「渡辺護自伝的ドキュメンタリー(全10部)」第7部〜第10部について(井川耕一郎)


渡辺護が助監督としてついた南部泰三『殺された女』(64)の現場の写真)



第7部『渡辺護が語る自作解説 緊縛ものを撮る(三) 権力者の肖像』(30分)
第7部で主に話題となる作品は日野繭子主演の『聖処女縛り』(79)。渡辺護によれば、『谷ナオミ 縛る!』(77)あたりから始まった緊縛ものというジャンルをつくりだす試みは、この作品で一区切りついたという。
また、『聖処女縛り』では、鶴岡八郎演じる特高の刑事を通して権力者の愚かさ、あわれさを描いたとも言い、モデルとなったある人物についても言及している。
第7部後半で語られるのは、80年代以後の緊縛ものについて。『激撮!日本の緊縛』(80)など、小水一男脚本で撮った緊縛ものの特徴について自己分析をしている。


第8部『渡辺護が語る自作解説 事件ものを撮る』(30分)
ある事件が世間を騒がせている間にさっさと映画にしてしまうというのは、ピンク映画が得意とするものだった。渡辺護もそうした事件ものを撮っているが、彼を衝き動かしていたものは「これは商売になる!」という勘だけではなかった。事件ものの背後には、人間に対するまっとうな関心があった。
第8部で取り上げる作品は、大久保清事件の『日本セックス縦断 東日本篇』(70)、大阪「クラブ・ジュン」ホステス強姦殺人事件の『十六才 愛と性の遍歴』(73)、勝田清孝事件の『連続殺人鬼 冷血』(84)の三本。
この他にも、渡辺護は女子高生誘拐監禁事件の『16歳の経験』(70)、立教助教授教え子殺人事件の『女子大生性愛図』(74)といった事件ものを撮っている。


第9部『渡辺護が語る自作解説 新人女優を撮る』(30分)
「スクリーンに演技力など映らない。映るのは存在感だけだ」と渡辺護はよく言っていたが、この言葉は魅力的な新人女優を撮ったときの経験に基づいている。
第9部で言及される主な作品は、東てる美の『禁断性愛の詩』(75)、美保純の『制服処女の痛み』(81)、『セーラー服色情飼育』(82)の三本。渡辺護が新人女優を撮るよろこびを時にあきれてしまうくらい生き生きと語っている。
渡辺護の新人女優に対するこだわりは、監督第二作『紅壺』(65)から始まる。おそらく、主演の真山ひとみを撮っているときに感じた恋愛感情すれすれのよろこびがいつまでも忘れられなかったのではないだろうか。


第10部『渡辺護が語るピンク映画史(補足) すべて消えゆく ピンク映画1964−1968』
当初、第10部は初期作品の自作解説篇とする予定だったのだが、ラッシュを見直すうち、考えが変わった。渡辺さんは自作よりも初期のピンク映画の現場にいたひとたちについて語りたかったのではないか……と思えてきたのだ。
第10部で、渡辺護は助監督時代、新人監督時代に出会ったひとたちのことを語っている。南部泰三、関喜誉仁、竹野治夫、遠藤精一、栗原幸治、山下治――彼らは、若松孝二、向井寛、山本晋也といったひとたちと比べると、ピンク映画史的にはそれほど重要ではないかもしれない。けれども、彼らが現場にいて働いていたことは事実なのだ。
すべては消えゆくかもしれないが、渡辺護はそれに逆らうようにして自分の体が記憶していることを語っている。


出演・語り:渡辺護
製作:渡辺護、北岡稔美、撮影:松本岳大、井川耕一郎、録音:光地拓郎、編集:北岡稔美、構成補:矢部真弓、高橋淳、構成:井川耕一郎
協力:渡辺典子、新東宝映画株式会社
太田耕耘キ(ぴんくりんく編集部)、林田義行(PG)、福原彰、旦雄二、東舎利樹


(2014年4月1日)

「渡辺護自伝的ドキュメンタリー(全10部)」第3部〜第6部について(井川耕一郎)



(以下の文章は2013年10月8日の試写のときに配布したものです)


渡辺護自伝的ドキュメンタリー(全10部)」の第3部〜第6部は自作解説篇になる。
自作解説篇は渡辺護監督作品とのセット上映を前提としている(たとえば、『おんな地獄唄 尺八弁天』(70)+『渡辺護が語る自作解説 弁天の加代を撮る』といったように)。
また、上映作品だけでなく、関連する作品についての話も入れるようにした。渡辺護さんの200本以上ある作品群の中にどんな流れが見出せるのかを示したかったからである(関連作品のフィルムが発見され、上映できればいいのだけれども……)。


第3部『渡辺護が語る自作解説 弁天の加代を撮る』(30分)
第三部で話題となるのは、弁天の加代を主人公にしたシリーズの第一作『男ごろし 極悪弁天』(69)と、第二作『おんな地獄唄 尺八弁天』(70)。
ちなみに、弁天の加代ものには、第三作『濡れ弁天御開帳』がある(ただし、主演は香取環ではなく、林美樹)。また、女ヤクザものというふうに見方を広げれば、『観音開き 悪道女』(70)も関連があることになる。


第4部『渡辺護が語る自作解説 エロ事師を撮る』(30分)
『(秘)湯の街 夜のひとで』(70)について、渡辺護さんはすでに第二部『つわものどもが遊びのあと 渡辺護が語るピンク映画史』である程度詳しく語っている。そこで、第四部ではエロ事師たちを描いた他の映画――『男女和合術』(72)、『性姦未公開図』(74)との関連に注目することにした。
『男女和合術』、『性姦未公開図』は、『(秘)湯の街 夜のひとで』の変奏とも言える映画だが、性を客に見せる芸人たちを描いた作品の流れを考えれば、『シロクロ夫婦』(69)、『多淫な痴女』(73)、『おかきぞめ 新・花電車』(75)、『好色花でんしゃ』(81)などが視野に入ってくるだろう(『好色花でんしゃ』については自作解説篇をつくる予定)。


第5部『渡辺護が語る自作解説 緊縛ものを撮る(一) 拷問ものから緊縛ものへ』(35分)
「緊縛ものを撮る」は三部からなる。緊縛ものを例に、ジャンルがどのようにして生まれるのかを探ってみた。
第5部で主に語られる作品は、『谷ナオミ 縛る!』(77)と『少女を縛る!』(78)。
渡辺護の緊縛ものと言うと、『谷ナオミ 縛る!』、『少女縄化粧』(79)が有名だが、内容的に見て、『少女を縛る!』はきわめて重要な作品だと思う。緊縛ものという枠をはずしても、渡辺護の代表作の一本であると言えるのではないだろうか。


