井川耕一郎

『首』(監督:森谷司郎、脚本:橋本忍)について(井川耕一郎)

(以下の文章は2007年2月28日に「プロジェクトINAZUMA」BBSに書かれたものです) 笠原和夫、水木洋子、橋本忍。 この三人のシナリオライターには、どう受け止めたらいいのか、いまだによく分からない謎の部分があります。 リアリズムをとことんき…

万田邦敏『接吻』について(井川耕一郎)

(以下の文章は2006年11月3日に「プロジェクトINAZUMA」BBSに書かれたものです) 今週は万田邦敏『接吻』(『ありがとう』の次に撮った作品)の初号試写に行ってきました。 『ありがとう』は未見なのですが、いやあ、『接吻』は本当に素晴らしか…

片桐絵梨子『きつね大回転』について(井川耕一郎)

町で悪さをしているきつねを退治してください、という手紙を文子と遠藤は受け取る。けれども、町にやって来た二人の前に、手紙で仕事を依頼してきた人物はまったく姿を現さない。町のひとにきつねの被害を訊いても、ええ?そうなの?という答になっていない…

沖島勲ノート3−2−2(井川耕一郎)

ここでもう一度、『YYK論争 永遠の“誤解”』の発想の出発点に戻ってみよう。外波山文明=沖島勲とみなすのはあまりに短絡的だが、外波山文明が義経、頼朝、清盛、常磐の四人が登場する劇中映画の作者であるという設定になっているのだから、少なくとも発想…

沖島勲ノート(3)−2−1(井川耕一郎)

『アメリカの夜』、『パッション』、『ことの次第』、『(秘)湯の街 夜のひとで』、『ロケーション』、『女優霊』……。映画の撮影現場を描いた映画は今までに何本もつくられてきた。1999年に公開された沖島勲の『YYK論争 永遠の“誤解”』もそうした映画の…

『女課長の生下着 あなたを絞りたい』(非和解検査)

鈴木と高橋はいずれも新しいパンティーを開発しようとする人物であるが、鈴木は染みを、高橋は匂いを付加することを目論んでいる。彼らはそれが新商品の付加価値たりうると考えているようであるが、冷静に考えれば分かるように分泌物の匂いや染みの付着した…

『女課長の生下着 あなたを絞りたい』

(1994年・60分) 製作:ルーズフィット 配給:エクセス 監督:鎮西尚一 脚本:井川耕一郎 撮影・照明:福沢正典 出演:冴島奈緒、多比良健、瀬上良一、吉行由実

『ジャンルと模倣された「痛み」 ニューハーフ物語 わたしが女にもどるまで』(三島裕二)

あなたは、この映画を見て何を感じただろうか? この映画の画面上で繰りひろげられる物語を要約するならば、ニューハーフと呼ばれている人たちが働くダンスパブで働く人物たちを多少誇張気味に描きつつ、そこにやって来たユカの、不幸な生い立ちにも関わらず…

『ニューハーフ物語 わたしが女にもどるまで』

(1997年・84分) 製作:ケイエスエスエムイー 製作協力:フィルムキッズ 監督:山岡隆資 脚本:井川耕一郎 撮影:重田恵介 音楽:Mint-Lee 出演:春菜愛、三橋貴志、長宗我部陽子、今泉浩一、山本健翔、渡辺護

ある教材ビデオについて(井川耕一郎)

(以下の文章は、2003年に映画美学校の授業用に製作したビデオに関する解説です) 考えてみれば、ひさびさの自主製作である。なぜこのようなビデオによるエッセイをつくろうと思い立ったのか――その問に対する答は私の中にはない。答は、どうしようもなく怠け…

沖島勲ノート(3)−1(井川耕一郎)

沖島勲の仕事全体を見渡したとき、一九九三年に公開された『紅蓮華』(監督・渡辺護)のシナリオはひどく孤立しているように見える。沖島の他の作品には童話的なもの――笑いと残酷さの独特な融合があるが、生真面目にリアリズムを押し通した『紅蓮華』にはそ…

沖島勲ノート(2)−3(井川耕一郎)

一九九六年に沖島勲が監督した第三作目の作品は、まずタイトルでひとを惹きつける。『したくて、したくて、たまらない、女。』――だが、このタイトルはピンク映画に本当にふさわしいものなのかどうか。たとえば、『女課長の生下着 あなたを絞りたい』というタ…

沖島勲ノート(2)−2(井川耕一郎)

一九八九年に沖島勲が撮った二作目の監督作品『出張』は、落石事故で鉄道が不通になるところから始まる。地方の支社に行くはずだった熊井(石橋蓮司)は、途中の駅で足止めを食うことになるが、これは漂流の始まりでもあった。鉄道が復旧するのを待つため、…

沖島勲ノート(2)−1(井川耕一郎)

『一万年、後‥‥。』の主人公の男は、一万年後の子孫・正一の家に漂着するまでのことを語っているうちに思わずこう叫んでしまう。 男「お袋ーッ! 宇宙の、こんな長い時間、始まりも終りも分らない、そんな時間の中に、たった(指で示して)、これっぽっちの…

沖島勲ノート(1)−2(井川耕一郎)

一九六九年、沖島勲は『ニュー・ジャック・アンド・ヴェティ』を撮って監督デビューする。結婚式の打ち合わせのために山奥の別荘に集まった人たちが最後に乱交してしまうというこの傑作コメディにも、漂着物のような人物が登場する。新郎の母・きくがそうだ…

