルージュで、キャバレーで、パアッといきますか」っつたら、「ああ、そう。いいの?」なんつって。「そのかわり、これ、頼むわ」(脚本を渡すジェスチャー)って言ったら、「ああ、いいよ。撮って」。(大蔵の常務は)脚本も読まないうちからOKして、で、撮りましたよ。それが、『男女和合術』。これがねえ、いいんだよ。『夜のひとで』(のリメイクみたいなもの)なんだよ。のって撮ったっすよ、鈴木史郎が。
そうしたら、どうなったかって……、向井寛がさ、ちっとも準備もしないし、脚本も提出しないってわけですよ。お金だけ持って、製作に入らないっていうんだな。(国映の専務が)「間に合わないから、ナベさん、あれ撮ってくんないかな」って言うから、「ダメだよ、あれ、大蔵で入ることになっちゃったんだから」「えーッ! もう大蔵で決まっちゃったの?」「決まったよ。そりゃ、スタッフ用意してんだもん」「えーッ!」ってことがあったんですよ。
そのあとは、(国映の)お姉も知ってるよ。喫茶店で向井と話してたんですよ。そうしたら、「ナベちゃん、しゃがんで!」。窓際でお茶を飲んでたら、急に「ナベちゃん、しゃがんで!」。何でしゃがむんだよ。分かんねえけど、しゃがんだら、そうしたら、その前、すーっと国映の専務が通ってくんだよ。向井を探し歩いてんですよ、専務が(笑)。
よく、まあ、向井ちゃんって生き抜いてきたよねえ。図太いっていうかさあ……。


――結局、向井寛は撮ったんですか?


いや、国映では撮ったんですよ。どんなものかは知らないけど。全然無視だよ、その頃は。向井と話をしても、「ナベちゃん、うちで撮ってくれる?」みたいな話だったからね。


注:このとき、向井寛が撮った作品は何だったのか? 『月刊成人映画』第72号(1972年新春特別号)を開いてみると、巻頭特集が「渡辺護監督「エロ事師」でポルノへ果たし状 話題の新作『男女和合術』下田ロケ・ルポ」となっている(p3〜p7)。さらに見ていくと、新作紹介欄のp11に『好色エロ坊主』(監督=宗豊、国映配給)とある。向井寛が撮った作品はこれだと思われる。

参考資料:大和屋竺『おんな地獄唄 尺八弁天』シナリオと渡辺護による直し(シーン48〜シーン56)


大和屋竺のシナリオ)
48 本多邸・応接間
  ソファにゆったりとくつろいでいる本多。
本多「ごろつきどもとは相変らずつき合っているのか?」
  「むろん」
  答えた男はセイガクである。
本多「お役目とは云え、御苦労なことだ。所で君に来て貰ったのは、私の工場にさいきん不穏な動きがめだってきておるので、その背後関係を洗って欲しいのだ。出来ることなら、めぼしい人物を突きとめて消して貰いたい」
セイガク「危険分子の動きは大体察知しております」
本多「どの程度のものかね」
セイガク「爆弾を使用して工場を爆破する位は朝飯前……」
本多「本当かね」
セイガク「個人テロを企む者もかなりいます」
本多「(不安に笑い)……じつはその個人テロのなり損いで、君にも序でに頼みたい事があるんだよ」
セイガク「分ってます」
本多「ほう」
セイガク「弁天のお加代」
本多「どうしてそれを?」
セイガク「この耳は地獄耳ですぜ」
本多「弁天というのは本当は何者かね。無政府主義者かね」
セイガク「かもしれねえ」
本多「えっ?」
セイガク「ハハハ……」
  ゲラゲラと可笑しそうに笑う。


渡辺護の直し)
48 本多邸・応接間
  ソファにゆったりとくつろいでいる本多。
本多「弁天の始末は?」
  「つきました。この通りで」
  答えたのはセイガク。
  切り取った髪の束を手渡す。
本多「フム……」
セイガク「首根っこに一発。倒れた所を側へ寄って胸乳に二発。それで仏になりました」
本多「よくやった」
  本多、髪の匂いを嗅ぎ、踏みにじる。
本多「出来ることなら、背中の皮をはいでもってきて貰うんだったな。見事な彫り物だそうだ」
セイガク「へえ……そうでしたか」
本多「知らなかったのか?」
セイガク「一向に……」
本多「残念なことをしたな」
  本多、札束を手渡す。
セイガク「何しろあっしは犬ですから。色メもきかねえ盲ら犬で」
本多「その犬の鼻を少しきかせて貰いたい。私の工場にさいきん不穏な動きがめだってきておるのでな」
セイガク「危険分子の動きは大体察知しております」
本多「どの程度のものかね」
セイガク「爆弾で工場を爆破する位は朝飯前……」
本多「本当かね」
セイガク「個人テロを企む者もかなりいます」
本多「(不安に笑い)弁天の加代も考えようによってはその類いだったかな」
セイガク「かもしれねえ。ハハハ……」
  ゲラゲラと可笑しそうに笑う。