第6部『渡辺護が語る自作解説 緊縛ものを撮る(二) 処女作への回帰』(30分)
第6部で話題となるのは、日野繭子主演の『少女縄化粧』(79)。前半は2010年に映画美学校で行ったインタビュー、後半は2012年に銀座シネパトスで『少女縄化粧』上映後に行われたトークショーである。
ドキュメンタリーを撮っていく中で分かったことだが、この作品は渡辺護の監督デビュー作『あばずれ』(65)の緊縛時代劇版リメイクだった(『あばずれ』については、第一部『糸の切れた凧 渡辺護が語る渡辺護』の後半で詳しく論じている)。
『あばずれ』のリメイクはもう一本ある――夏麗子主演の『変態SEX 私とろける』(81)。『あばずれ』のフィルムが発見され、三本立てで上映できれば面白いと思うのだが……。


自作解説篇で私たちが目指したものは、渡辺護の作家的特徴の早分かりではなかった。
映画監督・渡辺護の作家性は対話の中から生まれた――脚本家との、キャメラマンとの、役者との、観客との、今まで見てきた映画との、過去の自作との……対話から生まれ、磨かれていったのだ。
私たちはそんな対話の重要性を伝えることを目的にして自作解説篇をつくってみた。
対話の積み重ねこそ、歴史の真中を流れるものだ。
私たちの試みが少しでも、これからピンク映画史や日本映画史に取り組もうとする人たちの役に立てばいいのだが……。


出演・語り:渡辺護
製作:渡辺護、北岡稔美、撮影:松本岳大、井川耕一郎、録音:光地拓郎、編集:北岡稔美、構成補:矢部真弓、高橋淳、構成:井川耕一郎
協力:渡辺典子、新東宝映画株式会社、銀座シネパトス
太田耕耘キ(ぴんくりんく編集部)、林田義行(PG)、福原彰

渡辺護監督が亡くなりました/その監督人生をふりかえる(井川耕一郎)



(以下の文章は、2014年1月2日に渡辺護公式サイトに掲載したものです)


2013年12月24日、渡辺護監督が82才で亡くなりました。
10月に新作を撮る話が来て、周囲の人々に「面白い映画を撮ってみせるよ!」と宣言していたのですが、11月2日に外出先で倒れ、病院に運ばれました。
検査の結果、大腸がんであることが判明。
その後の詳しい経緯はこちらをどうぞ。
→ http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20131229/p1


渡辺護は1931年3月19日東京生まれ。
早稲田大学文学部演劇科に入学後、八田元夫演出研究所に入り、演出と演技について学びました。
その後、TVドラマの俳優、シナリオライター、TV映画・教育映画の助監督などを経て、1964年に南部泰三『殺された女』の助監督としてピンク映画の世界に入ります。
1965年、大映出身の監督・西條文喜のために企画していた『あばずれ』(脚本は吉田義昭)で監督デビュー。


渡辺護が何本の映画を監督したのかは正確には分かっていません(現在、確認できる監督作品は210本程度。実際にはそれ以上撮っていると思われます)。
フィルムが残っているものはほんのわずかで、時代的なかたよりなく百本以上の渡辺護作品を見ているひとはほとんどいないと言っていいでしょう。
そこで、私たちが代表作と考える作品タイトルを記すのはひかえて、渡辺護自身が自分の監督人生と作品をどのように見ていたのかを以下に記すことにします。
渡辺護フィルモグラフィーはこちら。
  → http://watanabemamoru.com/?page_id=7 )


<1965年〜1973年>

1965年に少女の復讐を描いた『あばずれ』で監督デビューした渡辺護にとって、新人監督時代はピンク映画の青春期でもありました。
映画が撮れるというだけで幸せだった時期、若松孝二(62年にデビュー)や向井寛(65年にデビュー)らと競い合うようにして映画を撮っていた時期、メジャーの映画に対抗するように映像の冒険をしていた時期だった、と語っています。


1967年に渡辺護は『情夫と情婦』(『深夜の告白』の翻案)で監督としての腕を認められて東京興映に入ります。
東京興映の社長は、ヒット作『日本拷問刑罰史』(64年)を撮った小森白。「お前のほかに、誰か戦力となる監督はいないか」と言う小森白に、渡辺護は同じ65年にデビューした山本晋也を推薦し、東京興映でなければできない映画として、小森・山本・渡辺の三人で監督する『悪道魔十年』(67年・修行僧が暴行魔となって放浪する話)を企画します。


しかし、1968年、小森白との間にちょっとした誤解が生じ、渡辺護は東京興映を離れます(70年頃、山本晋也が間に入って、関係は修復されます)。
「教育映画にでも戻ろうか」と思っていたらしいのですが、結局、ピンク映画を捨てることはできなかった。
ほとんど仕事をすることなく(68年の監督本数は四本と極端に少ない)、映画館で他の監督たちが撮ったピンク映画を見続けていたそうです。


実は以前から渡辺護の中には、「デビュー作『あばずれ』を超えられない」という悩みがありました。
撮影の竹野治夫など、戦前からのベテランに助けられて、『あばずれ』はそれなりのものにはなったけれども、今後、渡辺護でなければ撮れない映画を撮るにはどうしたらいいのか……?
その悩みに対する答が見つかったのが、68年でした。
山本晋也や小森白の映画を見ているうちに、「主観カット/客観カット」という独自の映画理論が生まれ、「おれは面白い映画が撮れる!」という自信を得たと言います。
(「主観カット/客観カット」理論についてはこちらをどうぞ
→ http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20081116
  http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20081120 )


女ヤクザものの『男ごろし 極悪弁天』(69年)、木下恵介『女』の翻案の『明日なき暴行』(70年)あたりから自信を持って映画を撮りだした渡辺護は、1970年に、以前からその才能に注目していた大和屋竺の脚本で二本の映画を撮ります。
『おんな地獄唄 尺八弁天』(『極悪弁天』の続篇)と、『(秘)湯の街 夜のひとで』(さすらうエロ事師たちの話)――この二本は渡辺護自身も代表作と認めているものです(特に愛着があるのは、『尺八弁天』。大和屋が書いた弁天の加代に惚れたとのこと)。


1971年、渡辺護は東京興映で大久保清事件を題材に『日本セックス縦断 東日本篇』を撮ります(この作品は大ヒットしたとのこと)。
大久保清が逮捕されたのが5月で、撮影は6月。当初、大久保清が犯罪者になるまでを描く予定だったのですが、クランクイン直後にプロデューサーの小森白からかかってきた電話は、「八件の暴行殺人事件を全部撮れ」というもの。
結果的に太田康(下田空と小栗康平)によるシナリオの直しと同時進行で、撮影が進められました。しかし、完成後に渡辺護は「いい勉強になった」「映画はどうやってもつながる」と感じたそうです。