沖島勲ノート(1)−1(井川耕一郎)

沖島勲が足立正生と共同で書いた『性犯罪』(監督・若松孝二)のシナリオには、読んでいてどうにもひっかかる部分がある。主人公の伊丹(吉沢健)が海辺で子づれの女に声をかけるあたりからの一連の場面がそうだ。 伊丹、夫人と話しながら、足元の砂をつまん…

杉田協士『河の恋人』と小出豊『お城が見える』について(井川耕一郎)

以下の文章は『映画芸術』2007年冬号(第418号)からの再録です。 なお、小出豊の『お城が見える』は、高橋洋『狂気の海』のカップリング作品として、7月8日(火)21時からユーロスペースで上映されます。 『狂気の海』公式サイト: http://www.kyoukinoumi…

常本琢招への手紙2(井川耕一郎)

(2)リハーサルで目指しているものは何か? 常本さんは撮影前のリハーサルについて自作解説の中で次のように書いていますね。 「この作品は様々な事情で撮影が延び、余裕ができたということもあって、リハを2週間行いました。撮影自体は6日間なので、倍…

常本琢招への手紙1(井川耕一郎)

西山洋市、大工原正樹と来て、今回は常本さんに演出について訊いてみたいと思います。とは言え、演出について論じるのは難しいですね。 たとえば、大工原さんが撮った『赤猫』で、ぼくが、おお!と声をあげそうになったのは、映画の後半で森田亜紀演じる主人…

鎮西尚一『パンツの穴 キラキラ星みつけた!』(井川耕一郎)

鎮西尚一の代表作。「河童みたいな俺だけど」だとか「水陸歌合戦」だとか「ジャングル娘」だとか、タイトルからして人を食った劇中歌が申し分なくいい。こんな歌、人間がうまく歌えるはずがないではないか。 だが、役者たちはそれらを半ば途方に暮れながらも…

大工原正樹への手紙(2)(井川耕一郎)

さて、そこで大工原さんの場合ですが――(ずいぶんと回り道をしてしまいました)。 大工原さんはこのブログに自作解説をいくつか書いていますが、それらを読みなおしていてひどく気になったものがあるのです。監督デビュー作の『六本木隷嬢クラブ』に出演した…

大工原正樹への手紙(1)(井川耕一郎)

大工原さんへ 大工原さんにも演出についていろいろと尋ねたいことがあるのですが、ちょっと回り道をして万田さんの話からしてみたいと思います。たぶん、そうした方がこれを読む他のひとたちにとっても親切なんじゃないかな、と思ったからですが、さて、分か…

西山洋市への手紙

西山さんへ 6月2日から15日まで、シネマアートン下北沢で、プロジェクトINAZUMA作品集として四本の作品がレイトショー公開されるわけですが、 ちょうどいい機会なので、ここらで西山さんに映画の演出についてどう考えているかを訊いてみたいと思います。 …

フランス書院文庫シリーズについて(井川耕一郎)

常本琢招が監督した『人妻玲子 調教の軌跡』と『黒い下着の女教師』については、前にこのブログにも書いているので*1、それとだぶらないことを書いてみようと思う。 ある日、フィルムキッズの社長・千葉好二さんから電話があった。今度、フランス書院文庫シ…

『成田アキラのテレクラ稼業』について(井川耕一郎)

ずいぶん前に『成田アキラのテレクラ稼業』を見たというひとから、面白かったですねえ!と今にも吹き出しそうな顔で言われたことがある。直接聞くこういう感想は素直にうれしい。けれども、そのひとはさらに続けて、テレクラのマンガなんかを原作にして作品…

石田民三『花ちりぬ』について(井川耕一郎)

石田民三の名を知ったのは、十二年前に出た『映画百物語 日本映画編』(読売新聞社)によってだ。 その本の中で、筒井武文さんが石田民三の『むかしの歌』を論じていたのである。 「『花ちりぬ』がバロックだとしたら、『むかしの歌』は古典主義者の撮った映…

ああ、ふりまわされたい―常本琢招『恋愛ピアノ教師 月光の戯れ』について―(1)(井川耕一郎)

『恋愛ピアノ教師 月光の戯れ』をひさしぶりに見る。 最初に見たのは作品が完成したばかりの頃で、たしか飲んでいるときに常本琢招からビデオを手渡されたのだった。翌日、家で見て、傑作だ! これは『黒い下着の女教師』と並ぶ常本の代表作となるだろう、と…

「みなしごキッチン」について(井川耕一郎)

(この文章は、『唄えば天国・天の巻』(メディアファクトリー)からの再録です) 常本琢招の『制服本番 おしえて!』は、アイドル映画を撮りたいという欲望に貫かれているところが爽快だ。主演の山下麻衣はこの映画のためにつくられた歌「みなしごキッチン…

神代辰巳論5・6(井川耕一郎)

5 神代の後期の映画では、気がつくと日常生活の中に幽霊が存在している。そうした幽霊の中で、とりわけ興味深いのは子どもの幽霊だろう。 『恋文』(85)の冒頭で、萩原健一は家の窓にマニキュアで絵を描いている。やがて倍賞美津子が家に戻り、ショーケン…

神代辰巳論4(井川耕一郎)

4 先に私は神代の映画の語り手は幽霊だと記したが、語り手の幽霊性を強調したでたらめで楽しい作風は、八〇年代に入るあたりから次第に消え、ごく普通の映画の語りに近いものになっていく。それでは、神代の映画から幽霊じみたものはなくなってしまったのだ…