ある教材ビデオについて(井川耕一郎)

(以下の文章は、2003年に映画美学校の授業用に製作したビデオに関する解説です)


 考えてみれば、ひさびさの自主製作である。なぜこのようなビデオによるエッセイをつくろうと思い立ったのか――その問に対する答は私の中にはない。答は、どうしようもなく怠け者の私を触発してくれた人たちとの関係の中にあるだろう。


 まず一人目は映画美学校1期生の山下正人君。昨年、担当した研究科のゼミで、伊藤大輔のシナリオをテキストにとりあげましょう、と山下君が提案しなければ、私もこのビデオをつくろうなどとは思わなかっただろう。もっとも、昨年夏のゼミ最終日までに間に合ったのは、前半の1〜3章というありさまだったのだが。


 そして二人目は渡辺護さん。『王将』や『反逆児』を撮った「過去の巨匠」程度の認識しかなかった私に、伊藤大輔の映画の面白さを教えてくれたのは渡辺さんだった。特に渡辺さんにすすめられて『鞍馬天狗』を見た体験は大きい。この伊藤大輔についてのビデオは渡辺さんから学んだ多くのことをもとにして出来上がったと言ってもいいだろう。とは言え、私があまりに不器用だったためか、学習の成果はゆがんだまま積み上げられ、渡辺さんの伊藤大輔像とは似ても似つかぬ奇妙なものになってしまったのだが。


 三人目は大和屋竺さん。大和屋さんのシナリオ集をつくるという作業をしていなかったら、私は渡辺さんから親しく話を聞くということもなかっただろう。また、伊藤大輔について調べ、あれこれ考えていくうち、私は大和屋と伊藤大輔には世界に向ける視線に共通するところがあると気づいた。今、私の目にうつる伊藤大輔は過去の巨匠ではない。彼は大和屋竺の後にあらわれた可能性をひめた映画作家なのだ。


 最後になったが、スタッフの皆に、協力どうもありがとう、とお礼を言いたい。
 私の望みとしては、このビデオによるエッセイが、伊藤大輔の映画をもう一度見直すきっかけとなると同時に、表現者であろうとする人たちの欲望に火を放つ役割が果たせたら、と思っている。



<スタッフ>

 山之内菜穂子(ナレーション)
 松本岳大(撮影)
 千浦僚(製作)
 光地拓郎(録音)
 北岡稔美(製作・編集)
 井川耕一郎(構成・ナレーション)


<協力>

 渡辺護
 筒井武文
 映画美学校