<1974年〜1982年>


1973年くらいまでの渡辺護作品の脚本家は石森史郎阿部桂一、吉田義昭らでしたが、その後は次第に若手(荒井晴彦高橋伴明、小水一男)が脚本を書くようになります。
1974年に撮った『制服の娼婦』(売春する女子高生と若い男の同棲生活を描いたもの)、『痴漢と女高生』(女子高生を拉致監禁する中年男の話)の脚本は荒井晴彦
渡辺護はこの二作について、荒井晴彦の作家性がよく出ている作品で、自分の代表作でもあると語っています。


1973年に小森白はピンク映画に見切りをつけ、監督を引退します。けれども、新東宝は小森が『日本拷問刑罰史』によって始めた拷問ものをその後も求めていました。
70年代半ば、若松孝二山本晋也に続いて、渡辺護にも新東宝から拷問ものの注文が来ます。
しかし、渡辺護は、拷問ものとはちがうもの、縄をベッドシーンの小道具として使うものを撮ることを模索します。このときに脚本家として協力したのが高橋伴明でした。
高橋伴明脚本で、『谷ナオミ 縛る!』(77年)、『少女を縛る!』(78年)、『少女縄化粧』(79年)、『聖処女縛り』(79年)を撮っていく過程で、渡辺護は拷問ものとはちがう自分なりの表現(「緊縛もの」と呼ばれるようになる)をつかんでいった、と語っています。
(ちなみに、この頃には、よく組むキャメラマンが池田清二から鈴木史郎にかわっています)


1979年頃から、高橋伴明と交代するように協力者となっていったのが小水一男でした。
渡辺護は小水一男のオリジナリティーに支えられて、『激撮!日本の緊縛』(80年)などの緊縛ものを撮り続けていきます。
この時期は日野繭子・岡尚美が出演する緊縛ものの時期であると同時に、『制服処女の痛み』(81年)で美保純を、『セーラー服色情飼育』(82年)で可愛かずみをデビューさせた時期でもありました(二作とも脚本は小水一男)。
渡辺護は、魅力的な新人女優に出会うと、作品としてのまとまりや完成度などどうでもよくなって、その子の持つ輝きをひたすら記録することに喜びを感じるような監督でした。
美保純、可愛かずみは、『紅壺』(65年)の真山ひとみ、『禁断性愛の詩』(75年)の東てる美の系譜に連なる女優であると言えるでしょう。


<1983年以後>


70年代に入ってから、渡辺護は月にほぼ1本(あるいはそれ以上)という驚異的なペースで映画を撮り続けてきましたが、初の一般映画『連続殺人鬼 冷血』(渡辺自身は『日本セックス縦断 東日本篇』の二番煎じみたいな作品と厳しい自己評価をしています)を撮った1984年あたりから、本数が急速に減っていきます。
渡辺護は当時をふりかえってこう語っています。「代々木忠の『ザ・オナニー』とかがあたるようになって、ベッドシーンがあればそれでいいみたいな風潮が出てきた」「「面白いものつくってやる!」ってのがなくて撮ってるってのはね……、つらいですよね」「滝田(洋二郎)や片岡(修二)の方がおれよりうまいわと感じたことがある」
80年代後半、渡辺護は自分の時代は終わったと感じたのか、ピンク映画界を去ります。


その後の監督人生を渡辺護はどう見ていたのか?
沖島勲の脚本で撮った『紅蓮華』(93年)を渡辺護の代表作の一つにあげるひとは、現在かなりいます。
けれども、渡辺本人は「決していい出来だとは言えない。失敗しているところがいくつもある」と最後まで言い続けていました(役所広司の演技は別にしての話ですが)。


<ピンク映画監督・渡辺護


数年前、渡辺護は「渡辺さんほどの腕なら、一般映画でも十分通用したはずなのに、なぜピンク映画を撮り続けてきたんですか?」と訊かれて、その場できちんと返答できなかったそうです。
あとになって、渡辺護は考えを整理して、こんなことを私(井川)に話しました。
「メジャーだと、おれの上に誰かいて、こう撮れ、ああ撮れと指図してくる。それがイヤなんだ。おれはおれの選んだホン、おれの信頼するスタッフ・役者で、おれの好きなように撮りたい。早く言やあ、お山の大将になりたいってことかな。そういう自由があったのがピンク映画なんだ」


渡辺護が最後に撮ろうとしていたのは、ピンク映画でした。
そのことを思うと、なぜこのタイミングで亡くなってしまったのか……と本当に残念でなりません。


<追記>


渡辺護さんの奥さん(典子さん)はここ二ヶ月の看病で心身ともに疲れています。
よって、渡辺護に関する問い合わせは、以下のメールアドレスで対応したいと思います。よろしくお願いします。
 渡辺護自伝的ドキュメンタリープロジェクト 井川
wmd1931※gmail.com (※を@に変えて下さい)

渡辺護、『浅草の踊子 濡れた素肌』について語る。



(このインタビューは、2012年8月23日にmixiに載せたものです)


今日、載せるのは、『浅草の踊子 濡れた素肌』(踊子と書いてストリッパーと読ませる)についての話。
ポスターを入手したので、そこに書いてある情報を記しておく。


『浅草の踊子 濡れた素肌』
<ストリッパーの世界を描いて最高…果たして誰が彼女をそうさせたか……!?>
製作:斉藤邦唯、企画:井上猛夫
監督:渡辺護
出演:可能かづ子、枡田邦子、香川あけみ、春名すみれ
配給:株式会社センチュリー映画社


今回の話も、「そうしてねえ、可能かづ子と一緒にね」と言ったあと、脱線が始まって、浅草のコメディアンの話が延々と続く。
しかし、当時のコメディアンの様子を伝える証言でもあるので、カットせずに残すことにした。


――次に撮った『浅草の踊子 濡れた素肌』(66)は、これもタイトルどおり、浅草が舞台ですか?


順番、間違えてねえか。(作品リストを見て)ああ、こうやって撮ってたんだね。あのねえ、それは丸林(久信)さん(の脚本)。で、それとねえ、『絶品の女』(66)とが、おれの中でだぶっちゃうんだよね(注:『絶品の女』の脚本も丸林久信)。『絶品の女』はずっとあとになってる?