大和屋竺のシナリオ)
49 町の通り
  スタスタと歩いている加代。
  物陰にひそみ、息を殺してドスを抱いている銀次。
  ダッと突きかかる。
銀次「貰った!」
  バシュッ――。
  加代、身を沈め、すいと抜けて後も見ずに歩いてゆく。
  銀次、割られた胴から血をドッと吹き出して倒れる。


渡辺護の直し)
シーン49の直しはなし


大和屋竺のシナリオ)
50 本多邸・応接間
  汗をしきりに拭う本多。
本多「で、その、南部機関というのは?」
セイガク「貧民にまで根をおろした諜報機関……とだけ云っておきましょう。ところでこの末端に生きる者はただ地獄耳を持っているだけじゃない……」
  セイガク、いきなり尺八をとり出し吹き出す。
本多「……」
  呆っ気にとられてみつめる。
  普化宗の荘重な調べ、陰々とひびきわたる


渡辺護の直し)
50 本多邸・応接間
  汗をしきりに拭う本多。
本多「相変らずごろつき共とつき合っているのかね?」
セイガク「むろん。ところでこの末端に生きる者はただ地獄耳を持っているだけじゃない……」
セイガク「一匹……フフフ……」
  セイガク、呟いて笑う。
  本多、けげんそうに、
本多「どうした?」
セイガク「なあに、ドジな長虫のこってす」
  本多、しきりに汗をぬぐう。
本多「今夜は蒸すな」
セイガク「全くで。おまけにあの犬の遠吠えだ」
本多「(耳をすます)きこえんが」
セイガク「(笑う)旦那にはきこえねえ。そりゃそうさ」
本多「……」
セイガク「ひとつこっちも吠えてやろう」
  セイガク、いきなり尺八をとり出し吹き出す。
本多「……」
  呆っ気にとられてみつめる。
  普化宗の荘重な調べ、陰々とひびきわたる


大和屋竺のシナリオ)
51 夜の道
  夜空を仰ぐ弁天の加代。
加代「ああそこだね。今行きますともさ、吉祥天のお人……」


渡辺護の直し)
シーン51の直しはなし


大和屋竺のシナリオ)
52 土蔵の中
伝八「頑張れ。もっとこっち……そうだ、もうちょっと……」
  不自由なからだを芋虫のようにもだえて、歯を使い、さよの縄目を解いている伝八。
さよ「私も入れるんだ……お姐さんみたいにきれいな刺青を……背中にねッ」
伝八「く……そら、解けたぜ、おさよちゃん」


渡辺護の直し)
シーン52の伝八の台詞をカット。


大和屋竺のシナリオ)
53 廓・土蔵の前
  嘉助の頬をヒタヒタ打つ白刃。
嘉助「えええ……」
  嘉助、腰を抜かす。
加代「開けな」
  嘉助、ブルブル震えて錠前を外す。
  中へ追いこむ加代。


渡辺護の直し)
53 廓・土蔵の前
  嘉助の頬をヒタヒタ打つ白刃。
  嘉助、腰を抜かす。
加代「足を刈りとってやろうか。二度と人買いの出来ないように」
嘉助「助けてくれ!」
加代「足がなくても這って行く?」
嘉助「この通りだ!」
  拝む。
加代「開けな」
  嘉助、ブルブル震えて錠前を外す。
  中へ追いこむ加代。


大和屋竺のシナリオ)
54 同・中
  半ばの縄をじぶんたちで解いた二人。
伝八「誰でえっ! おう、弁天の!」
さよ「お姐さん!」
  さよ、しがみつく。
加代「さよちゃん!」
伝八「姐御。頼む! 俺に、盃をくれ」
加代「三ン下。このこを頼んだよ」
  ポイと分厚い財布を伝八に投げる。
  嘉助、ウアアア……と叫んでとび出し、逃げてゆく。
伝八「姐御……」
  笛の音が近い。