――あとですね。


ええっとねえ、『浅草の踊子』ってのは、これはストリップの話で、浅草には友だちが多いから、いろんな話を聞いてて。ストリップ劇場のコメディアン、みんな、知ってましたからね。
これはねえ、カジノ座って言ったかなあ、大勝館の地下です。カジノ座ってところで撮影したんですよ。これは(高見順の)『胸より胸に』――、あれとはちがうけど、あれとよく似てるわなあ。
踊りが好きで踊ってんだけど、まあ、男にだまされて、一番最後に、「あたし、踊りがあってよかったわ」って言って、また舞台に立って踊って、花道を可能かづ子が歩いてくところで終わったんだけどね。それ以外、おぼえてねえ(笑)。
やっぱり、浅草だから、観音様でね。(可能かづ子が)さい銭やって、こうやって(手を合わせて)、「踊子になるんだ」ってところからね(始めた)。セーラー服、着てね、おれ、話忘れちゃったなあ。わるいホンじゃなかったですよ。
たしかねえ、回想シーンでねえ、女学生でモンペはいてね、一生懸命、畑仕事やってたら、後ろから暴行されて。ニワトリがキャッキャッキャッキャッて鳴いてるところ撮って、そことカットバックで暴行シーン撮ったんですよ。ピーッとモンペをひっちゃぶいてやる暴行シーンがあってね。
村にいちゃ、みっともないってんで、親戚の姉さんがストリップやってるところに来て、「あたしもストリップやる」って言って。
浅草観音様に手をあわせるところを、ちゃんと五社並みに(本堂に)キャメラ入れてやりましたよ。そしたら、ヤクザの仕切り屋が来るんだよ。で、おれには知ってるこれ(「頬に傷」という手つき)がいるじゃない。そういうの、(制作進行の)天野が用意してあるから、OK、大丈夫って、堂々と浅草で撮ってたよ。仕出しは使わなかったけどね。浅草はひとがいるから、隠し撮りでやってましたけど。それから、浅草の六区を歩くシーンはね、交番の二階借りて撮ったから。
捕鯨船ってところ――あれは昔、一六酒場ってところで、撮影終わると、飲んでたよ。これも(『紅壷』の浅草ロケと同じように、撮影が)夜なんだよ。ストリップ劇場で夜撮って、昼間遊ぶわけだよ。それでミトキン(美戸金二)だとかさ、いろんなコメディアンがいたんすよ。それはもう、渥美(清)と一緒に出てたやつらが出てましたよ。
ストリップ劇場に、「これは撮ってくれるな」と言われたんだけど、楽屋にお風呂があるんだよ。踊子さんがみんな、その風呂に入る。だから、支配人に「風呂は使わないでくれ」って言われたんだよ。
ところがね、見たいよな。昼間、ミトキン知ってるから、ミトキンの楽屋、行ったふりして、ふっと見たら、踊子さん、ぱっぱっと脱いで、チャッチャッと洗ったりなんかしてさ、ケラケラ笑ってて。あれ、撮りたいなあ、と思ったけれども、できなかった。それ、おぼえてるよ。
そうしてねえ、可能かづ子と一緒にね……夜撮影で、昼間は暇だから……夜中になる前に何時間か寝ればいいんだから……、なんて旅館だったかなあ、モンブランって喫茶店の裏の方にあるんですよ。そこの旅館、よく使ってて、懐かしいんだけど。
そうすると、(ストリップ劇場に出ている)コメディアンがねえ……、まあ、エッチな話なんだけど。
「(ストリップ劇場の風呂で)女のひとが頭洗って、こっちにお尻向けてる。お尻がパカッとあって、堂々としてるから、しょうがないから、あれ出したら、入っちゃったんだよね。そうしたら、女のひとが、あら!ってふりむくから、ごめんなさい、と謝ったら、いいえ、って(髪洗いながら)言ったからね」
――って、コメディアンの言うことだから、これ、本当かウソか分からないよ。そういうエロ話、やるのよ。
(コメディアンから聞いた)そんな話、ご披露しますよ。
「ストリッパーで、田舎から出てきたばかりでさ、踊りもできないでね。ただ、(不器用な手つきをまねて)はっ、はっ、はっ、とやってるだけのストリッパーがいて、それがねえ、お腹をすぐにすかせて、何か食いたいんだって。そうするとね、うどん一杯食わせてやると、やらせてくれるってんだよね。それで誘って、うどん食わしたら、あたし、今日はアレなの、って言って断られた。損しちゃったよ、うどん一杯」
そういう下らない話ばっかりするんだよ、あいつらは。
場所は捕鯨船よ。捕鯨船にはファンがいるでしょ。ストリップが好きなすけべじじいが。で、風邪薬を黄色の袋に入れて、「これを飲むと、あれのたちがよくなる」って言って、高い金で売っちゃうわけだよ。そうやってコメディアンは金もうけてたんだよ。
「そうしたら、あれ、効いたよ、まだある?って言うから、えーっ!と思っちゃってさあ、ナベちゃん」なんて言ってんだよ。どこまでホントかウソか分かんないよ。だから、そんな話を(コメディアンから)聞きながら、撮影やってましたよ。
昼間は暇ってことじゃないけど、一応、暇だから、参考までに舞台を見ておくかってことで、可能かづ子と見たんだよ。そうしたら、コメディアンがさ、「なあ、おれんとこは予算が足んないからさ、それが撮れねえんだよな。これ、まけてくんないか」って、ピンクの世界の裏話をもうコントでやってるんだよ。笑っちゃったよ。
「予算がないからね、きついんだよ。で、そこでぱっと脱いでくれる?」「やだわ」「そう言わないでさあ」「あたし、創価学会だから」「そうか、ガッカイしたなあ」なんてやってんだよ、コントで(笑)。


――『浅草の踊子』は、企画としてはストリップの世界を見せますってことですか?


うーん、竹野さんがキャメラだったからねえ、そんな下品じゃなかったですよ、映画は。
そのときだよ、ラッシュを南部泰三(注:ピンク映画の監督。渡辺さんは二本、助監督でついている)が見に来てさ、「ああ、画がきれいだ」って言ったの。可能かづ子がきれいに映ってたんだよね。
可能かづ子のことではね、もめたんですよ。新宿御苑にね、コン(正式名称未確認)という飲み屋があったんですよ。そこに年中、向井とか、若ちゃん(若松孝二)とか、日本シネマの社長(鷲尾飛天丸)なんか出入りしてたんですよ。そこでさ……おれ、何の話をしようとしたんだっけ?


――可能かづ子の話ですよ。


そうそう、可能かづ子と、若松孝二と、日本シネマ(の社長)と、おれがいたわけ。
そうしたらさ、若ちゃん、よせばいいのにさ、やっぱり、自信満々なんだよ、監督としてね。渡辺護なんか屁でもねえってのがあるわけだよ。「どうだ、可能よ、ナベさんのとこの映画出てよ。いや、おれの方がいいだろ」って言ったら、「ううん、渡辺さん」。
そうしたら、ショック受けてね、若松が。ええっ!って。『壁の中の秘事』(65)をやってるしさ、そりゃちがうだろ、全然差があるだろ、みたいな顔してんだよ。「渡辺さんの方が、わたしをきれいに撮ってくれるから」。あれで、若松はね、可能かづ子は二度と使わない、って言ってたよ。無邪気なもんよ、その頃の監督は。


――可能かづ子の役は男にだまされるってことですけど、そのへんのところは?


それがねえ、姉さんがいて、ストリッパーになるんだよね。あんまり、おぼえてねえんだよな。シーンをおぼえてない。(男に)裏切られるんだよね、たしか……。
撮影は大変だったですよ。だって、カジノ座の音楽やるひとがちゃんといるんですよ。そのひとたちに頼んで、本当にやったからねえ。カジノ座借りて、ちゃんと客入れてね。中抜きで寄りをあとで撮るってことは言われましたけどね。キャメラで、あっちから引きだ、こっちから引きだってやるんだよ。面白いんだよ、ストリップ劇場ってのは。
ところが、映画のストーリーはおぼえてないねえ。
おぼえているのは、一番最後に楽屋に行くと、いるじゃないですか、楽屋担当のおじさんが。(そのおじさんと)「おお、元気? なんかあった?」どうのこうのって会話があって。「じゃあ、またよろしくね」って言ったあと、「ねえ、おじさん、わたし、踊りがあって本当によかったって思ってるの」というのが決め手の台詞なんだよ。それで次、ばーんとライトがあたるとさ、メイクした顔がさ、きれいに映って、ぱっと踊る。
で、踊りがうまいんだよ、可能かづ子は。


――踊るところは振付師を呼んだんですか?


ええ、もう私のことですから、ちゃんと浅草にそのすじはいますから。
ほら、(飲み屋の)赤提灯の家が浅草にあるんだよ。その二階に南原宏治が稽古場にしてた部屋があるんですよ。そこでもって稽古したんだから。それから、「うち使え、うち使え」ってのがあって。(お好み焼き屋の)染太郎の実家のとこにも稽古場があるんですから。そこも使えと言われたけど、赤提灯の顔、立てないとまずいんで、赤提灯の稽古場使ったけど、面白いんだ、浅草は。「なに、まっちゃんのとこでやって、うちはダメだっていうわけ? よう、ナベさん」って、そういう感じだから。


――クランクイン前に踊りの練習を。


そりゃもう、きちっと。だから、好きなんだねえ、踊りやるのが。また、可能かづ子が一生懸命やろうって気のあるときだったから。
だけど、可能かづ子の名前(が有名になったの)は、若ちゃんの壁の中の何だっけ、秘事? あっちの方がインパクト大きいけどね。
でも、本当にきれいに撮ったですよ。おれはあんまり神経使ってなくて、キャメラマンまかせだからね。竹野さんは『あばずれ』のときはそうじゃなかったけど、『浅草の踊子』で、可能かづ子の顔を撮るときはものすごく凝てったねえ。
で、可能かづ子におみやげなんか買ってきたりして。好きだねえ、このおじさん、と思ったよ。「はい、これあげる」ってね。なんか、やめりゃいいのに、いい年こいて、と思ったよ、ちっちゃいぬいぐるみ、あげたりしてさあ。いい年こきやがって、竹野さんさあ。ああやって財産なくしたんだな。名キャメラマンで、いい金とってやってきたのにさ、ピンク撮んなきゃいけなくなって……。


――竹野治夫との関係は『あばずれ』のときみたいな感じではないんですか?


いや、同じです。ただ、おれが慣れてきたからね。そうしたら、言ってたよ。「ナベさんもねえ、一本、二本、やってきて、演出がきちっとしてきたよね」って。

渡辺護、『制服処女の痛み』の頃の美保純について語る。


(以下のインタビューは、2013年3月にmixiに載せたものです)


自作解説篇の構成を考えるため、ラッシュを見直し、大蔵貢に関するエピソードを探していたら、なぜだか『制服処女の痛み』(81)の美保純について語っているところが出てきた。ひさしぶりに見たら、渡辺護さんの語りが生き生きとしていて面白かったので採録します。


大曲って前から知ってるやつがいて、そいつが「うちに電話番もできないような女の子がいるんだけどさ、見てくんねえか」って言うわけよ。敬語が使えないらしいんだな。
「何とかしてくれよ、ナベちゃん。女優になれるかな?」ってことだったんですよ。それで今の六本木ヒルズがあるあたりの喫茶店で会ったわけですよ。
ガラスで外が見える喫茶店で待ってたら、女の子が歩いてくる。かっこいいんだよ。オーラがあるんだよ。そうしたら、(大曲が)「ああ、来た来た」。それが美保純だったわけだ。
羽のついた帽子をかぶってたかな。こんなふうにかぶって、ひとの顔見て、堂々としているんだよ。なーにー?って顔で。これが可愛いんだよ。
「何か飲む?」って訊いたら、(ぼそっと)「ジュース」。(しゃべり方が)面白いんだよ。それで、おれは(大曲に)「いけるよ」「ホントか、ナベちゃん。でも、全然常識ないから」。大曲は自分じゃ全然マネージャーになるつもりはなかったんだよ。
(美保純に)話を聞いたらさ、デスコクイーンコンテストで一番になったって言うんだよ。それでデスコクイーンだからデスコを使って踊ってるとこを撮ろう。そこから話を始めようと。
で、ガイラと相談して、デスコでシンデレラの靴がぬげたってことでホンをつくったんだけどね。その話はちんぷんかんぷんだったけど、いいや、いっちゃえ!てんで、踊りを中心に撮ることにした。
最初に池袋で撮ったんですよ。池袋のなんて学校だったかなあ、セーラー服の子がいっぱいいるところだよな。そこで歩きを撮ったんだよ。そのときにね、(美保純が)セリフを言って、途中でふりむいて、「監督、いいのか、これで?」って言うんだよ。「いいの?」じゃないんだよ、「いいのか、これで?」なんだよ。
「いいけどよ、カットって言うまでやってくれよな」「えっ?」って言うんだよ。「よーい、スタートで、芝居するだろ。カットって言うまでやってないとダメなんだよ。お前みたいに勝手に、これでいいのか?はねえだろ」って言ったよ。「ああ、そうか。分かった」。これが可愛いんだよな。
(別の)道を歩くシーンがあって、「お前、そこでデスコやってみな」。そうしたら、「監督、もしここで踊ったら、アホだよ」「アホだよ、そりゃあ。お前の役はアホなんだよ。アホだから、踊ってみな」「そりゃ、おかしいよ。そりゃないよ、監督」「言うこと聞け、バカ」てなこと言ってたら、「やるよ。やればいいんでしょ」。ぱあーっと踊ったよ。
お昼時ってのは、監督は午後の用意をするわけですよ。喫茶店とかでひとりになって、午後の撮影のコンテを割って、頭に入れるわけだよね。ところが、(美保純が)ついてきて、座ってんだよ。「何だ?」「お金がないんだ。何か食わしてくれ」って言うんだよね。
「何か頼んで食えよな」「うん」「お前、主役のやつがさ、金ないって、おれのあとくっついて歩いてちゃまずいだろ。どうせギャラ払うんだから、これもってけ」って、何万円か渡したよ。そうしたら、大曲がさ、「金、あの子に渡さないでくれ」「冗談じゃない。ふざけるな」って言ったんだよ。「飯が食えないんじゃ、仕事にならねえよ」って言って。
六本木のディスコのシーンが早く終わったんですよ。「純、飯食おうか」って言ったら、「それより、一杯飲もうよ」。そうしたら、飲みっぷりがいいんですよ。そのあと、大曲のとこ行って、「あたしの演技、いいみたい。監督、気に入ってたよ」ってでっかいこと言ってたらしいよ。
美保純言葉ってのがあるんだよな、真似できないけど。で、「自分のしゃべり方でセリフ言え」と。全部、それで撮ったんですよ。そうしたら、アフレコのとき、口合わないんだよな。合わなくても面白いから、OKしちゃったんだよ。
そうしたら、日活の外注の係の奥村ってのが、「アフレコやり直さなきゃ、ナベさん。全然口合ってないよ」「いや、面白い方をとろう。あんまり口合う合わないは問題にしない方がいい」。強引な話だよ。いや、おれの方が正解だと思うけどね。
できそこない映画ですけど、美保純は可愛かった。魅力的だった。これがねえ、売れちゃったんだよな、不思議に。で、日活の映画はね、舞台挨拶するんですよ。美保純が出たらね、俄然すごいんですよ、お客の反応が。大曲はそれを見て、これは儲かる!ってんで積極的にマネージャーに取り組んだんだよ。
美保純で二本目って考えはなかったですよ。いつまでピンクやっていても……ってのがあったからね。アフレコ終わってみんなで飲んでるとき、おれ、美保純に言ったよ。「お前、しっかりやれよな。東てる美みたくなるといいなあ、お前」