渡辺護の直し)
54 同・中
  半ばの縄をじぶんたちで解いた二人。
伝八「おう、弁天の!」
さよ「お姐さん!」
  加代、背を向けてこらえる。
加代「おさよちゃん。ね。こうなんだよ。私っていう極道のやることったら……許しとくれね」
さよ「お姐さん……」
加代「もう呼んじゃいけない。お姐さんなんて」
さよ「いや!」
加代「私はただ拾い物を届けにきただけ」
  加代、かんざしを落とす。
  笛の音が近い。


大和屋竺のシナリオ)
55 応接間
  尺八を吹きやむセイガク。
セイガク「本多の旦那。そういう犬みてえな野郎がいたんだよ。その諜報何とやらのな」
本多「……な、なに?」
セイガク「俺あそいつをぶち殺してやったんだ。そして身代りをやったのさ。ずい分昔の話だが」
本多「き、き、貴様……誰だ?!」
セイガク「俺? 俺あ俺だ。流れ者の俺だ。人殺しの俺、悪道の俺……」
  セイガク、南部式軍用拳銃をひき抜く。
本多「ゲッ……」
  外で、
嘉助「大変だあッ……来る! 来る! こっちへ来る!」
セイガク「俺あもう、てめえに飼われる犬じゃねえ」
  ピタリ、本多の胸板を狙う。


渡辺護の直し)
55 応接間
  尺八を吹きやむセイガク。
セイガク「本多の旦那。永えつき合いだったな」
本多「なにを云うんだ今更。ま、今後とも宜しく頼んだぞ。君の様な有能な……」
セイガク「犬! その犬の餌は今日限りにして貰いてえ」
本多「な、なに?」
セイガク「旦那の背中には何が彫ってあるんだ?」
本多「……」
セイガク「何も? まっ白だ? へえ……そいつあいいや。なめして的に使わせて貰おうか」
  セイガク、南部式軍用拳銃をひき抜く。
本多「ゲッ……」
  外で、
嘉助「大変だあッ……来る! 来る! こっちへ来る!」
  ピタリ、本多の胸板を狙う。


大和屋竺のシナリオ)
56 本多邸・庭内
  屁っぴり腰で刀を突き出す一同を尻めに、加代、
加代「引っこんで下さい! この家の主人に用です!」
  「だあッ!」
  二三人、束になってかかり、忽ち倒される。
  血しぶき浴びて立つ加代。
  屋内に銃声が何発も轟く。
加代「アッ……」
  中へ駈けこむ加代。
加代「ちきしょう……」
  本多、朱に染まって倒れている。
加代「どこにいるのよ、あんた!」
  「逃がすな!」
  どっとと追いかける稲荷の乾分たち。
  加代、懐刀を振るいバタバタ倒す。
加代「出てこないか吉祥天のお人! 私のせなをお忘れかえ?!」
  加代、虚しくなり、危うくなる。
稲荷「叩っきれ! それ押せ!」
  銃声がその度に響いて乾分たちがコロコロ倒れる。
セイガク「おい、弁天。もう呼ばねえでくれ」
  硝煙にまぎれて、尺八を握ったセイガク、ちらと加代の前に現れる。
加代「あんた!」
  尺八が密集する乾分たちの頭上で爆発する。
  何も見えなくなる。


渡辺護の直し)
56 本多邸・庭内
  屁っぴり腰で刀を突き出す一同を尻めに、加代、
  二三人、束になってかかり、忽ち倒される。
  血しぶき浴びて立つ加代。
  屋内に銃声が轟く。
加代「アッ……」
  どっとと追いかける稲荷の乾分たち。
  加代、懐刀を振るいバタバタ倒す。
加代「出てこないか吉祥天のお人! 私のせなをお忘れかえ?!」
  加代、虚しくなり、危うくなる。
稲荷「叩っきれ! それ押せ!」
  銃声がその度に響いて乾分たちがコロコロ倒れる。
  吹きとばされた本多、セイガクに追いまくられて出てくる。
本多「頼む!」
稲荷「てめえ! 一宿一飯の恩を忘れやがったのか!」
セイガク「ああ、忘れた」
  ヤロウ! つっかかる乾分にドカッと火が吹く。
セイガク「弁天! 存分にやんな」
  本多、蹴りとばされる。
加代「恩にきるよ吉祥天のお人!」
  本多、ギラリ、白刃を握り立つ。
  この対決を巡り、稲荷一家との立ち回り、セイガクの弾丸の尽きるサスペンス等、よろしくあって――
  本多、血煙を上げて倒れる。
セイガク「おい、弁天。もう呼ばねえでくれ」
  硝煙にまぎれて、尺八を握ったセイガク、ちらと加代の前に現れる。
加代「あんた!」
  尺八が密集する乾分たちの頭上で爆発する。
  何も見えなくなる。