映画監督の渡辺護さんが24日、大腸がんで亡くなりました



PGの林田義行さんたちと相談して、25日、26日ににツイッターに書いたことを以下に載せておきます。
(写真は、銀座シネパトスでのトークショー(2012年5月18日)のときのものです)


<12月25日>

PG_pinkfilm ‏@PG_pinkfilm 12月25日
渡辺護監督が12/24 亡くなりました。詳細は追ってHPでお伝えします。ご冥福をお祈りいたします。


<12月26日


(井川)11月2日、渡辺護さんは髪を切りに行った店で倒れました(救急車で病院に運ばれてすぐに意識を取り戻したのですが)。11月9日に病院に行って聞いた渡辺護さんの話は次のとおり。

渡辺護「店に入って機械に千円入れようとするんだけど、できないんだよ。店のひとに手伝ってもらってさ。髪を切ってもらって、伸びてる眉毛もカットしてもらって、店を出ようとしたところまではおぼえてる。

(渡辺)でも、そのあとは、店のひとの「大丈夫ですか?」って声だとか、救急車の音だとか、そんなのしかおぼえてない。どっか道端で倒れてたら、どうなってたか分からないよ。今頃、よだれたらして、ヨレヨレだったかもな」

(井川)このときに渡辺護さんの奥さんから聞いた話は、「なくなった血がどこに行ったのかを検査したら、腸のあちこちにあるらしいんですって。それから、肝臓にも移っていて」というものでした。


(井川)11月13日にお見舞いに行きました。このときに話題になったのは、荒木太郎さんの新作『異父姉妹 だらしない下半身』のことでした。

渡辺護「荒木(太郎)の映画はどうだった?」 井川「荒木さんの新作は、『もず』でした。渋谷実が監督で、水木洋子が脚本の」 渡辺護「『もず』は、もともとTBSのドラマなんだよ。岡本愛彦演出でね、森光子がよかった」

渡辺護「しかし、『もず』ってのは、女優で決まるやつだぞ。荒木のは誰が出てんだ?」 井川「最近、荒木さんの映画によく出ている子二人ですね」 渡辺護「荒木はちゃんと女優の演出してんのかな。『もず』ってのは、女優の演出が難しいやつなんだ」


(井川)11月17日に北岡稔美さん(渡辺護ドキュメンタリーの製作・編集)とお見舞いに行きました。渡辺護さんが奥さんに向かって「のん子さん、あの話はした?」と尋ね、こう言葉を続けました。「いや、はっきり言ってしまうとね……、がんなんだよ。手術しなきゃいけない」

(井川)北岡稔美さんが渡辺護さんに「何かほしいものはありますか?」と尋ねると、「ない。テレビも映画も見たいって気にならないし、何かを読む気にもならないんだ」という答が返ってきました。

北岡「本当に見たい映画はないんですか?」 渡辺護さん「ジョン・フォードの『荒野の決闘』と『駅馬車』が見たい」 奥さん「家に帰って落ち着いてDVDが見たいのよ」

(井川)「このあと、新橋に行って、『谷ナオミ 縛る!』と『濡れ肌刺青を縛る』を見ようと思ってます」と言ったら、渡辺さんは「やめてくれよ。あんな出来の悪い映画を見るのは」とイヤそうな顔をしました。

(井川)けれども、そのあと、二本の映画を撮ったときの思い出をしゃべりだしたのですが。


(井川)11月22日にお見舞いに行ったとき、渡辺護さんの奥さんから、肛門近くのガンは、大きいけれども、腸をふさいでいないので手術しないことになったという話を聞きました。また、12月2日に退院し、自宅に戻ることになったとも聞きました。

(井川)このときに渡辺護さんが話したことは次のとおり。「おれはうちに帰って、のん子さんと一緒にご飯を食べたり、おしゃべりしたりしたいんだ」「『清須会議』は見たいな。役所広司がどんな芝居をしてるか見たい」

井川「渡辺さんがからみを撮るときに気をつけていたことって何ですか?」 渡辺護「そうだなあ……、からみはフルで撮るのが一番エロチックなんだよ。フルをきちんと撮らないとな」


(井川)退院前日の12月1日、北岡稔美さんがお見舞いに行ったときの報告は次のとおりです。

(北岡)渡辺護さんは起き上がって、あぐらをかいてました。あぐらかけるなんて、ずいぶん良くなりましたねと声かけたら、あぐらが楽なんだ、もうトイレも歩いて行かれるんだと言ってました。

(北岡)このあいだ、皆さん(太田耕耘機さん、林田義行さん、佐藤吏さん)が、渡辺護さんの元気そうな姿見て安心したと話してましたよと言ったら、あぐらかいた膝をポンポン叩いて、「これくらい元気になったよ!と言っておいてくれよ」と笑ってました。

(北岡)そのあとは、『セーラー服色情飼育』を見た話から可愛かずみの話になり、みんな死んでくなあ、若松もなあ…って言ったあと、

(北岡)何故か「てんや」の話になり(若松孝二が「うまい天丼屋がある」と言って足立正生を連れていったという流れで)、「てんや、うまいよな」「あ、私、昔バイトしてましたよ」などと会話がはずみました。