『男ごろし 極悪弁天』から『おんな地獄唄 尺八弁天』へ(4)(井川耕一郎)


だらだら書いてきたこの覚え書きもそろそろ終わらせようと思う。
そこで最後の回は、渡辺護さんが撮影で使用したシナリオを手がかりに、『尺八弁天』の創作の現場にちょっとでも近づいてみたいと思う。


私たちは映画の面白さについて書くときに、ある一人の作者(たいていは監督)がその面白さをねらってつくったのだというふうに論じてしまう。
そういう論じ方に慣れているし、分かりやすいからだ。
しかし、この論じ方だと、作者が全知全能の神さまみたいになってしまい、現実の創作の現場から遠ざかってしまう。


この覚え書きを書くにあたって、私は三つの固有名詞(渡辺護大和屋竺、『極悪弁天』)をあげて、一人の作者を設定しないように注意してきた。
『極悪弁天』と『尺八弁天』の関係についてはある程度詳しく見てきた。
となると、気になってくるのは、『尺八弁天』の創作の現場で、渡辺護大和屋竺がどのように作業分担をしたのかということである。
だが、この問に迫っていくのはなかなか難しい。渡辺さんに質問をすれば、それでなんとかなるというわけでもなさそうなのだ。


渡辺さんは、弁天の刺青と吉祥天の刺青が互いに引き合うというアイデアは、シナリオの打ち合わせのときに大和屋竺から出たものだ、と語っている。
渡辺さんは嘘をつこうなんて考えてはいないはずである。けれども、事実を単純化して語っているぶんだけ、話が嘘になっている。
打ち合わせのとき、渡辺さんはいつものように脱線し、時代劇のこと(伊藤大輔山中貞雄など)をしゃべりまくったという。
大和屋さんも渡辺さんの話を面白がっていたようで、マキノ雅裕のことを熱心に聞いたらしい。


となると、打ち合わせのときに、『丹下左膳』が話題になってもおかしくはない。
二人とも伊藤大輔が撮ったもの(『新版大岡政談』、『丹下左膳』)は見てなかっただろうが、マキノ雅裕が56年に撮った『丹下左膳』は見ていたはずだ。
だとしたら、刺青が互いに引き合うというアイデアは、『丹下左膳』に出てくる二つの妖刀、乾雲・坤龍をヒントにしていると考えられないだろうか。
つまり、大和屋竺は単独で刺青のアイデアを思いついたわけではなく、渡辺護の中にある映画の記憶を活用しながら発想したということになる。


渡辺さんは19年前のインタビュー「『おんな地獄唄 尺八弁天』を撮り終えたくなかった」(『ジライヤ別冊 大和屋竺』)の中でこんなふうに語っている。


「物語の後半、弁天の加代が囚われの身の少女を助けに行き、蝮の銀次ってヤクザを切る。セイガクには離れたところにいるのにそれが分かるんだよね。「蝮が一匹……」と言って尺八を吹く。すると、今度は弁天が「ああ、そこだね、今行きますともさ、吉祥天のお人……」と言う。遠く離れているのに気持ちが通じ合ってしまうというのかな。ああいうところが大和屋ですよ。大和屋ちゃんは普段は難しいことを言うけれど、本当は超ロマンチストなんだよね」


実はここにも嘘がある。
渡辺さんが撮影で使ったシナリオを読んでみると、「蝮が一匹……」にあたる台詞は印刷された部分の中にはない。
この台詞はシナリオ上部の余白に書かれた書きこみの中にある(正確には「蝮が一匹……」ではなく、「一匹……フフフ……」なのだが)。
「一匹……フフフ……」は、大和屋竺ではなく、渡辺護の創作なのだ。
だが、興味深いのは、渡辺さんが「遠く離れているのに気持ちが通じ合ってしまうというのかな。ああいうところが大和屋ですよ」と言っていることだ。
渡辺さんは大和屋の創作だと本気で思いこんでいるようなのである。
これは一体、どう受け取ったらいいのだろうか。


『極悪弁天』のシナリオの書きこみと、『尺八弁天』のシナリオのそれとを比べてみると、いくつか興味深いちがいを見つけることができる。
『極悪弁天』のシナリオには、定規を使ってカット割りが書かれている。渡辺さんにしては珍しいことだ(たいていは、定規など使わず、大急ぎで線を引っぱっている感じ)。
それに、芝居の大幅な書き直しがまったくない。いくつかの台詞を書き直したり、カットしたりしているだけである。
これに対して、『尺八弁天』は、芝居の書き直しが多い。正確に言うと、セイガクが本多と会う後半(シーン48以後)から、芝居の書き直しが急に増えてくるのである。