(井川)12月14日に渡辺護さんの家に行きました。会った瞬間に感じたのは、やせて小さくなったなあ……ということ。一生懸命、話そうとするのですが、体力が続かないみたいで、時折、目をつぶって休んでいました。


(井川)12月21日にお見舞いに行くと、渡辺護さんは車椅子に座って、居間で待っていました。「もう歩けないんだよ。トイレに行くのが大変なんだ。夜中に、のん子さんを呼ぼうとして大きな声を出すだろ。もうそれだけで、心臓が飛び出しそうなほど、苦しくなる」

(井川)奥さんも、「貧血になりやすいの。昨日からそのための薬はのんでいるんだけど。今は(前からよくなかった)心臓の方が心配」と言ってました。

(井川)この日は、新谷尚之さんからもらった沖島勲『WHO IS THAT MAN!? あの男は誰だ!?』の紙人形劇部分のDVDを鑑賞。渡辺護さんは「さすがだね、新谷さんってひとは」と感心していました。


(井川)12月24日の20:50頃、渡辺護さんの奥さんから電話がありました。「護さん、さっき亡くなっちゃったの」

(井川)容態が急変し、お医者さんを呼んだところ、「今晩が山です。ご家族に連絡して下さい」と言われたとのこと。しかし、点滴のあと、渡辺護さんは元気を取り戻したそうです。

(井川)これなら大丈夫かなとお医者さんが帰ってしばらくして、奥さんは何だか呼ばれたような気がしたとのこと。行ってみると、渡辺護さんはもう息をしていなかった。「ああいうとき、あなた!なんて叫んだりしないものね」と奥さんは言ってました。


(井川)12月25日、渡辺護さんに会ってきました。寝ているようにしか見えない。口もとが今にも映画についてあれこれしゃべりだしそうな感じでした。でも、頬に触れてみると、ひんやり冷たかったのですが。

(井川)奥さんの話では、告別式は家族のみで行うとのことです。棺に入れるものは、渡辺護さんが撮影現場でかぶっていた帽子と、奥さんの手紙だけだそうです。


(井川)全10部のドキュメンタリーが完成したタイミングで、渡辺護さんには新作を撮りませんかという話が来ていました。面白いものを撮るよ!と言っていたのに、残念でなりません。

(井川)報告は以上です。


追記:告別式は28日に行われました。

渡辺あい『電撃』と冨永圭祐『乱心』についての往復書簡・第3回(清水かえで+井川耕一郎)


<井川耕一郎→清水かえで:『電撃』の病気、『乱心』の病気・その2>


次に『乱心』について。
清水さんは、シーン13で盛太が遠くに放り投げたボールが、シーン14でひよりをあたりそうになるところについて尋ねてましたね。
試写で見たときには、思わず笑ってしまいましたよ。えっ、今頃、落ちてくるの? 遅いよ、と思いました。それから、シーン13とシーン14はほぼ同時刻ということなんだろうな、と思い、映画を見終えたあとには、盛太が投げたボールがひよりを直撃しそうになるのは、盛太がひよりを犯してしまうことの伏線みたいな働きをしているな、とも思ったのです。
しかし、自分の考え方をふりかえってみると、ちょっとおかしな気もします。シーン13のボールと、シーン14のボールはちがうものだと考えてもよかったはずです。いや、その方がすっきりする。二つのシーンは同時刻なんだろうな、などと余計なことを考えなくてすむのだから。なのに、なぜぼくはシーン13のボールと、シーン14のボールを同一のボールだと思ってしまったのか?


ユクスキュルという生物学者が書いた『生物から見た世界』という本(岩波文庫)があります。面白い本です。クリサートというひとが描いた挿絵もいい。第12章「魔術的環世界」のp139に二つの絵が載っています。一つは「オトシブミの魔術的な道」という絵。もう一つは「渡り鳥の魔術的な道」という絵。オトシブミはカバノキの葉の上に、渡り鳥はアフリカ大陸の上に、幻の道を見ている。種の存続のため、生存のため、生まれつき幻の道が見えるようになっているというんですね。
しかし、p139には、オトシブミにも渡り鳥にも見えない魔術的なものがもう一つあるのです。一部分だけ重なりあっている二枚のカバノキと、アフリカ大陸の形がなんだか似ている……。一体、これにはどんな意味があるのだろう……? P139を見たら、きっと誰でもそんなことを思ってしまうでしょう。


どうやら、人間には、何の役に立つのかさっぱり分からないけれど、魔術的なものを見てしまう傾向というか、癖があるみたいです。そういう観点から見ると、シーン13とシーン14のボールを同一と思ってしまうぼくも、耶子とひよりを重ね合わせてしまう十郎の母、霞も似たような癖の持ち主ということになるでしょう。しかし、盛太と清音の二人については、癖というより病気といった方がいいのかな。あの二人にとって、耶子とひよりの魔術的な類似は破滅的な事態をもたらすものだったわけですから。


おっと、気がついたら、だらだら長いメールを書いてますね。すみません。
以下、清水さんのメールに触発されて考えたことを、できるだけ簡単に記します。


・盛太と清音は、現実の中にありえない意味を見出し、それにふりまわされる病気にかかっている。二人は無意識のうちに協力し、幻の四角関係(盛太−「ひより=耶子」−十郎−清音)をつくりだし、しまいには、十郎の実家で清音が包丁で自分の腹を刺すという事件を引き起こす。
・このとき、シナリオを引用すると、


ひより「あははははははははははははははははははは」
    ひよりが全身全霊で笑っている。


となるのだけれども、なぜひよりは笑うのか? きっと、彼女には、目の前の出来事が芝居のように見えたのだ(清音が一度でなく、何度も腹を刺すというしつこさが芝居ぽさを強調していたように思う)。ひよりの中で、病気の定義が変わりだしている。現実の中に幻のような意味を見出し、それに翻弄される病気は、フィクションをうみだし、それを実演せずにはいられない病気になりかけている。これはもう『電撃』の病気のはじまりと言ってもいい。『電撃』が『乱心』パート2に見えたのは、そのためだ。


・映画の冒頭で、ひよりと十郎は、「私、呪われてる」「だとしたら、オレも呪われている」と言っているけれども、これはどういう意味か? ひよりが呪われているのは、加害者の娘だからではない。「なぜ父はわたしではなく、他の少女を殺したのだろう?」という問いにとり憑かれてしまったからだ。同じように、十郎が呪われているのは、被害者の兄だからではない。「なぜ妹を殺したやつがオレではなく、ひよりの父親だったのだろう?」という問いにとり憑かれてしまったからだ。
・ひよりと十郎を結びつけているのは、愛ではない。「殺されていたのはわたしかもしれない」という思いと、「殺していたのはオレかもしれない」という思いが融合してうまれたフィクションが、二人を結びつけているにちがいない。