『極悪弁天』を撮るとき、渡辺さんは自分の仕事を「このシナリオをどうやって画にするか」というふうに規定していたのだろう。
つまり、渡辺護石森史郎の間では、作業分担がはっきりしていたと言える。
しかし、『尺八弁天』では、監督−脚本家の境界が、不安定というか溶解してしまっている。
これは、渡辺さんが大和屋竺のシナリオにのっていなかったということではないだろう。
渡辺さんは、「大和屋ちゃんの書いてきたシナリオを読んだときにはふるえたね」と言っているくらいなのだから。
たぶん、渡辺護大和屋竺の『尺八弁天』から刺激を受けて、「もっと面白くならないか」「もっとすごいものにならないか」という思いに衝き動かされていたにちがいない。
ただし、ここで注意すべきなのは、渡辺さんが「おれ流」に大和屋竺の芝居を書き直したとはかならずしも言えないことだ。


阿部嘉昭さんは、『私説・日本映画の60年代 68年の女を探して』(論創社)の中で『尺八弁天』を論じている(第5章「分身、そして「性交は見えない」ということについて」)。
とてもすぐれた論考なのだけれども、p145にこんなことが書いてある。


「弁天の加代がさよの救出のため、本多邸の蔵に入ってくるシーンがあったでしょう。そのとき彼女は人買いの嘉助にこう宣言する――《足を叩き斬ってやろうか?――二度と人買いができないように――足がなくても這ってゆくか?》。この科白、『四谷怪談民谷伊右衛門の「首が飛んでも動いてみせるわ」という名科白の、たぶん大和屋的変型です。むろんこの伊右衛門の科白は大和屋が好きだった花田清輝が頻繁に引用していた科白であったから、大和屋はその科白で鶴屋南北のみでなく花田の幻をもまた、画面に呼びだそうとしたのかもしれません」


ところが、シナリオを読んでみると、阿部さんが言及している加代の台詞は大和屋竺ではなく、渡辺護が書いていることが分かる(シナリオの余白に書かれた台詞は、正確には「足を刈りとってやろうか。二度と人買いの出来ないように」「足がなくても這って行く?」)。
しかし、この台詞が大和屋らしいこともたしかなのだ。


(注:阿部嘉昭さんの論考が事実とちがっていても、別に価値が下がるわけではない。そもそも、評論とは、新たな視点で作品を見たらどうなるのかを書くものではないだろうか。そういう意味で、『尺八弁天』を『四谷怪談』や花田清輝と結びつける阿部さんの見解は興味深いものだと言える。それに、阿部さんの評論には、実際の作品を論じているというより、この世に存在しない作品を論じているような不思議な面白さが常にある。阿部さんの評論は未来の表現のためにあるものなのだ)


渡辺さんは向井寛の名前で『修道女―秘め事―』(78)を撮るとき、向井寛ふうに演出したと言っている。
また、初めてコメディーを撮ったとき(たしか、『セックス作戦 色の道乱入』(70))のことをふりかえって、山本晋也のコメディーをやってみたかった、と回想している。
小水一男の緊縛ものの脚本については、「女の体は権力より強いがテーマだった」と語っている。だとしたら、『激撮! 日本の緊縛』(80)、『暴行性犯罪史 処刑』(82)などは、若松プロふうの反権力ピンクを撮ってみたということになるのではないか。
つまり、『尺八弁天』の直しについては、こういうふうに考えてみてはどうだろうか――渡辺護大和屋竺を演じるようにしてシナリオの直しを書いた、と。


渡辺さんは「『おんな地獄唄 尺八弁天』を撮り終えたくなかった」の中で、「『尺八弁天』はおれへのラブレターですよ」と言っている。
とするなら、渡辺さんの直しは、「大和屋へのラブレター」というふうにも読めるのではないだろうか。
渡辺さんは大和屋竺の才能を高く評価していたし、愛していたから、大和屋になりきって直しを書いた。
その結果、渡辺さんの記憶の中では、自分と大和屋竺の境目がなくなってしまった。
それで、自分の書いた直しについて「ああいうところが大和屋ですよ」と言ってしまったのだろう。


長くなってしまった。そろそろ、この覚え書きも終わらせるべきだろう。
最後に参考資料して、シーン48からシーン56までの大和屋竺のシナリオと、渡辺護の直しを載せておきたい。
この資料から、『尺八弁天』の創作の現場をほんの少しでも感じ取ってもらえたら、うれしいのだけれども。


参考資料はこちら→
http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20130206/p2