・清音が自分の腹を刺すという事件を起こしたあと、十郎とひよりは耶子の部屋でセックスする。このシーンはとても重要だ。十郎は耶子が殺された夜のことを語るのだが、シナリオでは次のようになっている。


十郎とひよりが裸になって抱き合っている。
十郎「耶子を置いて逃げ出した時、オレ、ワクワクしてたんだ」
十郎、ひよりの体を突く。
突かれて揺られているひより。
ひより「痛い…痛いよう…」
ひよりの目から、再び涙が出てくる。


このとき、十郎もひよりも自分自身でありたいとは思っていない。別の人間になろうとしている。十郎は耶子を殺したひよりの父を、ひよりは耶子を演じているのだ。


なんだか清水さんあてのメールというより、ブログ用原稿のためのメモみたいになってしまいました。
長々と書いてしまって、申し訳ありません。


ああ、そうだ。
今年の映画美学校映画祭で、冨永くんの『乱心』をやるのです(9月3日(土)18:20〜)。
シナリオを読んで面白かったというのなら、清水さんにはぜひ見てほしいのですが。
招待券、送りますよ。


井川耕一郎


<清水かえで→井川耕一郎:演技のはじまり>


『電撃』の脚本、渡辺さんと冨永さんはどんなふうに書いたのでしょう?
あたまからおしまいまで、きちんとお話をつくってから、
前半・後半に分けて、分担して書いたのではないような気がします。


妊娠している奥さんと、かげで浮気している夫がいたら、お話になりそうかなぁと思って、
出だしを渡辺さんが書いた、
それを読んで、
愛人みたいな女の子が家にやってくるけど、じつは妹で、
妊娠している奥さんは奥さんじゃなくて、○○○だったとしたらどうかなぁと、
冨永さんが続きを書いた、
それからまた、渡辺さんが書いた、
冨永さんが書いた……という感じだったのでしょうか?
ミチコ、タカヒロ、キョウコの三人が、相手の芝居を見て即興的に話をつくっていったのとよく似た感じのシナリオの書き方だったら、
面白いんですけど。


先生のメールを読んで思ったことが、もう一つあります。
ひとはなぜ「フィクションをうみだし、それを実演せずにはいられない病気」にかかってしまうのでしょう?


『乱心』の十郎、ひより、盛太、清音、十郎の両親に共通するものって、何でしょう?
たぶん、十郎の両親、盛太は、耶子に生き返ってほしいと思っているはずです。
清音は盛太のことがあるから、生き返らないでと思っているかもしれません。
それから、先生の考えだと、
十郎は耶子を殺したいと思っていて、
ひよりは耶子のかわりに殺されたいと思っているのですよね?
『乱心』に出てくるひとたちに共通するもの。
それは、殺された耶子に対する思いだと思います。


亡くなってしまえば、それでおしまいと考えるのが、
きっと、一番合理的で、すっきりした考え方なのでしょうけど、
そんなふうに割り切ってしまうことが、ひとにはなかなかできません。
亡くなってしまったひととの関係を終わらせたくないと思ってしまうことが、
「フィクションをうみだし、それを実演せずにはいられない病気」の原因のひとつになっているのかなぁと、思いました。


それでまた、『電撃』のことになりますが……
ミチコは妊娠のうそがばれて、タカヒロの家を出ますね。
でも、こっそり戻ってきて、掃除したり、食事をつくったりする。
これって、かげで○○○をやっているということじゃないと思ったのです。


たしか、映画の後半に、ミチコが橋のまん中でぼんやりしているシーンがありましたよね?
そこにタカヒロがやって来るんですけど、
タカヒロは黙ってミチコの横を通り過ぎてしまう。
それが無視したという感じではなかったのです。
ミチコが見えてなかったみたいというか……


で、思ったのです。
妊娠のうそをあばくとき、キョウコが××××しますね(ネタバレになるので、ふせておくことにしました(清水))。
あのとき、キョウコはミチコに「あなたは死んだの」と言いたかったのでは?
だから、こっそり家に帰ってきて家事をこなすミチコは、幽霊を演じているのだと思います。


『電撃』でも、『乱心』と同じように、
お芝居を演じることが、亡くなったひととの関係を終わらせたくないという思いとつながっているような気がします。
だから、終わりの方で、ミチコの姿を見たとたん、
タカヒロは「やっと会えた。結婚しよう」と言うのでしょう。
でも、生きているひとがそのままで幽霊と結婚するのは、昔から無理な話と決まってますよね?
それで、タカヒロは****れてしまったのだと思います(ここも、ネタバレになるので、ふせておくことにしました(清水))。


それから、
タカヒロが書いているふりをしている小説、
ミチコやキョウコのお腹にいることになっているうその赤ちゃんは、
幽霊の仲間ではないでしょうか。
この世に出てくることなく、あの世にとどまるしかないのですから。


清水かえで


<清水かえで→井川耕一郎:『乱心』、見ました>


招待券、ありがとうございます。
冨永圭祐さんの『乱心』、見ました。


シナリオを読んだときは、シリアスなサスペンスなのかなぁって思ってたのですが、
完成した映画はコメディってことじゃないんですけど、
笑えるところがあるものになっていました。


ひよりが「あはははは……」と全身全霊で笑うところ、
先生は、「彼女には、目の前の出来事がお芝居に見えたのだ」と書いてましたが、
映画を見て、なるほどなぁと思いました。
あのシーンで、十郎のお母さんはシナリオとちがって、隣の部屋で正座しているんですね。
なんだか、楽屋で出番を待っている役者みたいでした。


そうして、よし、今だ!というとき、
お母さんは、パーン!と襖を開けて、みんなのいる部屋にのりこんできます。
でも、お母さんの前にはちゃぶ台があるのです。
どうするのかなぁと思っていたら、
そのちゃぶ台の上にのっかって、堂々とまっすぐ歩いてきたので、
びっくりしてしまいました。
思わず笑っちゃったんですけど、
同時に、演じることにとりつかれたお母さんの姿に感動もしたのです。
いびつな映画だったけど、面白かったです。


それから、ユクスキュルの『生物から見た世界』、読みました。
2枚の葉っぱと、アフリカ大陸、よく似ているなぁと思いました。
でも、先生のメールを読んだから、そう見えてしまったのかも。
先生にだまされてるような気がちょっとだけするのですが……


「魔術的環世界」ですけど、
『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』の「あいつ」と関係があるかなぁと思いました。
(このあと、『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』のことが続きますが、カットしました(清水))


清水かえで


追記:たしかに、ユクスキュルの「魔術的環世界」という考え方は、「あいつ」のヒントになっています。(井川)